エリアナ・パヴロワ

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エリアナ・パヴロワЕле́на Па́влова、1899年3月22日 - 1941年5月6日)は、日本の元バレエダンサーロシア出身で1937年に帰化し、日本名は霧島 エリ子(きりしま えりこ)。横浜、のちに鎌倉でバレエを教え、日本にバレエを根づかせた最初の人物である。

来歴[編集]

1899年3月22日、ロシア・サンクトペテルブルク貴族の家庭に生まれる。

母・妹とともにロシア革命から逃れ、ヘルシンキハルビン上海を経て、1920年に日本に入国する。翌1921年、小山内薫が所長を務める東京市本郷区(現在の文京区本郷)の「松竹キネマ研究所」が製作したサイレント映画君よ知らずや』の主演に抜擢される。

1927年、神奈川県鎌倉郡腰越津村七里ヶ浜(現在の鎌倉市七里ガ浜東)に日本初のバレエの稽古場を開設、東勇作橘秋子貝谷八百子近藤玲子大滝愛子島田廣らを育てた。1937年(昭和12年)、日本に帰化した。

1941年5月6日、日本軍慰問に訪れた南京で死去した。42歳没。その死は軍属の戦病死とされ、御霊は靖国神社に祀られた。

稽古場はエリアナの死後も母ナタリア(1872年 - 1956年)と妹ナデジタ(1905年 - 1982年)により続けられたが、ナデジタの死により閉鎖された。その後は長らく「鎌倉パブロワ記念館」として公開されていたが、1996年に閉鎖され個人の邸宅となっている。同地には日本バレエ協会による「日本バレエ発祥の地」という記念碑が建立されている。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

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