藤原貞敏
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藤原 貞敏(ふじわら の さだとし、大同2年(807年) - 貞観9年10月4日(867年))は、平安時代前期の官人。琵琶の名手。藤原京家の出身で、参議藤原浜成の孫。刑部卿藤原継彦の第6子。兄弟に広敏・清敏・雄敏がおり、子に良春・晨省がいた。
若くして音楽に耽愛し、好んで鼓琴を学び、琵琶に巧みだった。承和2年(835年)美作掾で第17次遣唐使准判官に任ぜられ、長安で琵琶の名手劉二郎に砂金二百両を贈り妙曲を学んだ。帰国に当たり譜数巻と琵琶2面を贈られた。同7年(840年)三河介になり、その後主殿助・雅楽頭・掃部頭・備中介を歴任し、貞観9年(867年)10月4日に61歳で卒去した。最終官位は従五位上掃部頭だった。
参考文献[編集]
- 近藤敏喬編『宮廷公家系図集欄』東京堂出版、1994年。
- 坂本太郎・平野邦雄編『日本古代氏族人名辞典』吉川弘文館、1990年。