平昌オリンピック
平昌オリンピック(ピョンチャンオリンピック:ハングル동계 올림픽)とは、2018年に大韓民国で開催が予定されている冬季オリンピックである。なお、別名として「独島オリンピック」や「従軍慰安婦オリンピック」、さらには「日王謝罪要求オリンピック」と呼ばれることがすでに確定している。
無論、これは韓国国内でのみの話である。オリンピックの歴史においては「プラカードオリンピック」の一言で全て話が済まされる可能性もある。
目次
概要
2012年に行われたロンドンオリンピックにおいて、それまで国際オリンピック委員会(IOC)が掲げてきた。政治的な活動や宗教的な活動を一切禁止した理念「オリンピック憲章」に代わる新しい概念が韓国によって定義される。
それは当初、試合直後に選手がプラカードを偶然会場で拾って、なぜだかそれを掲げながら場内一周したけれど政治的なメッセージが書かれた内容が読めなかったから無罪という、いたって普通の概念だった。けれど、この主張ではあまりに韓国人の知的水準がバカされる危険性が高かったため、IOCで問題化した直後から、韓国ではマスコミと政府そして関係者が一緒になって正当化しようといろいろと模索。最終的に政治的なプラカードを掲げても自分達が正しいと思ったら無罪という形に落ち着くことになる。この概念は、奴隷解放や公民権運動が叫ばれた時代であれば、世界中の抑圧された人々に希望を与える内容であった。
が、どう考えても21世紀では時代遅れの話である。
こういった、無理やりに自分達を正しいとする概念及びそのための試行錯誤については、別名を「愛国無罪」と呼び、世界各国の歴史を紐解けば、どこの国でも見られる思想である。もっとも、19世紀から20世紀にかけてだけれどもさ。実際、自分達も国も正しいと思っていることを世界中に表明することはなんら恥じることはないといった概念は国家が法やルールを無視するような時代において一気に民衆に浸透することで知られている。KKKの暗躍やファシズムの台頭、ナチスの成立といった時代背景には、こういった自分達こそが正しい、すなわち、自分達以外が間違っているという確信が隠されている。
このような考えが、平和の祭典をきっかけに世界中に広まろうとしていることは悪夢以外の何物でもない。
韓国では無罪
2012年8月10日に行われたロンドン五輪の男子サッカー3位決定戦の直後から、韓国ではどんな政治活動を行っても、いくら国旗を燃やそうとも、他国の国家元首を罵倒しようとも、「国さえ愛していれば無罪」というたわけた話が具現化し続けていく。これにより6年後に開催される平昌オリンピックにおいてどのような政治メッセージを掲げても、過去の事例に則ればまったく罰せられることがない、あるわけがないといったヨタ話つうかバカ話に現実味が与えられる。
このような連鎖が、世界中からどのような目で見られるかについて、残念ながら狂気に浸っている人間には想像すらつかず、それに反する考えを抱いただけで人格すら否定されていく時代に突入。わずか1月ばかりの間に、日本における第二次大戦中の非国民という差別意識や、さらにはナチスドイツにおけるユダヤ人迫害といった社会維持よりも思想が優先される様相を呈している。これは、近代国家にあるまじき話である。
中国でも無罪
なお、中国で2008年に行われた北京オリンピックにおいて愛国無罪なる考えは影を潜めており、愛国であったにせよ国に迷惑をかければ逮捕は当然、場合によっては行方不明となる事案も発生している。
まぁ、共産党を否定する愛国が無罪になるわけがない。
しかし、これが尖閣諸島に関する話だと、あっという間に韓国と同じレベルに突入。2012年9月に発生した反日暴動では、中国各地に進出した日本企業を標的とした焼き討ちまで発生し、しかも共産党及び各地の警察、軍隊は見て見ぬふり。その結果、暴徒が日本以外の各国の企業にまで破壊活動を及ぼすこととなり、中国は国際的な信用を失い、株価が一気に下落。さらに、この問題に関してアメリカの動きは早く、暴動の直後にアメリカ政府の公式見解として尖閣諸島の領有権は日本にあるものとし、なおかつ尖閣諸島への攻撃については、日米安全保障条約を適用すると発表。中国側が詰むことになる。
