酒井忠宝 (庄内藩主)
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酒井 忠宝(さかい ただみち)は江戸時代末期の大名。出羽国庄内藩第12代藩主で最後の藩主、大泉藩知事、伯爵、左衛門尉酒井家14代当主。9代藩主・酒井忠発の六男。正室は遠藤胤城の娘。官位は従五位。
戊辰戦争で兄・酒井忠篤が官軍に降伏し、永蟄居処分にされた後、再興を許されて忠宝が藩主に就任。明治元年(1868年)12月15日に会津藩、明治2年(1869年)6月15日に磐城平藩に移封となるが、70万両を献納したため同年7月22日に庄内藩に戻る。
同年に版籍奉還で知藩事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で免官。明治13年2月、隠居し、養父忠篤(実兄)に家督を譲る。なお、忠篤の当主復帰ということである。大正10年(1921年)、66歳で死去。兄・忠篤の長男・酒井忠良を養子としている。
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