個人
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個人(こじん 英:individual)とは、1人1人の人(ヒト、人間)、一個体の人をいう。
法律用語としては講学上「自然人」(英:natural person)と呼び(法文上は「人」の場合も「自然人」の場合も「個人」の場合もある。)、法人の対義語である。
もっとも、「個人的な」(personal)「個人的に」(personally)という場合には、自然人に限らないこともある(「株主は、株式会社の債務につき、個人的に責任を負わない。」など)。
個人という訳語[編集]
個人ということばは江戸時代にはみられない。服部徳の『民約論』(1877年=明治10年)には一個ノ人という言葉がみえ、高橋達郎の『米國法律原論』(1877年)には独立人民や各個人々となり、青木匡が訳した『政体論』(1878年=明治11年)では一個人となり、ついに文部省の訳『独逸國學士佛郎都氏 國家生理学(第二編)』(1884年=明治17年)で「個人」という言葉が記述された。これはIndividualの訳語といわれる。
自然人の問題[編集]
人の始期[編集]
自然人の場合、いつから「人」として線引きするのかという線引きをどう解釈するのかは法律を行使していく上で、大きな問題として存在している。
例えば、民法などの私法(民事法)上は、いつから権利能力の主体となるのか(いったん権利能力を享有したのか、一度も享有しなかったのか)が問題となり、刑法上は、いつから殺人罪などの身体・生命に対する罪による客体となるのかが問題となる(殺人罪か堕胎罪か)。
民法学上の通説によれば民法上の人の始期は胎児が母体から全部露出した時であると解されている(全部露出説)。 これに対し、刑法学上の通説によれば刑法上の人の始期は胎児の一部が母体から露出した時であると解されており(一部露出説)、これは胎児が母体から一部でも露出すれば、母体を傷つけることなく直接的に胎児の生命や身体に危害を加えうるため、この時点で人として刑法上の保護の客体とすべきと解されるためである。
人の始期 も参照
人の終期[編集]
反対にどの状態をもって、法律上の「人の死」とするべきかという解釈も大きな問題として存在している。
臓器の移植に関する法律(平成9年法律第104号)の解釈としては、6条が「死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)」と規定している事から、心臓死を前提としながら、臓器移植をする場合に限りドナーの生前の自己決定と遺族の同意を条件として脳死をも人の死と認めるという相対的な概念を採用したと理解される。
なお、民法では一定期間不在であり失踪宣告がされると死亡したとみなされるが、不在者の利害関係人の法律関係を確定させる制度であり、権利能力自体が消滅する訳ではない。
人の終期 も参照
民法での人[編集]
- 第1節 私権の享有
- 出生に始まる(3条1項)。ただし外国人は、法令や条約で禁止される場合を除く。(3条2項)
- 第2節 行為能力
- 第3節 住所
- 第4節 不在者の財産の管理及び失踪の宣告
- 第5節 同時死亡の推定
- 数人が死亡した場合、そのうち1名の生存が他の者の死亡後に不明なとき、全員同時に死亡したと推定する(32条の2)。
関連項目[編集]
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