勘坂康弘

提供: Yourpedia
2022年2月25日 (金) 23:30時点における片岡受之助 (トーク | 投稿記録)による版

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索
焼肉酒家えびす社長 勘坂康弘
 

勘坂 康弘(かんざか やすひろ、1968年8月18日 - )は、株式会社フーズフォーラス(焼肉酒家えびす)代表取締役社長。 住所は、〒920-0363 石川県金沢市古府町南1018 LIVEIN古府D棟

人物[編集]

土下座する勘坂康弘社長

『日本一の伝説となるレストランチェーンを実現』を理念としている[1]

焼き肉チェーン店「焼肉酒家えびす」で4人が死亡したユッケ集団食中毒で、富山、福井両県警の合同捜査本部は2011年5月6日午後、業務上過失致死容疑で、チェーンを運営する「フーズ・フォーラス」(石川)の本社や富山、福井県の店舗、東京都内の食肉卸業者などを家宅捜索する。同社の勘坂康弘社長(43)は2014年度までの東証マザーズ上場を目指してビジネスを拡大。有名ホテルを手本にした経営理念を掲げたものの、急成長に肝心の安全管理がまったく追いついていなかった。

ユッケ用の生肉は、東京都板橋区の食肉卸業者がチェーン店側に販売した。合同捜査本部は卸業者らから詳しく事情を聴くとともに、肉の流通経路などを調べ、集団食中毒の全容解明を進める。

これまでに富山県砺波市の砺波店や福井渕店(福井市)でユッケなどを食べた男児ら4人が亡くなったほか、神奈川、富山両県で34人が入院。うち21人が重症となって いる。神奈川県警も5日、業務上過失致死容疑で捜査本部を設置した。

「本当に申し訳ございませんでした」

5日、同社の勘坂社長は報道陣の前で路上に土下座し、こう声を震わせた。「生食用として市場に流通している牛肉はありません!」などと声を荒らげて弁明した2日の 会見以降、まるで豹変したかのように神妙な態度を貫いている。

勘坂社長は1968年、富山県高岡市生まれ。金沢経済大(現・金沢星稜大)在学中のアルバイトはディスコの黒服。卒業後、高岡市内の商社に入るも2年で退社した。関係者は「そこから独立に向け、派遣社員の給料で月30万円ずつ3年弱の間に1,000万円ためた。当時の貯金術を『とても簡単。使わなければいい』と語って いた」と証言していた。

1998年に同社を設立。社名は「FOOD FOR US」に由来し、「幸せの実現」を企業理念に掲げた。石川など北陸3県で足場固めをした後、昨年、横浜への出店で首都圏進出。2010年末までに北陸で16店、首都圏で4店を展開。業界関係者によると、勘坂社長は2014年度までの東証マザーズ上場を目指していたという。

「店では名門ホテルのザ・リッツ・カールトンが掲げる経営理念を参考にした礼儀作法の『6大行動規範』などを徹底。自らの性格については『石橋を3回たたいて 渡るほど慎重』と評していた。夢は『日本一の伝説に残るレストランチェーン』を築くこと。2020年ごろまでに全国300店が目標だっただけに、当面の課題である上場を焦るあまり、安全面の管理がおろそかになったのではないか」

同社の急成長ぶりは注目を集め、バラエティー番組「人生が変わる1分間の深イイ話」(日本テレビ系)でも取り上げられた。4月18日の放送では、低価格を維持する経営方針などを出演者のタレント・島田紳助らが絶賛。死亡した男児は同17日に福井渕店でユッケを食べていた。

「日本一の伝説に残るレストランチェーン」が目標だった同社。食中毒で4人の死者を出し、日本一注目されてしまったのはあまりに皮肉である。

経歴[編集]

「焼肉酒家えびす」殺人ユッケ社長。金沢市でバイトしながら家賃9万円マンションで生活、妻子とは別れた(2013年)[編集]

2011年春、焼き肉チェーン店「焼肉酒家えびす」でユッケを食べた客から、死者5人を含む181人もの被害者が出た食中毒事件。

当初、「生食用として市場に流通している牛肉はありません!」などと逆ギレしていた勘坂康弘元社長(44才)だが、 死者が出ると「必ず償います」と土下座した。あれから2年が経つが、被害者に対する補償は今もまったく進んでいない。

この事件で次男(享年14)を亡くし、自らも被害にあった富山県内の男性A氏(50才)が憤る。

「勘坂は事件から1か月後に一度謝りに来ただけで、補償は支払われていません」

補償が進まないのはなぜか。同店を運営するフーズ・フォーラス社は、被害者への損害賠償額も含めて17億円にのぼる負債を抱える一方で、手元に残っている資金はわずかしかない。そこで、昨年8月には、“殺人ユッケ”の仕入れ先である食肉卸業者・大和屋商店に約3億1000万円の損害賠償を求める訴訟を起こしたが、この訴訟は異例なものだった。

「フーズ社が被害者にも原告団に加わるよう求めたんです。裁判に勝てば、その賠償金は参加した被害者に分配されます。でも、加害企業と手を組むことになるわけですから、被害者や遺族にとっては複雑です。そのうえ訴訟にかかる費用、数十万円を負担しなければならないわけですから…」(A氏)

結局、ほとんどの被害者がフーズ社の提案を拒否した。しかも、訴訟自体かなり難航しそうだ。倒産したフーズ社の清算手続きを行っている行政書士・大村安孝氏の話。

「大和屋商店は、警察の調べで食中毒の原因が断定されていないことを理由に、“食中毒の原因はそもそもユッケなのか”という事実関係から争う姿勢。裁判が長引いているので、被害者側が仮に勝訴しても、補償金の分配はかなり先のことになりそうです」

当の勘坂元社長はといえば、被害者への対応は清算人に任せきりで、金沢市内の家賃9万円の賃貸マンションで暮らしている。

「妻子とは別れ、知人の飲食店でアルバイトしながら生活しているようです」(地元紙記者)

出典[編集]

外部リンク[編集]