荒井 退造(あらい たいぞう、1900年 - 1945年6月26日?)は、 戦前の警察官僚。
栃木県宇都宮市出身。巡査をしながら明治大学夜間部を卒業し、高等文官試験に合格。内務省に入省。
1943年沖縄県警察部長。沖縄戦では、知事を支え、沖縄県民の県外・北部疎開や軍との交渉などに当たる。その後、島田叡(知事)と行動を共にし、1945年6月26日、知事と摩文仁の軍医部壕を出たのを最後に消息不明となり、2008年現在もその遺体は未発見である。
2007年、彼の遺品と見られる碁石が県庁壕内で発見された。