鳩山内閣

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鳩山内閣(はとやまないかく)

  1. 鳩山一郎内閣は鳩山一郎内閣総理大臣とする内閣
    1. 第1次鳩山一郎内閣1954年(昭和29年)12月10日 - 1955年(昭和30年)3月19日
    2. 第2次鳩山一郎内閣:1955年(昭和30年)3月19日 - 1955年(昭和30年)11月22日
    3. 第3次鳩山一郎内閣:1955年(昭和30年)11月22日 - 1956年(昭和31年)12月23日
  2. 鳩山由紀夫内閣は鳩山由紀夫内閣総理大臣とする内閣
    1. 鳩山由紀夫内閣2009年(平成21年)9月16日 -

なお、由紀夫は一郎の孫にあたる。

第1次鳩山一郎内閣[編集]

詳細は 第1次鳩山一郎内閣 を参照

吉田茂首相の退陣を受けて1954年(昭和29年)12月10日に発足。政局不安定の中、鳩山自由党改進党の糾合によって結成された日本民主党が与党となって組閣された。しかし、成立時点では、日本民主党は自由党に次ぐ第2党にすぎず、少数単独内閣であったため、政局の安定を目指して間もなく解散(いわゆる天の声解散)。第1次鳩山内閣は1955年(昭和30年)3月19日までで終結した。

第2次鳩山一郎内閣[編集]

詳細は 第2次鳩山一郎内閣 を参照

1955年(昭和30年)2月27日第27回衆議院議員総選挙によって日本民主党が比較第1党となり、3月18日の首相指名選挙を経て、翌3月19日に第2次鳩山内閣が発足した。しかし、比較第1党とはいっても、民主党の勢力は十分強力ではなく、保守系各党の分立に加えて、1955年10月13日の左右社会党の再統一によって政局運営は厳しさを増した。このため、1955年11月15日、いわゆる保守合同によって自由民主党が結成された(55年体制の成立)。政権基盤の変更に伴い、改めて首班指名を受けるため、鳩山内閣は11月22日に一旦総辞職した。

第3次鳩山一郎内閣[編集]

詳細は 第3次鳩山一郎内閣 を参照

総辞職後に衆議院で行われた首班指名選挙で鳩山が再指名され、1955年(昭和30年)11月22日に第3次鳩山内閣が発足した。国際連合への加盟を目指す鳩山は、翌1956年(昭和31年)10月19日日ソ共同宣言によって、日本の国際連合加盟に強硬に反対していたソビエト連邦との国交正常化を果たした(宣言の正式発効は12月12日)。さらに、12月18日の国際連合総会の議決により国際連合への加盟も実現した。これを区切りとして、鳩山は引退を表明。石橋湛山岸信介との争いを経て自由民主党総裁に当選すると、12月23日に退陣した。

鳩山由紀夫内閣[編集]

鳩山由紀夫内閣 を参照

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