明石美人短大生・岡部三千代さん全裸殺人事件
明石短大生・岡部三千代さん全裸殺人事件(あかしじょしたんだいせい・おかべみちよさんぜんらさつじんじけん)は、1989年、兵庫県明石市の繁華街で起きた性犯罪事件。被害者の女子短大生・岡部三千代さん(当時18歳)は全裸の絞殺死体となって路上に遺棄された。
事件の経過
1989年7月23日午前3時15分ごろ、兵庫県明石市の商店街の路上で、全裸の若い女性が死んでいるのを、通行人が見つけ、110番した。
- 死体は頭を東側にあお向けで、アスファルトの路上に横たわっていた
- バンザイをするように両手をあげ、両足を広げた大の字の格好
- 性器には男の体液が付着
- 首にネクタイのようなもので絞められた跡
- 背中などに引きずったような傷
- 20歳前後
- 身長161cmで、やせ型
- 両手の爪に薄いピンクのマニキュアをしていた
- 髪は約30cmと肩よりやや長い
- 化粧っ気のない、きれいな顔
- 穏やかに眠っているような表情で、人形のようだった
兵庫県警捜査1課と明石署が調べたところ、女性は同市内に住んでいた私立明石短期大学教養学科1年岡部三千代さん(当時18歳)で、現場近くの寿司店調理師、米田和久(当時30歳)の犯行とわかり、同日、殺人、死体遺棄の疑いで逮捕した。米田は「乱暴しようとしたら抵抗されたので、殺害した」と自供した。
自供によると、米田は22日午後11時ごろ、JR西明石駅付近で、福井県人会のコンパから帰宅する途中の岡部三千代さんに声をかけ、JR明石駅近くのスナックで一緒に酒を飲んだ。その後、岡部三千代さんを米田の勤める寿司店に誘い、閉店後の2階座敷に連れ込んで姦淫しようとしたが、抵抗されたため、午前2時過ぎに首を絞めて殺害。犯行が発覚するのを恐れて衣類を脱がせ、同店の西隣の路上に死体を捨てた、という。
凶悪犯・米田和久
米田和久は、神戸市内の中学(飛松中学校)を卒業したあと、焼き肉店店員、トラック運転手と職をかえ、1988年8月から犯行現場となった寿司店に勤めていた。妻と事件の3ヵ月前に生まれたばかりの長女の3人暮らし。色白のやさ男風で、ギャンブルはしないが酒は強く、カラオケの「無錫旅情」が十八番だった。仕事場では、愛想のいい板前との評判が高かったが、半面、マンション近くの住民によると日ごろから口数が少なく、顔を合わせてもあいさつしないタイブだったという。また深夜、仕事が終わったあと、酒を飲んで見知らぬ女性と連れ立って歩いていることもしばしばあったという。
米田は、腕はいいし、人柄もいい。2年前から働いているけど、いまでは店をまかされるくらい信用されていたようです。だからなんであの人が、という感じですよ。
– 近くの商店主
仕事熱心だったし、客の応対も板についていた。店主も一目置いていたのでは。
– 近所の商店主
挨拶もロクにしない陰気な人。
– 近所の主婦
朝10時に店を開けて、夜9時の閉店後にシャッターを閉めるのは、いつも米田でした。だから米田は閉店後、自由に店に出入りできた。ハントをしちゃあ、ラブホテル代わりにあの店を使っていたようですよ。
– 地元記者
いつもブレザーを着てネクタイをぴしっと締めてました。ラフな格好は見たことがないです。それで、顔のほうも、けっこう男前でしょ。かなりもててましたよ。女遊びも相当だったと思いますね。
– 近所の商店主
魚の棚に来て40年になるが、こんな不名誉な事件は初めて。悪い話で魚の棚が全国ニュースになるのは悲しいですね。
– 総菜店主(66歳)
被害者・岡部三千代さん
岡部三千代さんは福井県美浜町出身。身長161cmで髪の長いスリムな美人。3人姉妹の末っ子で、地元の小・中学校から福井県立美方高校に進み、テニス部員として活躍。2年秋の県新人戦で団体準優勝、3年時の春季県総体で団体3位に入った。
