湊長安
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湊 長安(みなと ちょうあん、天明6年(1786年) - 天保9年6月9日(1838年7月29日))は、蘭学者。
略歴[編集]
- 1786年(和暦??年) - 陸奥国牡鹿郡湊村(現・宮城県石巻市)に生まれる。
- 江戸で吉田長淑の門弟となる。
- 大槻玄沢の下で蘭方医学を修業する。
- 江戸で医業を開業する。
- 1822年(和暦??年) - 長崎で吉雄幸載らに学ぶ。
- 1823年(和暦??年) - 岡研介らと共にシーボルトの門弟となる。
- 1824年(和暦??年) - 鳴滝塾に入塾。
- 1825年(和暦??年) - 江戸に参府するシーボルトに随行する。
- 江戸日本橋石町で医業を再開する。
- 篠山藩主から召されて篠山藩医となり、傍ら丹晴堂を開塾し門下生を教授する。
- 1837年(和暦??年) - この頃から幕府天文台出役となって『厚生新編』の翻訳に携わる。
- 1838年(和暦??年)7月29日 - 死去する。享年53 墓所は東京都渋谷区神宮前の竜巌寺。
弟子[編集]
著作物[編集]
著訳書[編集]
- 『至母爾篤筆授略説』
- 『悉之勃爾咄』
- 『失以勃児杜験方録』
- 『丹晴堂随筆』
共訳著[編集]
- 『厚生新編』
書簡[編集]
- 『五十嵐喜徳宛』 早稲田大学図書館
音訳文・翻訳文[編集]
- 『シーボルトの賞状』 島根大学付属図書館