直江状

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直江状(なおえじょう)とは、慶長5年(1600年)4月14日に上杉景勝の重臣・直江兼続徳川家康に対して出したとされる書状。この書状が原因で家康が激怒し、諸大名を招集して関ヶ原の戦いの遠因となる会津征伐を引き起こしたとされているのがこれまでの通説である。

経緯[編集]

慶長3年(1598年)8月18日に豊臣秀吉が死去。次の天下人として関東で250万石を支配する豊臣政権五大老筆頭の徳川家康が台頭する。それに対して同じく五大老として会津に120万石を支配する上杉景勝は反発し、慶長4年(1599年)8月22日に会津に帰国すると、会津若松城に代わる新しい城として神指城会津若松市神指町)の築城を開始する[1]。さらに領内にある諸城の普請をはじめ、道路や橋の整備、武器の調達など公然とした軍備増強を行ない出した[1]。神指城築城の総責任者は直江兼続、奉行は大国実頼甘粕景継らであった[1]。しかしこの景勝の行動は近隣の諸大名、すなわち越後春日山城主・堀秀治出羽角館城主・戸沢政盛らにより家康に逐一密告されていた[2]。また景勝の重臣で津川城新潟県東蒲原郡津川町)の城代であった藤田信吉が家康との和戦を巡って直江と対立して家康の下に走り、景勝の謀叛を訴えた[2]。ここに至り、家康は景勝の下に使者を送ると共に、直江と親しい京都相国寺豊光寺京都市上京区今出川通鳥丸東入)の西笑承兌を通じて景勝の上洛を促した[2]

この西笑承兌の書状に対して、直江は4月14日に16か条にわたる「直江状」を送って返書とした[2]。直江状の内容は後述するが、要約するなら景勝の上洛は拒否する、すなわち家康と公然と敵対するということを表明したようなものであった。なおも家康は景勝に対して上洛と謝罪を要求したが景勝は応じようとせず、家康は6月18日に景勝の行為は豊臣政権に対する謀叛であるとして会津征伐を決意[3]。6月18日に伏見城を出陣して居城の江戸城に戻り、7月21日に江戸城から出陣して会津に向かうことになる[3]

直江状の内容[編集]

  • 景勝がすぐ上洛しないことについて不審な点が多いと言われますが、一昨年(慶長3年)国替え、次いで上洛し、昨年8月に帰国したばかり。それなのにまた上洛せよとのお言葉、国の仕置はいつしたらよろしいのでしょうか。当国は雪国で10月から2月までは何事もできません。当国をご存知の方々にお聞きになれば、よくわかります。上洛しないのは、謀叛の企てがあるからだと言われますが、とんでもない誤解です。
  • 景勝は去去年(慶長3年)以来、内府公(家康)に別心なき起請文を数通提出しています。にも関わらず、反故にされてしまいました。それなのに、重ねて必要でしょうか。
  • 太閤(秀吉)様以来、景勝は律儀の仁(者)と言われてきました。今も変わりがありません。世上の朝変暮化(朝改暮変)とは違います。
  • 景勝の心中は、毛頭別心ないのに、なぜ讒言者(堀秀治ら)を糾明しないで、景勝を逆心と決め付けるのですか。
  • 増田長盛と大谷吉継には所用の件を申し上げます。榊原康政は表向きの取次です。もし景勝の逆心が明らかであるならば、景勝に意見するのが侍の筋目であり、内府(家康)様に対する忠義であると思います。それなのに、讒言を言いふらす堀秀治の意見を取り入れ、景勝の申し開きを退けられてしまいました。重ねて分別を望む次第です。
  • 武具を集める事が謀叛の企てになると仰いますが、上方武士茶碗、炭取、瓢などをお集めになるのと同じです。田舎武士が鉄砲弓矢を集めるのは風俗の違いとお思いください。
  • 景勝の行動がご不審とあれば、実際に会津へ下向されれば、お分かりになるはずです。

偽書の可能性[編集]

この直江状は現在では偽書、あるいは後世の創作とされている。まず、直江状の原本が存在していない[3]。『古今消息集』と『上杉家御年譜』に収録されているだけである[3]。さらに当時としては敬語の使い方や内容等にも疑問が持たれていて、後世の偽作ではないかと疑われている[3]

脚注[編集]

  1. 1.0 1.1 1.2 『大谷吉継のすべて』 新人物往来社 2000年、32頁
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 『大谷吉継のすべて』 新人物往来社 2000年、33頁
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 『大谷吉継のすべて』 新人物往来社 2000年、36頁

参考文献[編集]

外部リンク[編集]