久松晴治
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久松 晴治 | |
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渾名 | |
生誕地 | 日本 山形県 |
死没地 | |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1937 - 1945 |
最終階級 | 憲兵大尉 |
部隊 | |
指揮 | |
戦闘 | |
戦功 | |
賞罰 | |
除隊後 | |
廟 |
久松 晴治(ひさまつ はるじ)は、日本の軍人。最終階級は憲兵大尉。1941年に第2野戦憲兵隊の分隊長としてマレー作戦に参加、1942年2月、シンガポール占領後のシンガポール華僑粛清事件で市内の粛清を指揮した。同年、スマトラ作戦に従軍し、メダン分隊長、コタラジャ分隊長を歴任。1947年4月、シンガポール華僑粛清事件の戦犯裁判で終身刑判決を受ける。
経歴[編集]
以下、特に断わりのない場合の出典は、大西 (1977 124)。
- 山形県出身[1]
- 淮54期
- 1937年 歩兵少尉
- 1940年 憲兵中尉、東京憲兵隊付
- 1941年 第2野戦憲兵隊付、マレー作戦参加
- 1942年 スマトラ作戦参加、メダン分隊長
- 1943年 コタラジャ分隊長
- 1944年 第25軍憲兵隊本部付
- 1947年4月2日、イギリス軍シンガポール裁判で、シンガポール華僑粛清事件により終身刑判決を受ける[2]。