これは、世界に向けてアホな主張を掲げることで、果たしてどのような対応を取られるかという一つの答えである。
韓国では無罪どころか、むしろ英雄化
けれど、五輪問題について、韓国国内の状況は国際社会とはまったく逆になったままである。実際、他国の大使館を襲撃した犯人が愛国の想いで決行したと語れば、それはすなわち国民にとって無罪対象とされ、実刑が当たり前の国際的非礼であるにも関わらず、執行猶予となるのはまだ序の口。ネット上では、愛国心によって行われた英雄的行為と持ち上げさえしている。さらにひどい話として、他国に対して非礼をわびただけでサッカー協会のトップが非国民呼ばわりされるなど、オリンピック終了からわずかばかりの間に、韓国にとって愛国という名の妄執がもはや手がつけられない存在となる。
自分達がその行為を許せば、他人もやってよいと見られることに、まっっったく気づいた形跡がないのもまた悲劇である。そして、そういった政治的、もしくは宗教的な妄執に憑かれた人間が世界中に大勢いることは、今度は喜劇につながっていく。
プラカード
分かりやすい話である。
2012年の段階で、このような主張を政治家はもとよりマスコミまで主導して国民に宣伝・啓蒙し、外部に発信し続ける以上、2018年に韓国で開催される平昌オリンピックにおいて、韓国の愛国運動さえ模せば、それはまったく罪に問われないという話になる。むしろ、愛国を理由として、すでに世界中からレイシスト(差別主義者)と見られる行為を行っても、韓国ならそれを正当化できるという話が多発することが懸念され、いいのかそれという段階にまで到達している。
もっとも、このような話は過去にすでに同国において日常的に行われており、中でも2002年に行われたサッカーワールドカップ日韓大会では多種多彩な差別的表現にあふれるプラカードを観客が掲げ、中には非礼どころか国家間の問題となってもおかしくはない無礼なものまで含まれていた。さらにホスト国ではあるまじき数千人の観客を動員してマスゲームでイタリアチームを侮辱するような行動もあった。そのため、すくなくとも他国を揶揄するプラカードを持ち込み禁止にすることは過去の事例から見ても、韓国はできない。してはいけないことになる。それをするのなら、自国民に対してルールを守るよう教えこまなければならず、それが出来るかどうかというと、まず不可能であるわけで。
うん、無理。絶対無理。
そして、サッカーW杯ならまだしも、オリンピックについても政治的なプラカードを掲げる行為を正当化した以上、自ら退路を絶ったも同然である。そのため、平昌の地でこれまでのオリンピックでは存在しなかった光景が繰り広げられることもほぼ確実視される。イラクやイラン、さらにはアフガニスタンといった、それまで冬季五輪とは縁の無かった国々にとっては大変に待ち遠しい大会と言える。そして、アメリカや中国さらには日本にとっても、参加する意義があるかどうか考えるべき大会になる。
なお、今回の一連の動きに付随する形でとてつもなく悲惨な話が存在しており、スポーツの場における政治的な主張を擁護してしまった国家が、今後、各種スポーツの世界大会においてどんなに平和的にメッセージを発信しようとしても、それが独善的に見られることを、すくなくとも韓国は理解していない。
まったく理解していない。
そもそも、韓国自体アテネオリンピックやトリノオリンピックにおいて、IOCから了承を受けて朝鮮半島の統一を理念に作成された統一旗を掲げて開会式に臨むことで、世界中に向けて朝鮮半島の平和をアピールさせてもらった経緯があるというのに、ロンドン五輪で今度は自らの手でオリンピック自体を政治紛争の場に貶めた結果、2度と統一旗を掲げての入場行進が不可能になる。
