仲野親王
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仲野親王(なかのしんのう、延暦11年(792年) - 貞観9年1月17日(867年2月25日))は、平安時代前期の皇族。桓武天皇の第12皇子で、母は宮人藤原河子(藤原大継女)。平城天皇・嵯峨天皇・淳和天皇らの異母弟で、同母兄弟に安勅内親王・大井内親王・紀内親王・善原内親王がいた。
生涯
弘仁5年(814年)四品に叙される。当時の親王の初叙が18歳であった中で親王の初叙が遅かった理由については不明である。天長7年(830年)大宰帥に任ぜられた。天長10年(833年)に三品に昇叙され、承和9年(842年)弾正尹に任ぜられ、承和14年(847年)に二品になった。嘉祥3年(850年)式部卿になり、仁寿3年(853年)常陸太守を兼任する。貞観3年(861年)上総太守を兼ね、貞観5年(863年)に大宰帥に遷任。翌年の貞観6年(864年)、輦車に乗り宮中に入ることを勅許された。貞観9年(867年)正月17日、76歳で薨去した。山城国葛野郡内(京都市右京区太秦垂箕山町)の高畠墓に葬られた。
幼少の頃から利発で、人柄も寛大だったらしい。藤原緒継から学んだ音儀詞語に詳しく、六条第で藤原基経や大江音人らに音詞曲折を教えたという。息子14人・娘15人の父で、子に平茂世(茂世王)・輔世王・房世王・秀世王・当世王・基世王・潔世王・実世王・十世王・在世王・康世王・則世王・惟世王・宜子女王・班子女王らがいた。娘の班子女王は光孝天皇の女御で宇多天皇の母となり、その宇多天皇が即位したため、外祖父にあたる仲野親王に一品太政大臣が追贈された。
参考文献
- 平野邦雄・瀬野精一郎編『日本古代中世人名辞典』吉川弘文館、2006年。