坂本直衛
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坂本 直衛'(明治17年(1884年)2月10日 - 大正10年(1921年3月11日))は明治時代から大正時代にかけての一般男性。
家族・親族[編集]
坂本龍馬の甥でその名跡を継いだ坂本直の子。母は留。兄に直樹(夭折)、義兄弟(父の養子)に兼次郎がいる。坂本龍馬家の当主の1人で龍馬から数えて3代目にあたる。 龍馬とは大叔父と大甥の関係で、父の直が龍馬の養子となったため、義理の祖父と孫でもある。
生涯[編集]
明治17年(1884年)2月10日に坂本直・留夫妻の次男として誕生。 明治31年(1898年)11月7日に父が死去すると家督を15歳で継承。翌明治32年(1899年)に母である留と共に、北海道の浦臼町に移住する。 大正10年(1921年)3月11日に太平洋上で海難事故に遭い不慮の死を遂げた。享年38歳。4年前の大正6年(1917年)に建立された「坂本龍馬家の墓」に葬られた。
死後[編集]
生涯独身であったため、子が無く、龍馬の系統は直衛の代で一旦断絶した。昭和16年(1941年)に父の弟坂本直寛の長男・直道(1892年 -1972年)が家督を継承し、龍馬の系統を再興させた。しかし、この系統も直道の1男1女(直臣、寿美子)が子を成さなかったため、断絶。現在に至るまで坂本龍馬家は再興されていない。
系図[編集]
(直線は実子、二重線は養子)
- 直柔(龍馬)=直‐直衛=直道(直寛の子)-直臣(夭折)
龍馬から数えて5代目の直臣とその妹である寿美子の代で龍馬の系統は断絶している。