暴力

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暴力(ぼうりょく、Violence)とは他者の身体財産などに対する物理的な破壊力を言う。

概説[編集]

すべての人間身体には現実の世界に具体的に働きかける能力があり、この能力が他者の意志に対して強制的に加えられると暴力となる。[1]哲学者のエマニュエル・レヴィナスは人間関係に原初的に存在するものが暴力であると論じた。二者だけの人間関係に友好は不可欠なものであるが、別の誰かとの親密な関係が発生すれば二者の関係は相対化され傷つけられ、友好関係だけではなく対立関係が形成されうるようになる、と指摘した。[2]

暴力は殺人、傷害、虐待、破壊などを引き起こすことができる力であり、また二次的な機能として強制や抵抗、抑止などがある。人間の暴力性については心理学抑圧の発露、押さえつけられたルサンチマン、生体に宿る破壊衝動(デストルドー)として説明がなされることもある。動物行動学の立場から進化の産物であるとする説明が有力である。捕食者や外敵からの防御、雌を巡る雄の性淘汰の争い、群れの序列を巡る争いなどを経て、身体能力を高める。チンパンジーには子殺しも認められる。また攻撃性には明らかな性差が認められる。生化学の分野では男性ホルモンテストステロン[3]の関与が指摘されており、軍人警察官、さらに殺人犯の過半数が男性で占められている事実がそれを裏付けることができる。

暴力は人間の尊厳や人権を脅かすものであり、人道主義平和主義の立場ではあらゆる対立は非暴力的な手段によって理性的に解決されるべきという社会の規範が示される。しかしながらその規範が実施されるとは限らない。そのために暴力に対抗することが必要となる。しかしこれは暴力と非暴力、善悪の対立ではありえない。暴力に実質的に対抗できるのは同等の暴力だけである。[4]つまり暴力を統制するためにはより強力な暴力、すなわち組織化された暴力(Organized violence)が社会の中で準備されなければならない。軍隊警察がこれに当たり、社会学者マックス・ウェーバーはこれらを権力の根本にある暴力装置と位置づけた。

形態[編集]

暴力は多様な形態を示す。

行使の当事者が、正当な権利の行使である、あるいは報復や正当な懲罰行為であると主張するが、他方からは正当性が認められないという事態が起こりうる。特に国家間の軍事力の行使では、こうした意見の対立が多く見られる[5]

暴力が現れる場面・暴力をふるう者

歴史的に見て、暴力はいつの時代にも存在していた、と言えよう。

人類の歴史を見ると(一部の例外的な地域・時期はあるにしても)概して、戦争は絶えたことが無い。歴史的に見て、兵士が兵士に対して暴力をふるうだけでなく、一般の住民(非戦闘員)の財産・金品を略奪したり、必然性も無く殺したり(殺人)、婦女暴行強姦を行っている事例は枚挙にいとまが無い[6]。(→ 戦士武士兵士軍人などが行為主)。

国家の政治権力を掌握している側の者が、国内の人々に対して暴力をふるうことがある。そのような暴力としては、人権蹂躙抑圧などといったタイプのものから、殺人・大量殺戮(さつりく)といった過激なタイプのものまで様々なバリエーションがある。過激なほうの例としては、粛清が挙げられる[7] (→ 国家元首権力者役人官僚行政政府などが行為主 )

また既成権力に属していない側の者、権力による暴力を受けてきたと受け止めている側(体制側から見た場合のいわゆる"反体制勢力")によっても報復的あるいは防御的に暴力が行われることがあり、顕著な例では革命独立戦争テロリズム[8]などとなって表れる。(→ごく普通の人々・民衆、一般国民・一般市民、極右極左テロリストなど)

他人の財産を奪おうとする者が暴力を振るうことがある、ということは古今東西変わらない(→ 強盗など)。世界的にはマフィア、日本では暴力団のように、様々な形で暴力行為を継続的に行っている組織も存在する(→ マフィア暴力団員)。

