細川千太郎
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細川 千太郎(ほそかわ せんたろう、生没年不詳)は、江戸時代末期(幕末)の武士。箱館新選組の第2分隊平士。名は勝三郎、仙太郎とも[1]。
略歴
島田魁の『台場降伏人名簿』によると「生国山城淀当時並士官」と記録されている。つまり山城国淀藩の出身で、最初は歩兵であったが戦功を立てて「取立士官」により箱館新撰組において士官(士分)に取り立てられたのである。新撰組に入隊するまでいつ、どこの戦争に参加したかは不明であるが、山城淀の出身であることから鳥羽・伏見の戦いなど戊辰戦争には参加していたと推測されている[1]。
明治政府の記録では「西組二番」の一員として箱館市中の取り締まりを務めていたとある(『明治2年(1869年)1月の官軍探索書『箱館警備者リスト』より)。官軍の箱館総攻撃により5月15日、弁天台場で降伏した[1]。以後、謹慎生活を送り、10月24日に東京府に移送される[1]。