三代目古今亭志ん朝
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三代目古今亭志ん朝(さんだいめここんていしんちょう,1938年3月10日 - 2001年10月1日)は東京の落語家である。本名は「美濃部 強次」。昭和後期から平成期を代表する落語家である。「矢来町の師匠」と言われる。出囃子は老松。
概要
真打まで
東京駒込で1938年(昭和13年)3月10日、五代目古今亭志ん生の次男として生まれる。 3月10日は陸軍記念日で男の子が生まれたことで、父親は大喜びであった。高校時代は外交官か役者になるつもりであったが、1956年(昭和31年)、独協学園高校(現獨協中学校・高等学校)を卒業後、1957年(昭和32年)、父に入門し、「古今亭朝太」の名で初高座にあがる。父の古今亭志ん生と七代目林家正蔵(林家彦六)らに稽古をつけてもらい、1959年(昭和34年)3月、「朝太」のまま二つ目に昇進する。上野本牧亭で「古今亭朝太の会」を開催し「若手落語会」メンバーにもなった。1962年(昭和37年)3月、二つ目から3年の24歳で真打に昇進し「三代目古今亭志ん朝」を襲名する[1]。
真打後
七代目立川談志、五代目三遊亭円楽、五代目春風亭柳朝とともに「若手四天王」と称される。平成8年、落語協会副会長に就任し、後進の育成に力を注いだ。 2001年10月1日、肝臓がんのため、自宅で逝去。享年63歳。
受賞
- 1971年、芸術選奨文部大臣新人賞 「今戸の狐」「宮戸川」
- 1993年、浅草芸能大賞(第10回)
- 2001年、芸術選奨文部科学大臣賞(第51回 平成12年度)
芸風
スピード感のあるテンポの速い語り口、清潔で気品・華やかさを備える芸風であった。細かい描写にも気を配る。
弟子
- 古今亭志ん五
- 古今亭右朝
- 古今亭志ん輔
- 古今亭志ん橋
- 古今亭八朝
- 古今亭志ん太
- 古今亭朝太
- 古今亭志ん駒
- 九代目古今亭志ん馬
参考文献
- ↑ 斉藤忠市郎、保田武宏(1982)『落語全集 第10巻 昭和編5』立風書房