国家

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国家(こっか)は、一定の領域人民に排他的な統治権を有する政治団体もしくは政治的共同体のこと。人民を含む場合と、統治機構に限定する場合があり、前者の場合はと呼ばれることが多い。

国家の語源[編集]

漢語における「国家」は、諸侯が治めると卿大夫が治める家との総称で、特定の境界を持つ支配地・支配民を意味した。対語は、いかなる限定もされない支配地と支配民、つまり「天下」である。また、国家は皇帝と官僚から成る統治機構を意味した。

古代日本では、律令用語としての「国家」は天皇を意味していた。「国家」と書いてミカドと訓ずることもあった。

西欧各言語の語源status(スタトゥス)である。テンプレート:lang-it-shortは「状態」という意味だが、ニッコロ・マキャヴェッリが、テンプレート:lang-it-short「かかる(その、こうした)状態」を 「現在の支配体制」という意味に転用した。マキャヴェッリは「君主論」において「国家」における君主の有様を論じ、「政略論」においてローマ史に即して共和制国家における国民について論じた。この中で「政治共同体がはじめにあり、次いでそれに対応した支配機構が作られる」というそれまでの政治思想の想定を、近世ヨーロッパの現実に即して逆転させた。つまり、「まず支配機構たる国家(stato)があり、それが各々の力に応じて土地と人民を領有する」というモデルである。このようにして、政治共同体の要素をそぎ落として把握した支配機構がマキャヴェッリのいうテンプレート:lang-it-shortであった。

国家の概念[編集]

現代においては、国家とは一定の領域内に住む人間集団が作る政治的共同社会を指す。また、国家の語を、語源に即して統治組織に限定して使うことも少なくない。

日本語においては、通常国民と訳される nation は、団体的側面を強調したり、他 nation との関係を強調したりする文脈で用いられるときには「国家」と訳すことがある。また、ギリシア語の politeia も国家と訳される。例えばプラトン『国家』の原書名はテンプレート:lang-el-short(politeia)という。また、res publicaや、 commonwealthなども国家と訳されることがある。

国家の起源[編集]

国家の起源には諸説あり、定説はないと言っていい。それは国家が、特に現代においては、多様であり、ひとつのモデルで説明しきれないことを表している。しかし、国家を静態的ではなく、動態的に捉えることは非常に重要である。動態的な国家起源のモデルを設定してそれを理念型とすることで、多様な国家の成り立ちをよりよく理解することができるようになるからである。

国家起源の動態モデルの例としてカール・ドイッチュの説がある。

ドイッチュは国家の起源を社会的コミュニケーションの連続性から説明する。彼によれば、国民(nation)とは次の2種類のコミュニケーションの積み重ねの産物である。すなわち、第1に、財貨・資本・労働の移動に関するものである。第2に、情報に関するものである。西欧における資本主義の発展に伴って、交通や出版、通信の技術も発達し、これら2種類のコミュニケーションが進展し徐々に密度を増すと、財貨・資本・労働の結びつきが周辺と比較して強い地域が出現する。ドイッチュはこれを経済社会(society)と呼ぶ。また同時に、言語と文化(行動様式・思考様式の総体)における共通圏が成立するようになる。ドイッチュはこれを文化情報共同体(community)と呼ぶ。日本のように経済社会と文化情報共同体が重なり合う例も存在するが、この2つは必ずしも重なり合うとは限らない。現在でも、複数国家で共通の言語が使われている例は珍しくない。一定の地域である程度のコミュニケーション密度が長期間継続すると、そこは「くに」(country)となる。そして、そこに住む人たちが「民族」(people)と呼ばれるようになる。この「民族」(people)が自分たち独自の政府(government)つまり統治機構(state)を持ちたいと考えた瞬間に「民族」peopleは「国民」(nation)となるのである。people、nationをともに「民族」と訳さざるをえない場合があるのは日本語の社会科学概念の貧困に由来する。ちなみに、民族自決を英語でself-determination of peoplesというのは以上のような思考過程を表すものと考えられる。

こうした「民族」(nation)あるいは「国民」(nation)が実際に政府を樹立し成立するのが「国民国家」nation-stateなのである。

現代における国家は必ずしもこうした理念型に合致するものではない。まともなコミュニケーションの進展も存在せず、それ故、「国民」(nation)と呼べる実体が全く不在の場所に国家(state)だけが存在するという場合もあれば、ひとつの国家(state)の中に異なる政府の樹立を求める民族(nation)が複数存在する場合もある。ヨーロッパにおいては、これまでの国民国家(nation-state)を包括するような大きな主体の出現が議論されている。それに対して、さらに細分化された民族(people)が自らの政府の樹立を望んで国民(nation)となろうとしているようにも見える地域も無数に存在している。こうしたことはEUの発展するヨーロッパにおいても見られる。

静態的な国家論だけでは国家を捉え切ることは非常に困難であると考えられる。

参考文献 Karl W. Deutsch, Nationalism and Social Communication, The M.I.T. Press, 1966

法学上の定義[編集]

法学政治学においては、以下の「国家の三要素」を持つものを「国家」とする。これは、ドイツの法学者・国家学者であるゲオルク・イェリネックの学説に基づくものであるが、今日では、一般に国際法上の「国家」の承認要件として認められている。

