酒井忠明
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酒井 忠明(さかい ただあきら)は、旧庄内藩主 酒井家17代当主、写真家、書家、歌人、(財)致道博物館名誉館長。正五位・勲五等双光旭日章・鶴岡市名誉市民。
人物[編集]
- 大正6年(1917年)1月30日に、旧庄内藩主 酒井家16代当主・酒井忠良の長男として生まれる。
- 1935年に旧制鶴岡中学(現・山形県立鶴岡南高等学校)を卒業した後、酒井家図書研究所文会堂で旧庄内藩校致道館伝統に基づく「庄内学」とも称される儒学や東洋古典などを学びながら短歌を始め、歌人で万葉集研究家の国文学者、佐佐木信綱に師事する。
- 1954年1月の宮中「歌会始の儀」で 「芽ぶき立つ 裏の林に 山鳩の鳴く音 こもりて雨ならんとす」 の歌が入選した。
- 書道では「雍鳴(ようめい)」 の雅号を持ち、地元の書道界で指導的な役割を果たし、 記念碑等への揮ごうも多い。小学校5年の時から始めた写真では、『村里の四季』、『日本海庄内浜』、『出羽の国庄内 農の風景』などの写真集を出版している。
- 1986年~1995年までは、山形県公安委員を務め県内の治安維持に貢献し、1998年4月に警察管理運営功労で勲五等双光旭日章を受章した。また、松岡機業(株)・社長、会長、松岡協同製糸(株)・取締役、財団法人致道博物館・名誉館長理事、山居賃貸倉庫㈱・社長、鶴岡織物工業協同組合・理事長など数多くの役職を歴任し、1997年6月には県知事表彰(商工団体功労)を受賞。また、2004年逝去するまで荘内銀行の相談役も務めていた。
- 1999年10月には学術文化の振興に大きく貢献したとして、鶴岡市で6人目の名誉市民に選ばれた。
- 2003年1月15日には、天皇・皇后に招かれて歌を詠む召人(めしうど)に選ばれ、新年恒例の宮中歌会始の儀にて、「今もなほ 殿と呼ばるる ことありて この城下町に われ老いにけり」の歌を古式にのっとった節回しで披露された。この時の歌が碑文として刻まれた記念碑が、鶴岡公園(鶴ヶ岡城跡)内に建立されている。
略歴[編集]
- 1917年1月30日、左衛門尉酒井家16代当主の酒井忠良の長男として生まれる。
- 1928年、小学校5年生で写真を始める。
- 1935年、旧制鶴岡中学(現・山形県立鶴岡南高等学校)を卒業する。
- 1954年、宮中歌会始の儀にて、お歌が入選する。
- 1962年、旧庄内藩主 酒井家17代当主となる。
- 1978年、写真集「村里の四季」を出版する。
- 1986年、山形県公安委員となる。
- 1997年、山形県知事表彰(商工団体功労)受賞。
- 写真集「出羽国庄内 農の風景」を出版する。
- 1998年、警察管理運営功労で勲五等双光旭日章を受章する。
- 1999年、学術文化の振興に大きく貢献したとして、鶴岡市で6人目の名誉市民に推挙される。
- 写真集「日本海庄内浜」を出版する。
- 2003年、「召人(めしうど)」に選ばれ、宮中歌会始の儀にて、お歌を披露される。
- 2004年2月28日、肺ガンのため入院先の鶴岡市立荘内病院で死去。享年87。正五位を授与される。
出版物[編集]
- 『村里の四季 - 酒井忠明写真集』1978
- 『日本海庄内浜 - 酒井忠明写真集』東北出版企画 1999
- 『出羽の国庄内 農の風景 - 酒井忠明写真集』東北出版企画 1997 ISBN 4-924611-91-3
受賞(受章)歴[編集]
- 1997年、山形県知事表彰(商工団体功労)
- 1998年、勲五等双光旭日章
- 1999年、鶴岡市名誉市民顕彰
- 2004年、正五位
出典・参考文献[編集]
外部リンク[編集]
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