とりあえず、オリンピックには政治を抜きにして平和を訴えかける場という側面がある。にも関わらず、ロンドン五輪のサッカーで行われた政治パフォーマンスの結果、韓国は自らIOCの顔に泥を塗ることで北朝鮮とのオリンピックを通じた友好を潰してしまった件及び二度と統一旗を掲げることが不可能になった件について、とりあえず国民が愛国無罪を叫んでいられるうちが華である。
普通気づくと思うんだが。
平昌オリンピックにおける人気種目について
この項目では、もし平昌オリンピックが開催された場合、どのような種目が人気になるかを考える。
まず、平昌冬季五輪の舞台となる韓国では、スケートのショートトラックやフィギュアスケートといった種目で金メダルが期待されており、それらの会場ではより具体的な別の種目が出来上がる手はずになっている。まず、ドイツやイスラエル、もしくはユダヤの選手に対して、卍をかたどった仏教のマークを提示することで、あなたに仏の加護があるよう優しく祈る行為が頻発することが予想される。これは、世界中どこの人間にも分け隔てなく接する国民性を表す愛国的な行為である。
このような応援スタイルが韓国にとって一般的だという話は、前述したサッカーW杯の際の逸話にいくらでも見て取れる。そのため、いかに相手を韓国式に応援するかが国民にとって一つの愛国運動となった節も見受けられる。
特に世界一のスポーツ大国アメリカの選手についてはより具体的な応援がなされることも確定しており、たとえばショートトラックの会場では、アメリカの名選手で韓国と因縁のあるアポロ・アントン・オーノの選手が大人気になることはまず間違いない。確実に2018年の段階で引退している選手であるけれど、間違いない。
なんにせよ、顔写真が使用された旗を振り回しての大応援が期待される。なぜか、会場に入る前に旗が真っ二つに裂けていたり、ちょっとお金が足りずに白黒写真の上、黒ブチがかかっていたりするかもしれないのだけど、むしろその程度で済めば序の口である。彼が日本人の血を引いている以上、国籍はアメリカであってもまったく彼らの愛国心には関係はないのだから。
そのため、会場も国民もマスコミも政治家も会場で行われることについて全然気にするなんて話はない。なぜなら、そういう話に少しでも疑問を持った人間は、財産を没収されることになるのだから。
オーノ選手ですらこのレベルなら、全ての種目における日本人選手への応援がどんなレベルになるか想像もしたくない。
こんな話も韓国ではありうるというものの一つに、会場中で偶然手にした、もしくはなぜだかバッグの底にあった、隣に座っていた人から渡されたといったレーザーポインターが日本人選手に向けて乱舞することも十二分に在りうる。これは、日本人選手に美しい群像劇を堪能してもらおうと会場中が努力した結果である。
また、過去の事例を紐解けば、選手の宿泊施設でも、傍らでカラオケを使用した応援メッセージの絶叫大会が実行されてもおかしくはなく、さらにはちょっと奥ゆかしいファンによる、真夜中の訪問(玄関チャイムだけ)や恥ずかしすぎて何も話すことのない真夜中のテレフォンなども人気種目となることがまず間違いない。
これらは全て実際に行われたことのある韓国式応援の一部である。さすがに選手村についてはという話もあるけれど、彼らは「選手村」という文字が読めない。
本当に読めない。
なお、漢字が読めないのならハングルで書けば良いじゃない、と思うのは韓国語の出来ない人である。 ハングルで選手村は선수촌と書く。선수(選手)+촌(村)であり、何の捻りもない素直なネーミングかつ、 韓国語には珍しく선수(ソンス)の方は特に同音異義語も無いので、本来なら取り違える危険もなさそうにみえる。 韓国語における선수(ソンス)は、その道に通じたプロやすばらしい腕前を持つ人に対する比喩表現としても用いる。
