浅草米兵暴行事件
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浅草米兵暴行事件(あさくさべいへいぼうこうじけん)とは、1951年3月21日に東京都台東区浅草で発生したアメリカ軍兵士を標的とした暴行殺人事件。
事件の概要
1951年3月21日午前3時30分頃、東京浅草国際劇場向かい側にあった、通称「朝鮮マーケット」内の在日朝鮮人経営の旅館に米兵が宿泊していたところ、旅館のオーナーたちと口論になった。その際に米兵1人がハサミで切り付けられ負傷した。他の米兵が負傷した米兵を車に乗せて脱出しようとしたところ、多くの朝鮮人たちに投石された。そして200m進んだところで包囲され、コンクリートの塊を投げつけられるなどして車を大破された。この時に米兵1人が即死している。
所轄の浅草警察署は、警視庁予備隊(現在の機動隊)に出動を要請した。予備隊はただちに現場に駆けつけ暴徒を解散させた。
この事件で米兵1人が死亡、1人が重傷、2人が軽傷を負った。被害者が米兵であることから、ポツダム政令の連合国人に対する刑事事件特別措置令の規定により、アメリカ軍が直接捜査を行い、17人を検挙した。
事件現場について
事件現場となった「朝鮮マーケット」は、当時旧朝連系の在日朝鮮人が牛耳っていた。この事件のちょうど1年前には台東会館事件が発生しており、その際に「朝鮮マーケット」も一斉捜索を受けて逮捕者を出している「いわく付き」の地域であった。
参考文献
- 『毎日新聞』1951年3月22日朝刊・夕刊
- 『朝日新聞』1951年3月22日朝刊