市井三郎
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市井 三郎(いちい さぶろう、1922年 - )は、日本の哲学者、雑誌編集者。成蹊大学教授。『思想の科学』の編集に携わり、1961年頃には編集長を務めた。1962年から思想の科学研究会会長に就任し、新設の思想の科学社で雑誌編集・刊行に携わった。
経歴[編集]
1922年生まれ[1]。
1945年秋、大阪帝国大学理学部化学科を繰り上げ卒業[1]。上京し、GHQに科学論文翻訳官として勤務[1]。
1946年に『思想の科学』の創刊号を読んで市政会館にあった編集部を訪問し、以後、書評の寄稿をしたり、編集に参加したりするようになった[1]。
1961年頃、『思想の科学』の編集長[2]。1962年に思想の科学研究会の会長に就任[3]。成蹊大学で哲学の講義をしながら、高畠通敏とともに雑誌の編集事務一般をこなした[4]。
1962年頃、思想の科学研究会傘下のサークル活動「共同研究 明治維新」の世話人役をつとめた[5]。
1966年春、日本に帰国した鶴見和子を成蹊大学の助教授に推挙[6]。
同年6月30日、全日に行われた米軍機による北ベトナムの首都・ハノイ爆撃に抗議して、鶴見俊輔、いいだもも、渡辺一衛、大野明男らと「非暴力反戦行動員会」として米国大使館前で座り込みを行った[7]。
付録[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 黒川 (2018) 黒川創『鶴見俊輔伝』新潮社、ISBN 978-4104444090