日本語で言うと「玄人」である。
ところで日本語の玄人には、熟練者という意味でなく特定の道に通じた人間という意味が存在する。特定の道とは率直に言うと色事の事である。 女性ではなく、男性に対して用いられる言葉であるが、韓国語の선수(ソンス)もそうした俗語表現として用いられる。 和訳すると浮気者、遊び人といった具合であろうか。
すると、선수촌はそういった種類の人間が集う場所、と受け取る事も出来る。 婉曲的な比喩表現として風俗街を선수촌(選手村)と呼称する事例が、オリンピックの選手村とはなんら関係なく元より存在したのだ。 流石に一般的に通用する成句ではない。成句ではないが、言葉の意味として文脈から判断できる程度には 韓国においては선수(ソンス)=選手よりも、선수(ソンス)=遊び人の方が身近な言葉で、水商売を表す用語として用いられる言葉なのである。
ここが「選手村」という場所である事が理解できた所で、事態は全く好転しない。
人気の食事について
なお、オリンピックが開催され選手村での話が伝わるたびに有名になる韓国の悪行が存在している。平昌オリンピックにおいては、それが開催国特権となって世界各国の選手をわずらわせることになる。それこそ、最も韓国の愛国心を示す食品「キムチ」である。
それは優しい言葉で言うなら世界中の選手たちに韓国の味を味わってもらおうという普通のもてなしの心である。問題は、そのもてなしが選手の心をかき乱すことで、本当に糞たまらない結末に直結してしまうという話である。実際、他国で行われた五輪ですら選手村のレストランで韓国や北朝鮮からの要請で大量の、ものすごく大量のキムチが準備され、多くの選手達の顰蹙を買っている。
しかもそれ以上に恐ろしい話が存在しており、選手村はもとより、試合会場においてすら、熱心な愛好家たちが独特のすっぱいにおいを散乱させる食事テロを行うことで知られている。もちろん、会場内は飲食禁止であるにも関わらず。そこにあるのは、世界中のアスリートたちと戦う韓国選手に、少しでも助けになるならば、どんな行為を行っても愛国であるという彼らにとっての正義である。別名、ルール違反ともいうけれど。
その結果、テロが行われた会場では韓国人選手のみ試合中に集中力が上昇、他国の選手は自制心を保つのにすら苦労することになるのだからひどい話である。
とりあえず、アーチェリーやフェンシングといった集中力と精神力がものをいう競技において、なぜ韓国人が多くの金メダルを獲得できたか。さらに女子ゴルフといった競技においても世界的に活躍する選手が続出しているのはなぜか。それはひとえに選手の生活と競技に根付いたキムチによる集中力アップ効果のおかげである。特にアーチェリーにおけるオリンピック7連覇の偉業は、キムチによってもたらされたことが通説となっている。
北朝鮮を除く他国の選手にとっては痛切すぎる話である。
しかも、平昌オリンピックではこういったもてなしの心が全ての競技において会場中から襲い掛かってくる。どんなスポーツ大国であろうとも、事前に臭気対策チームを設けないといけない話である。
大人気種目について
もう一つの見所として、世界初となるルール可変式のオリンピックがついに実装され、特にショートトラックにおける最新式のルールが常に変化する瞬間を、世界中のショートトラックに興味がないファンが待ち望んでいる。相手に触れずに投げ飛ばされる「空気投げ」によってライバル選手が失格する様子や、後ろから押した韓国の選手がバランスを崩して転んだ上、なぜだか押された選手が失格に追い込まれるという大技「会場の空気殺し」、さらには確定したはずの金メダルがなぜか2位の選手に与えられる必殺技「競技殺し」などなど、まさにこのオリンピックでしか見られない光景が各所で見受けられることは間違いない。
実際、韓国人選手の活躍によって競技が抹殺された種目は多い。本当に多い。
