八阪丸
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八阪丸(やさかまる)は、日本郵船が所有していた貨客船。1914年に竣工し、欧州定期航路に就航した。第一次世界大戦中の1915年に地中海で魚雷攻撃を受け、沈没した。
建造
船主・船名
性能
航路
- 欧州定期航路に就航した[2]。
八阪丸事件
- 1915年12月21日に、地中海のポートサイドの手前でドイツの潜水艦による魚雷攻撃を受け、沈没した[6]。沈没まで1時間足らずだったが、乗員乗客は迅速に批難して被害者はなく、乗組員の適切な処置が賞賛を受けた[7]。
金貨の引揚げ
- 沈没の際、船には横浜正金銀行ロンドン支店が本店に送った1ポンド金貨20箱(10万枚)が積まれており、事故により横浜正金銀行には東京海上保険から保険金100万円が支払われ、金貨の所有権は同社に移った[8]。
- 1925年に東京商船学校出身の片岡弓八は、金貨の引揚げを計画し、同年5月2日に門司を出発して同年6月2日にポートサイドに到着、同月4日から捜索を開始し、同年7月8日に本船の残骸を確認した。片岡は同年8月8日までに金貨99,991枚を回収して捜索を終了し、円貨換算額の8割にあたる938,412円を成功報酬として受け取った。捜索の模様は連日、新聞各紙で報道された。[8]
姉妹船
参考文献
- 野間(2008) 野間恒『増補 豪華客船の文化史』NTT出版、2008年、ISBN 9784757141889
- 松井(2006) 松井邦夫『日本商船・船名考』海文堂出版、2006年、ISBN 4303123307
- 日本郵船(2005) 日本郵船歴史博物館(編)『日本郵船歴史博物館 常設展示解説書』日本郵船、2005年
- 日本郵船(2004) 日本郵船株式会社広報グループ『航跡 日本郵船創業120周年記念』日本郵船、2004年
関連文献
- 宇野素水『八阪丸の最期』旭堂、1916年、NDLJP:948346
脚注
- ↑ 松井(2006)p.34。松井(2006)p.7では、大正元年(1912年)後半に完成した、としている。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 松井(2006)p.7
- ↑ 松井(2006)p.7。漢字表記に揺れがあり、松井(2006)pp.7,34、日本郵船(2005)p.41および宇野素水『八阪丸の最期』では「八阪丸」、日本郵船(2004)p.59では「八坂丸」と記している。八坂神社に因んでいることからすると「八坂」の方が正しい可能性もあるが、用例の多い「八阪」によった。
- ↑ 野間(2008)p.135
- ↑ 松井(2006)p.34
- ↑ 日本郵船(2005)p.41、日本郵船(2004)p.59
- ↑ 日本郵船(2005)p.41
- ↑ 8.0 8.1 日本郵船(2004)p.59