高山清司
髙山 清司(たかやま きよし、1947年9月5日 - )は、ヤクザ、指定暴力団・六代目山口組若頭兼中部ブロック長、二代目弘道会会長、二代目髙山組総裁(初代組長)、旧弘田組若頭補佐、元菱心会理事長。
愛知県津島市出身。高校中退後、賭場に出入りするようになり、1967年に三代目山口組 弘田組 佐々木組(名古屋、組長・佐々木康裕(後の五代目山口組若中))に加入。1969年5月に弘田組傘下の組事務所が大日本平和会 山中組小牧支部の集団に襲われ2人が死亡する事件が起きると、同年7月、弘田組若頭・司 忍(司興業組長。後の六代目山口組組長)の指揮で行われた大日本平和会春日井支部長殺害の報復戦に加わり、懲役4年の刑を受けた。この功績により出獄後、佐々木組若頭に就任。1974年に佐々木組が「菱心会」に改称されると引き続き同会理事長を務め、自らの組織「髙山組」を結成した。1976年に弘田組直参となり、1980年には同組若頭補佐に就任した。
弘田組の後継として1984年に結成された弘道会(会長・司 忍)では若頭補佐兼渉外委員長を務め、1989年に若頭に昇格し、五代目山口組若頭補佐を務める会長・司を支えて会の運営に尽力。弘道会を数千人規模の巨大組織に発展させた。
1991年、地元の博徒組織・八代目稲葉地一家の本部長・中村英昭(後の九代目稲葉地一家総裁)と兄弟盃を交わし、永く続いた対立関係に終止符を打った。
2005年1月、髙山組を若頭・竹内照明に継がせて二代目髙山組総裁に就任。同年3月、弘道会2代目を継承して翌4月に山口組直参に昇格。2ヶ月後の6月には山口組若頭補佐に就任し、7月に山口組中部ブロック長を兼任。同年8月には司率いる六代目山口組の若頭に就任し、直参昇格からわずか4ヶ月で山口組ナンバー2にまで上り詰める異例な昇進を果たした。
|
|
|
|
|
|