また、これはオリンピック後の楽しみとなるのだが、韓国人選手のメダルが期待される試合における、審判の預金口座の残高レースについても隠れた名物となる。特に、韓国にはサッカーW杯代表やフィギュアスケートのキム・ヨナ選手と親交の厚いチョン・モンジュン氏がいるため、彼の世界一二位を争う袖の下の技術は、多くの関係者にとって羨望の的であり、新しい車や家、さらには豪華海外旅行といった景品についても魅力たっぷりである。
彼の力さえあれば、どんな素晴らしい実力を持った選手であっても、世界中から賞賛される大技は加点されず、普通の技はマイナスされ、スタンディングオベーションの中で見事に調整された芸術点の結果、2位となることがほぼ確定。逆に、どんなに実力不足の選手であっても、事前に競技ルールを変更し、ミスを見逃して芸術点を爆上げすることで、見事金メダルを獲得させることができる。
実際、彼の力を持ってすれば平昌オリンピックでもキム・ヨナ選手が金メダルを獲得することが可能である。
超大人気種目も存在する
実は、競技以外にも大人気となることが確定している種目が存在している。
オリンピックの花と言える開会式及び閉会式には世界各国から大勢の首脳や王族、皇族が招かれるため、会場中から国民の熱狂的な声が向けられることは間違いなく、それ以上の熱狂が貴賓席を襲う可能性も存在している。特に、近隣諸国から来る高位の人々に向けられた熱視線が、どのぐらいのレベルにまで高まるかは確実にそのときの韓国の政治情勢による。そして、確実にそのときの韓国の政治情勢がよいわけがない。
そのため、興奮のあまりSPや警備を押しのけて、彼らに近づくような国民も出てくる可能性も否定できない。これは、本来であれば存在してはいけない可能性なのだけれど、まったく問題はない。なぜなら、彼の行為は国を愛するがための行為であり、それは韓国の人間であれば誰でも許す内容であるのだから。彼の行為はそのまま大韓民国の歴史に残り、英雄として何百年もの間、朝鮮民族子々孫々に語り継がれる。
そんな可能性こそ、平昌オリンピック及びプラカード五輪の本質であり、クーベルタン男爵がオリンピック憲章で述べたオリンピズムの真逆の存在なのだけれど。
平昌オリンピック開催前の人気種目
ロンドン五輪の結果を受けて、すでに世界各国では平昌オリンピックが開催不可能になった場合の会場変更について協議を始めている。そもそも、冬季五輪というのに、暖冬になった際の降雪量が疑問視されている段階で代替地の検討は規定路線であり、なおかつ経済的に困窮し始めている韓国において、オリンピックのためのインフラ整備が間に合わなければ、結局は開催権を放棄せざるをえなくなるのだから、ごくごく当たり前な話である。
あわせて、日中北三国について、韓国間との外交問題によるボイコットレースの開催が予定されており、特に2017年に控えている韓国大統領選挙の結果、どんなに各国の外務担当者が頑張ったとしても前年にこの3カ国及び韓国との間に摩擦が発生することはすでに規定路線である。また、韓国との間にFTA(自由貿易協定)を締結しているアメリカやEU各国も韓国との経済摩擦は避けられず、前述の3カ国ほどではないにしろオリンピック会場で大きなブーイングとそれ以外の行為を受けるシナリオも存在している。しかも、経済的に結びついているため、絶対に出場しなければならないというのも悲しい話である。
まぁ、経済的に見ればオリンピック前に損きりして韓国と一切関係を絶つシナリオもあるけれど。
むしろ、そちらの方がメインシナリオっぽい話であるけれど。
最後の人気種目
なお、場合によっては、平昌オリンピックが開催できない代わりに朝鮮戦争を再開するという可能性もある。オリンピックの場ですらルールを守れなかった韓国が、果たして戦争にいたるまでのルールを熟知しているかどうか。大変に心配な話である。
関連項目
このページはアンサイクロペディアの記事・平昌オリンピックを利用しています。 |