現代の一般家庭の一部においても暴力が行われていることがあり「家庭内暴力(ドメスティックバイオレンス、DV)」と呼ばれている。 その中でも配偶者による暴力は「配偶者による暴力」と呼ばれることがある(→配偶者)。児童を虐待することは「児童虐待」と呼ばれている(→ など)。逆に年配の人を虐待することは「高齢者虐待」と呼ばれている(→ など)。 また家庭と同様に閉鎖的な共同体である宗教団体(既成、新興に限らず)の一部でも暴力が行われている場合がある[9]。また、企業の内部でも、弱い立場の従業員に対して、陰に陽にさまざまな暴力が行われていることがあり、それらの中には最近では「パワーハラスメント」という用語で捉えられるものもある(→ 雇用主上司)。学校内で、主として生徒によって行われる暴力は「校内暴力」(スクールバイオレンス)と呼ばれている(→ 生徒)。学校内では、教師などが、生徒に体罰という名の暴力をふるうこともある(→教師上級生)。

暴力に対する評価や対処[編集]

歴史的に見れば、他人を暴力によって支配しようという傾向は、正常な状態ではないとされるようになってきている傾向がある、と言えよう。例えば、現在の日本では、身体的・心理的暴力は、傷害罪などの罪に問われる場合がある。(詳細は下記「日本の関連法規」)

また、近年の研究によって、暴力の行使は、行使された側(被害者)に、PTSD等の心理的ダメージを後々まで残すことが多いことは世界的に知られるようになってきた。

昇華[編集]

暴力をいくらか生産的な面に転じる働きを昇華という。攻撃衝動は昇華としてスポーツに向けられるし、芸術の分野ではハードボイルド小説ミステリーロマン主義の一部などが挙げられる。

ただ、わいせつなど性描写と並んで表現の自由に絡みがちな面はあり規制には賛否を引き起こしやすい。過度の規制は慎むべきだというのが良識的な意見だが、どこまで規制できるかはしばしば裁判で争われる。

日本の関連法規[編集]

暴力の行使は刑法では、傷害罪暴行罪強要罪強盗罪恐喝罪器物損壊罪決闘罪などとして処罰される可能性がある。刑法以外では、暴力行為等処罰ニ関スル法律航空機の強取等の処罰に関する法律迷惑防止条例などがある。

暴力の無い状態:平和[編集]

暴力的な政治的活動が行使されない状態、争いがなく穏やかな状態等を一般に平和と呼ぶ。

脚注[編集]

  1. アーレントは人間は個人として力を持っており、権力は他者の同意に基づいて加えられる力だが暴力は他者の意志に反して加えられる力だと位置づけている。中山元『思考の用語辞典 生きた哲学のために』(ちくま学芸文庫、2007年)450項を参照されたい。
  2. 中山元『思考の用語辞典 生きた哲学のために』(ちくま学芸文庫、2007年)454項
  3. 筋力増強剤としてスポーツ選手に投与されるドーピングが問題になる物質。
  4. 暴力の対抗としての反暴力については、山崎正一、市川浩著『現代哲学辞典』(講談社、1970年)559項を参照した。
  5. 近年の国家間によるものではないテロリズムなどに関して、そのような意見対立が多く見られる。また、パレスチナ問題でも同様の問題が見られる。
  6. 大量虐殺の項も参照可(あくまで一例として)。
  7. 最大規模のものは、スターリンによる大粛清である。その当時は実態や規模が把握されておらず、現在も正確な数は不明であるが、後の諸研究によると、実は数百万人単位の人間が殺されていたとされている。(把握しやすい数字、すなわち短期間に限定した統計的な記録で、直接的に殺したと判明している人数だけでも約130万人とされており、さらに期間を広げ、かつ社会的抑圧や飢饉(「構造的暴力」も参照)で死亡した人数まで含めれば、その数は数倍に膨れ上がるともされているため)
  8. テロリズムには、特定の権力者に直接に向けられるもの、体制全体に心理的圧迫を与えて何らかの政策を止めさせるために無差別に人を狙うもの、などのタイプがある。(テロリズムテロ事件の一覧などが閲覧可)
    近年になると国家といったような明確な対象を持たない暴力も目立って来ており、いわゆる"環境テロ"といったものも挙げられる。
  9. マインドコントロールのために行われている場合もある

関連項目[編集]

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