ナショナルショップ
ナショナルショップとは、かつて存在した松下電器産業(現 パナソニック)ほかパナソニックグループ各社(ナショナル・パナソニック・テクニクスブランド)の製品を取次・販売する特約店(電器店)の通称名であった。1957年、日本最初の系列電器店(街の電器屋さん)ネットワークとして発足(当初は松下製品のみを扱う「ナショナルショップ」と他社製品も同時に扱う「ナショナル店会」とに二分されていた)。以後2008年9月まで国内最大の地域電器店ネットワークとして君臨していた(地域電器店の業界団体「全国電機商業組合連合会」加盟店の実に7~8割を占有)。
目次
概要[編集]
パナソニックショップ#概要 を参照 パナソニックショップ#生産から撤退、及び生産体制を以前より縮小した一部パナソニック製品の販売状況 を参照
歴史[編集]
- 古くは戦後、松下幸之助が他社系列の小売店を一軒一軒自らの足で訪ね歩き、松下製品を是非販売してもらえるよう店主達に依頼したことに始まる。この時幸之助が説いた経営理念は「水道哲学」と「共存共栄」であった。
- 幸之助が小売店の店主達に訴えた言葉
- 「消費者に低価格かつ高品質の製品を提供する為には是非ともあなた方の協力が必要だ。その代わり、我々(松下)は決してあなた方を裏切らない。だから、どうか我々(松下)と一緒に頑張って共に儲けようではないか。」
- しかしこの方法ではさすがに時間と手間がかかりすぎるということでのちに問屋・代理店網を組織し、それらを通じ(松下製品販売に)好意的な小売店を松下系列店として組織化。やがて今日の「ナショナルショップ」網が形成されていった。生家が貧乏であるが故に小学校も満足に出ていない苦労人という境遇にも関わらず(持ち前の粘り強さを武器に)社長の幸之助自ら訪ね歩いては「我が松下の製品を一緒に売ろう」と誘う姿勢は多くの店主達に共感を呼び起こし、これが今日における最大の地域電器店網を築く原動力となっていった。
- 幸之助が小売店の店主達に訴えた言葉
- ピーク時には「ナショナル店会」加盟店と併せて全国約5万店にまで成長していたが、後継者難や量販店との競争激化により現在は約1万8千店にまで減少している。しかし現在でも国内最大の地域電器店ネットワークを誇ることに変わりはない。
- 2008年1月10日、松下は(2008年)10月1日を以て社名を(現行の松下電器産業株式会社から)「パナソニック株式会社」へ変更し、日本国内向け白物家電に使用してきた「ナショナル」ブランドも(2009年度中に廃止し)「パナソニック」に統一すると発表された。これに伴い当系列店もナショナルショップから「パナソニックショップ」へ名称変更された。その後の経緯についてはパナソニックショップを参照されたい。
看板及び営業車のデザイン[編集]
発足当初は赤と白の塗り分けだったが、現在は青と白というパトカーに似た塗り分けへと改められ、どの系列電器店よりも目立つようになった。この事もナショナルショップの売り上げ増の一助になっている(但し営業車は全ての店舗が青白のナショナルショップカラーを纏っているとは限らず、新車購入当時のまま無地=覆面パトカースタイルで使用されている店も多い)。各店の看板はナショナルが赤あるいは朱地に白抜きで「National」と、パナソニックは青地に白抜きで「Panasonic」とそれぞれ表記。またシャッターにはかつてカラフルな絵が描かれていたが、現在は白地に青で「National/Panasonic+店名ロゴ・電話番号・営業時間・定休日」という表記が一般的である(全ての店舗が店休時にシャッターを閉めるとは限らず、カーテンやブラインドを閉めるのみの店舗もある)。マスコットキャラクターは「パナ坊」(かつては「ナショナル坊や」)。営業車にこの「パナ坊」が描かれている店舗もある。
売り上げを増加する為の促進支援[編集]
後継者育成及び人材募集[編集]
松下電器創業者の松下幸之助は、(高度経済成長期の課題である)後継者が足りないという店主達の声に応え、次代のナショナルショップ経営を担う人材を養成する学校「松下電器商学院(現:松下幸之助商学院)」を滋賀県草津市に創設した。これは同業他社には無い取り組みで、以後ナショナルショップは今日まで他社系列店を圧倒するネットワークを形成していく事となる。
