入江貫一
提供: Yourpedia
2009年11月22日 (日) 18:41時点におけるFromm (トーク | 投稿記録)による版 (新しいページ: ''''入江 貫一'''(いりえ かんいち、1879年(明治12年)3月6日 - 1955年(昭和30年)4月22日)は、日本の官僚。帝室会...')
入江 貫一(いりえ かんいち、1879年(明治12年)3月6日 - 1955年(昭和30年)4月22日)は、日本の官僚。帝室会計審査局長官、貴族院議員等を務めた。
略歴
- 東京府尋常中学、旧制山口高校を経て、
- 1906年(明治39年)7月東京帝国大学法科大学法律学科卒業。7月14日神奈川県属、知事官房兼第一部地方課勤務。11月高等文官試験合格。
- 1907年(明治40年)3月19日内務属、大臣官房台湾課兼地方局勤務。5月1日大臣官房樺太課兼務。10月9日山梨県事務官、内務部学兵課長兼農商課長。12月10日叙従七位。
- 1908年(明治41年)8月29日枢密院書記官兼枢密院議長秘書官。12月11日叙正七位。
- 1909年(明治43年)11月11日叙従六位。
- 1913年(大正2年)2月10日叙正六位。
- 1914年(大正3年)8月29日兼高等捕獲審検所事務官。
- 1915年(大正4年)2月10日叙従五位。
- 1916年(大正5年)4月1日叙勲四等授瑞宝章。
- 1917年(大正6年)8月10日兼法制局参事官。8月叙正五位。
- 1920年(大正9年)9月7日授旭日小綬章。9月14日内閣恩給局長兼枢密院書記官。10月20日叙従四位。12月25日叙勲三等授瑞宝章。
- 1923年(大正12年)4月7日内大臣秘書官長兼宮内省参事官兼法制局参事官兼枢密院書記官。
- 1924年(大正13年)4月9日兼内蔵頭、免兼宮内省参事官。5月31日授旭日中綬章。
- 1925年(大正14年)3月31日免本官専任内蔵頭、依願免兼枢密院書記官。12月帝室会計審査局長官
- 1932年(昭和7年)8月依願免本官。
- 1934年(昭和9年)4月満州国宮内府次長。
- 1939年(昭和14年)7月貴族院議員。
- 1940年(昭和15年)1月恩給金庫理事。9月同理事長。
- 1946年(昭和21年)公職追放。
- 1951年(昭和26年)8月追放解除。
- 1955年(昭和30年)4月22日死去。
外部リンク
- 入江貫一(国立公文書館 アジア歴史資料センター)
- 入江貫一関係文書(MF:山口県文書館蔵ほか)(国立国会図書館)