藤原百能
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藤原 百能(ふじわら の ももよし、養老4年(720年) - 天応2年4月17日(782年))は、奈良時代末期の女官。藤原京家の出身。藤原麻呂の娘で、母は当麻氏。兄弟に勝人・綱執・浜成がいた。藤原豊成の妻で、伝説では中将姫の母と言われている。尚侍として、後宮で絶大な権勢を持った。
天平感宝元年(749年)4月、聖武天皇による陸奥国産金の報告のための東大寺行幸の日、無位から従五位下に叙位されて内命婦となった。天平宝字8年(764年)藤原仲麻呂の乱で夫豊成が復権したことに伴い、百能も同年9月に従三位に叙され、尚侍になった。豊成と死別した後も、亡夫の志を守って後宮に供奉し貞固と称され、宝亀9年(778年)8月に正三位から従二位に昇叙されたが、天応2年4月17日に63歳で薨去。
参考文献
- 坂本太郎。平野邦雄編「日本古代氏族人名辞典」吉川弘文館、1990年。
- 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年。