男性を意識させない明るい子だった。
– 高校時代の男子同級生
3年間一日も休まずに練習し、いつも日焼けして真っ黒でした。勉強のほうもクラスでトップクラス。
– 高校時代の担任教諭
1989年4月、明石短大に推薦入学。秘書志望で、短大ではジャズダンスクラブに所属し、授業は欠席したことがなく、まじめな学生だった。神戸・三宮のしゃぶしゃぶ店に勤めていた。22日夕、「コンパに行く」といって下宿を出ていた。
いつも明るくほがらかで友達もたくさんいました。大学も4月から一日も休むことなく通っていた、とてもまじめな子でしたよ。
– 下宿の大家
毎週火曜に行われる課外授業のジャズダンスにも必ず出席していた。
– 明石短大事務局長
– 高校時代の担任教諭
明るくて、しっかりした子。男性に声をかけられてもついていくような女性ではない。
– 短大の友人たち
ごく普通の、明るい女の子だった。まさか事件に巻きこまれるなんて。
– 短大の上級生
学校の成績もよく、朗らかで明るい子だった。人に恨まれるような子ではなかった。
– 実家近くの人
アルバイトで帰省が遅くなると聞いていた。殺されたなんて信じられない。
– 近所の人たち
成績も良く、明るい子だった。こんなことになるとは信じられない。同窓生が夏休みにクラス会を計画しており、顔を見られるのを楽しみにしていた。犯人には怒りでいっぱいだ。
– 高校時代の担任教諭
岡部三千代さんの葬儀
事件の知らせを受けた福井県三方郡美浜町の岡部三千代さんの実家では、 電話の応対に出た母親が「10日ほど前に本人から電話があり、いまアルバイトをしているが、 盆には帰ると話していたのに…」と、突然の訃報に言葉少な。父親とともに列車で現地へ向かった。 留守宅では親類や近所の人が、遺体を迎えるため掃除に追われた。
司法解剖を終えた岡部三千代さんの遺体は7月24日未明、福井県美浜町の実家に無言の帰宅をした。 両親に付き添われた棺は玄関から部屋の中に運びこまれ、奥の祭壇に安置された。
7月25日午前11時、実家で行われた葬儀には約100人が参列。家の周辺に飾られた花輪の芳名名札には 「明石短期大学学長福冨芳美」「美方高校テニス部」などの贈り主の名が記されていた。 供花が飾られた祭壇中央の遺影を前に、両親は人目もはばからず泣き崩れたという。
上の2人の姉は家を出ているので、末っ子のミッちゃんが帰ってくるのを楽しみにしていた。
– 知人
やがて出棺の時が訪れた。父親が持つ遺影を先頭に、親族に担がれた岡部三千代さんの棺は自宅を後にする。 喪服姿の短大の友人や、制服姿の美方高校の後輩たちは手を合わせ、ハンカチで涙をぬぐいながら最後のお別れをした。
米田、2年前の全裸殺人事件も自供
警察の取り調べに対し、米田和久は1987年10月、神戸市西区内で起きた女子大生絞殺事件についても、犯行を認める供述を始め、連続殺人事件に発展した。
神戸の事件では、西区伊川谷町有瀬の学生アパートに下宿していた神戸学院大学法学部2年黒田恭子さん(当時20歳)(岡山県出身)が、1987年10月24日午前6時ごろ、アパート近くの空き地で全裸の絞殺死体で見つかった。 2つの事件の共通項は多い。共に一人暮らしの女子大生、絞殺後、全裸で大の字に放置されていたこと、現場を結ぶ距離の近さなど。
裁判
- 1992年5月20日、神戸地裁は1987年の事件について懲役15年(求刑懲役18年)、1989年の事件については求刑通り無期懲役を言い渡した。同一人が複数の罪で裁かれる場合、併合罪として一括審理するのが通常だが、第1の犯行と第2の犯行との間に道交法違反(無免許運転)などの罪で懲役10月、執行猶予2年の刑が確定。禁固以上の確定判決の前と後の犯罪は併合罪を適用できないとの刑法45条の規定からそれぞれ求刑、判決という珍しいケースとなった。