また2004年4月1日からは(松下商学院における育成に加え)関連企業の松下エクセルスタッフが次代を担うナショナルショップ従業員を随時募集。新卒・第2新卒採用の他、量販店・他業種店・他職種・他接客業経験者の中途採用も行っている(応募者・採用者の平均年齢は30歳に近い)。
応募はまず松下エクセルスタッフサイトに自己経歴等の情報を登録。その後面接による選考を経て最寄りの店(希望勤務地・店舗は応募時に選択可)で3ヶ月間の派遣勤務(試用期間)となり、この間に即戦力として店に馴染めるか否かを本人及び雇用主が判断。両者の同意が得られて初めて正社員としてナショナルショップに就職という形になる。資格は運転免許(第一種普通自動車)を有している事以外不問で、採用後に松下グループ各社が行う諸研修制度(スキルアップ・国家資格取得支援・商品知識等)が充実。勤務先のナショナルショップにおいて長年に亘る営業実績向上が(上司・同僚・先輩・顧客・松下グループ関係者等に)認められれば、将来独立して自前の店舗(ナショナルショップ)を新規開業出来る可能性が開ける(詳しくは下述)。
パナック(PanaCC)[編集]
「パナック」は、1989年4月1日より施行された新スタイルのナショナルショップで、他のナショナルショップより高品位の様々な優遇制度が利用できる優良店のことである(Pana Community Clubの略、英字表記「PanaCC」)。この制度開始以降、店の移転・新築・増床を機にパナックチェーンに新規加盟するナショナルショップは増加した。
この「パナック」チェーンに加盟すると、松下電器のマーケティング部門スタッフ「スーパーアドバイザー」による指導の下、定期的に決算・売上報告書を作成・提出すると共に、正規の店員に加え「パナレディー」と呼ばれるパートあるいはアルバイトの女性スタッフを若干名採用し、ナショナル・パナソニックフェア開催時期を中心に自店の商圏内へ情報誌(特選品カタログ「おみせ」など)を配布している。パナックチェーン加盟店は松下電器のマーケティング部門が独自に開発した専用の管理ソフト「パナ情報Vシステム」を導入して各種(顧客情報等の)管理を行うことが義務づけられており、自ずと店舗経営の高度化が図れる仕組みとなっている(以上の仕組みは後述の「スーパープロショップ」も同様)。
またパナックチェーンは品揃えの多さ・豊富さよりも快適な店づくりを重視する「生活提案型」のデザイン・空間を採用。店舗内がゆったり広々としており、一般家庭を訪問した時のようなくつろいだ雰囲気の下で顧客との商談等がしやすく、さらに車椅子など身体の不自由な方でも来店しやすい快適空間となっている(殆どの「パナック」チェーンではお客様用正面出入口に自動ドアを導入)。
なおこれ以前、ナショナルショップ側と松下マーケティング部門側との間で生じていた軋轢(ショップ側は「量販店ばかり優遇しすぎ」、松下側は「店が汚くて狭く、かつ売る努力をしていない」という文句の押しつけ合い)を解消する目的から、快適空間への店内改装奨励や社員研修を充実させる「変身ショップ」制度を山下俊彦社長と佐久間昇二家電営業本部長(いずれも当時)が1984年より始めており、「パナック」はこれを継承・発展させたものである。
スーパープロショップ(SPS)[編集]
パナソニックショップ#スーパーパナソニックショップ(SPS) を参照
SPS認定店に対する特典[編集]
TVハウス[編集]
- 上記「SPS」認定店のうち地上デジタル製品についてのサービス・知識が特に充実しているナショナルショップは「TVハウス」に認定されており、全国に約100店ある(2007年4月現在)。黄色の「TVハウス」看板とスタッフジャンパーが目印。
- なおこの制度はパナソニックコンシューマーマーケティングLE北海道・東北社管内で始まったのが最初で以後全国へ拡大。今後も「TVハウス」認定店舗を順次増やしていく予定。
リフォームパートナークラブ[編集]
この制度は近年需要が高まっているオール電化へのリフォーム相談に気軽に応じてくれる店である事を認定するものである。ナショナルショップ各店では近年需要が高まっているエコキュートやIHクッキングヒーターの半数以上を販売している他、オール電化切替工事やオール電化住宅建て替えの見積・設計・施工をパナホーム・(売り上げの約7割がナショナルショップ経由となっていた)松下電器ホームエンジニアリング(現 パナソニックホームエンジニアリング)など松下グループ各社と合同で行っていた。