大阪姉妹殺害事件
大阪姉妹殺害事件(おおさかしまいさつがいじけん)とは大阪市浪速区のマンションで2005年11月17日に、大阪ミナミのホステスの上原明日香さん(27)と、妹の千妃路さん(19)姉妹が山地悠紀夫に強姦され刺殺された事件である。
事件発生時
大阪市浪速区塩草2のマンション「UB21難波28」401号室から出火。室内から住人のホステス、上原明日香さん(27)と妹の千妃路さん(19)が胸などを刺され倒れているのが見つかり、2人とも死亡が確認された。現場の状況から府警捜査1課は殺人・放火事件と断定、浪速署に捜査本部を設置した。
調べによると、現場は洋室2間と台所の計約70平方メートル。明日香さんは洋室のベッド、千妃路さんは近くの床に倒れていた。ともに左胸の深い刺し傷が致命傷とみられ、顔や腕にも傷があった。玄関近くの廊下に刃渡り約16センチの文化包丁が落ちていた。
室内約10平方メートルが焼けたが、消防がすぐ消火。火元は2人が倒れていた隣室のソファ付近とみられる。玄関ドアと窓はすべて施錠されていた。玄関は室外からカード式の鍵で施錠する仕組みで、捜査本部は犯人が2人を殺害して火を付け、外から鍵を掛けて逃げたとみている。
明日香さんは現場近くにある勤務先の飲食店から午前一時ごろ帰宅したという。
被害者
上野明日香さんは、大阪・ミナミのクラブで働き、上野千妃路さんは、その近くにある別の飲食店で働いていた。姉妹は奈良県平群町出身で、2人の上に兄が1人いる。部屋は明日香さん名義で2000年5月入居。約1カ月前から千妃路さんが同居を始めた。
明日香さんは約4年半前からクラブに勤め、その店の女性経営者は「面倒見のいい子で客の評判も良かった」と話す。経営者は来春、明日香さんとブライダル関係の会社を設立する予定だった。
「明日香さんはおとなしく、やさしい感じ。大人っぽい雰囲気だった」と幼ななじみは語り、千妃路さんを知る人は「活発で明るい女性だった」と口をそろえる。
事件の経緯
事件の背景
加害者の山地悠紀夫は、中学卒業後の2000年7月29日、山口市内の自宅アパートで金属バットで母親を殺害した(山口母親殺害事件)。当時16歳。この際、「返り血を流すためシャワーを浴びたら、射精していたことに気づいた」と姉妹殺害事件の大阪地検検事に後に述べている。同年9月に中等少年院送致の保護処分を受けた後、2003年10月に仮退院、2004年3月に本退院したが、この際、精神科医師は、山地が「法律を守ろうとはそんなに思っていない」と話していたことなどから、更生に疑問を抱き意見を提示していた。2005年2月ごろパチスロ機を不正操作しコインを盗むグループに加わるが、そのグループが福岡から大阪に活動拠点を移した同年11月には、稼ぎが上がらず、離脱したい旨を仲間に伝えグループの活動拠点のマンションを出た。離脱後、生活のめどが立たない中で、母親殺害の際に感じた興奮と快楽を再び得るために被害者らを狙った。
事件の状況
2005年11月17日午前2時半ごろ、まず飲食店での仕事を終えて帰宅した上原明日香さん(当時27歳)がドアを開けた瞬間に背後から襲撃。ナイフで胸を突き刺し、片足のズボンと下着を脱がせ強姦、跡を残さないための工作を行った。約10分後には妹の千妃路さん(当時19歳)が帰ってきたためナイフで胸を突き刺し、姉のすぐ側で強姦した。その後、ベランダで煙草を吸った後に姉妹の胸を再び突き刺してとどめを刺し、室内に放火し現金5000円や小銭入れ、貯金箱などを奪った上で逃走した。2人は病院に運ばれたが搬送先でまもなく死亡した。
大阪府警は同年12月5日、建造物侵入容疑で山地を逮捕。12月19日には強盗殺人容疑で再逮捕した。この逮捕で、山地が少年時代の山口母親殺害事件を起こしていたことがメディアで取り上げられた。
この事件を受け、杉浦正健法務大臣(当時)は12月20日の閣議で、少年院退院者に対する就労支援策の強化を検討した。凶器の刃渡り12センチのナイフは山地の供述通り、犯行現場マンションから約400メートル離れた神社の敷地内の倉庫で発見された。警察の調べに対し山地は「母親を殺したときの感覚が忘れられず、人の血を見たくなった」「誰でもいいから殺そうと思った」と供述、弁護士には「ふらっと買い物に行くように、ふらっと人を殺しに行ったのです」と述べた。
裁判
山地は住居侵入、強盗殺人、強盗強姦、鉄砲刀剣類所持等取締法違反、建造物侵入、非現住建造物等放火の罪で起訴され、2006年5月1日に初公判。初公判で山地の供述が検察により読まれたが、その内容は刺す度に性的興奮が訪れたというものであった。5月12日、第2回公判が開かれたが、被告人質問で山地は「人を殺す事と物を壊す事は全く同じ事」と述べた。母親殺害とのつながりについても質問されたが「自分では判断できない」と答えた。6月9日から10月4日まで精神鑑定が実施されたが、10月23日に裁判長はアスペルガー障害を含む広汎性発達障害には罹患していないとし、人格障害(非社会性人格障害、統合失調症質人格障害、性的サディズム)であるとする完全な責任能力を認める精神鑑定書を証拠として採用する。10月27日の第10回公判では、法廷に2万2796人分の死刑を求める嘆願書が提出されたが、山地は検察官に「どう思う」と問われても「何も」としか答えなかった。11月10日午後、弁護側の最終弁論公判の最後に裁判長から意見陳述を促されたが、これに対し山地は「特に何もありません」とだけ述べ結審する。
2006年12月13日午前、大阪地裁で死刑判決が下った。死刑判決の瞬間も、山地はまっすぐ前を見据えたまま微動だにしなかった。山地は自分の存在について、弁護人が差し入れたノートに「何のために生まれてきたのか、答えが見つからない。人を殺すため。もっとしっくりくる答えがあるのだろうか。ばく然と人を殺したい」と記している。判決後「控訴する考えはない」と弁護人に話していたが、12月26日弁護人権限で控訴する。山地本人は接見中「生まれてこない方がよかった」などと話していたというが、2007年5月31日付で山地本人が控訴を取り下げ死刑が確定した。
死刑執行
2009年7月28日、大阪拘置所にて山地の死刑が執行された。20代での死刑囚執行は1979年に執行された正寿ちゃん誘拐殺人事件の死刑囚(死刑執行時29歳)以来30年ぶりであり、25歳での執行は1972年に処刑された少年ライフル魔事件の死刑囚以来37年ぶりであった。
また死刑判決確定から2年という期間での執行は、同日に執行された自殺サイト殺人事件加害者同様に他の死刑囚と比較すると早い執行である。
関連書籍
- 粟野仁雄「大阪美人姉妹殺害事件―神さんに嫁入りした娘たち」ISBN 4594055559
- 池谷孝司,真下周,佐藤秀峰「死刑でいいです―孤立が生んだ二つの殺人」 ISBN 4764106043