国家の三要素[編集]

  • 領域(Staatsgebiet:領土、領水、領空)- 一定に区画されている。
  • 人民(Staatsvolk:国民、住民)- 恒久的に属し、一時の好悪で脱したり復したりはしない。
  • 権力(Staatsgewalt)ないし主権- 正統な物理的実力のことである。この実力は、対外的・対内的に排他的に行使できなければならない、つまり、主権的(souverän)でなければならない。

このモデルにおいては、国家とは、権力が領域と人民を内外の干渉を許さず統治する存在であると捉えられているのである。領域に対する権力を領土高権(Gebietshoheit)、人民に対する権力を対人高権(Personalhoheit)という。国際法上、これらの三要素を有するものは国家として認められるが、満たさないものは国家として認められない。この場合、認めるか認めないかを実際に判断するのは他の国家なので、他国からの承認を第四の要素に挙げる場合もある。

現代的な基準外の国家[編集]

なお、以上のような要件を満たさない支配機構や政治共同体も存在しうる。国家は近代の歴史的産物(近代国家も参照)であり、それ以前には存在しなかった。例えば前近代社会において、しばしば多くの国家が多様な自治的組織を持つ多種多様な人間集団、すなわち社団の複合体として成立し、中央政府機構はこれら社団に特権を付与することで階層秩序を維持していた。こうした国家体制を社団国家と称し、日本幕藩体制フランスアンシャン・レジームが典型例として挙げられる。

こうした社団国家においては個々の社団が中央政府機構からの離脱や復帰を行う現象が見られ、また江戸時代琉球王国が日本と中華帝国もしくは)に両属の態度をとっていたように国民の固定化は不完全であった。当然、社団の離脱、復帰に伴い領域も変動しえた。

さらに権力に関しても、幕藩体制における各が独自の軍事機構を持ち、幕府の藩内内政への干渉権が大幅に制限されていたように、決して主権的ではなかった。

現代社会において近代国家の表看板を掲げていても、アフガニスタンのように内部の実情は複数の自立的共同体が必ずしも国家機構の主権下に服さずに国家体制の構成要素となっている国家は存続している。今日の国際関係は、近代的主権国家間の関係を前提として成立しており、こうした国家の存在は様々な紛争の火種を内包している。さらに、この問題は同時に、近代的主権国家の歴史的な特殊性の問題点を投げかけているともいえる。

国家と対立する、テロまたはテロ国家の概念が、イラク戦争や、アメリカ同時多発テロ以降問題になりつつある。

社会学的な定義[編集]

社会学における国家の定義は法学や政治学とは異なり、国家の権力の中身ではなく、あくまでその形式のほうに向けられている。社会学的な国家(ここでは近代国家)の定義でもっとも代表的なものがマックス・ウェーバーによるものである。ウェーバーは二つの側面から国家を理解していた。第一には、警察や軍隊などの暴力手段を合法的に独占していること、そして第二には、官僚や議員など統治組織の維持そのものを職業として生計を立てる専門家によって構成されている政治的共同体であるということである。この定義を詳しく見ると、以下のようにまとめることができる。

(1)中世のヨーロッパでは、国家は軍事組織をほとんど独占しておらず、戦争は貴族の私兵や傭兵隊などによって賄われるのが通例であり、国家が直接的に訓練・組織化に関わることは少なかった。しかし、17世紀以降の絶対王政と国家間戦争の激化により、王国に排他的な忠誠を誓う「常備軍」を整備しはじめ、次第に底辺の家族や村落の中にまで徴税や徴兵の権力が介入していくようになる。それに伴って、国家に動員される民衆の間には自ずと政治意識や権利意識も生じ始め、国家の利益を直接的に代表するのは世襲身分による王家や貴族ではなく、われわれ平等な「国民」であるという理解が次第に形成され、これが18世紀末以降に革命を帰結させていくことになる。「国民」意識が教育制度などを通じて浸透するようになると、もはや国家が直接的な強制力を行使して兵士を徴収する徴兵制よりも、二次大戦以降には「国民」の中から志願兵を募るという方向へと転換し、軍隊はより一層「専門化」していくことになる。

(2)中世以前の国家は、国王と臣下、領主、都市国家、地域共同体といった様々な中間集団との重層的な関係の中にあり、国家は家族・親族の領域と未分化の状態であった。しかし、戦争の規模の拡大と市場経済化および産業化の波は、国家と個人の直接的な関係と社会の均質的画一化を推し進めるものであり、これらに対応するためには、国家を統一的に運営するためのルール(法律)と、専門的な職業家(官僚・議員)を必要とするようになった。こうして、国家が統治組織として専門分化することにより、統治される対象としての「社会(市民社会)」が自律的な領域として分化していくことになる。

近年は、強力な官僚制と「物理的暴力の独占」を強調するというウェーバーの議論に対して、そもそも国家はそのように堅固な統一性をもった統治組織なのではなく、民意や社会の変動の前に不安定で不統一的なものであるという説明がなされることもある。現代社会を批評する議論の中には、国民国家が既に無意味になってしまったかのように語られることもあるが、社会学の国家論ではほとんど否定されている。

様々な国家論[編集]

脚注[編集]


関連項目[編集]

Wiktionary
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