伊佐真琴

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伊佐 真琴
 No.
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基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 沖縄県
生没年月日 1977年1月29日(2024-1977)+((12-1)*100+(18-29)>=0)-1歳)
 - 
身長/体重 cm/ kg
選手情報
投球・打席 投打
守備位置 投手外野手
プロ入り
出場期間
 - 出場中
年俸
経歴
テンプレート  ウィキプロジェクト

伊佐 真琴(いさ まこと、1977年1月29日 - )は、日本の元社会人野球選手。三菱重工長崎に所属していた。

人物・来歴

那覇商時代は、高い身体能力、140km/hに迫る速球、大きなカーブで注目を浴びた。2年生の新チームからエースとなり、3年生となる1994年春には学校初となるセンバツへの出場(1回戦か敗退)・夏の甲子園と連続出場(夏の大会も初出場)を果たした。夏の甲子園大会では横浜高校の超高校級スラッガーだった紀田彰一を4打席連続敬遠をして、勝利をしている。

1995年に三菱重工長崎に入社。右上手の力強いフォームからの150km/hに迫る速球、変化の大きいカーブ、スライダー、連投の利くスタミナを持ち合わせながら、速球の制球難に悩み、2003年秋には外野手に転向した。打球処理後の返球で投手仕込みの強肩を披露し、しばしば走者を釘付けにした。また、俊足を活かした代走出場も務め、「野球が楽しかった」と自ら語るほどのびのびとしたプレーを見せた。

2004年限りで現役を引退。現在は社業に就くかたわら、三菱重工長崎の応援団長を務めている。

外部リンク

  • [ttp://www.love-baseball.com/ 三菱重工長崎硬式野球部-LOVE BASEBALL-] - 本人インタビューのページがある