香辛料
香辛料(こうしんりょう、英語:Spices)とは調味料の一種で、植物から採取され、調理の際に香りや辛味、色をだすものの総称である。食事をおいしくしたり、食欲を増進させたりする。香料として食品に添加されるものも多数ある。
目次
概説
料理に香辛料を加えることにより、味に変化が生まれ、おいしく感じさせたり食欲を増進させる効果がある。独特の臭みを持つ食材に対しては、臭み消しとして利用される。ひき肉に対するナツメグや、魚に対するショウガなどがその典型的な例である。臭みが感じられなくなるおかげで、素材の旨味が引き立つ。
また香辛料は、匂いの強い食品や保存による腐敗臭を抑える効果がある。このため、胡椒などは大航海時代の保存食に必要な素材として珍重され、同時に輸入や生産地の確保が航海の主要な目的の一つとなった。香辛料は一般に防腐、殺菌作用が強いと信じている人は多いが、必ずしもそのような効果を持つとは言えない。
ほとんどの香辛料は、植物の実や種子や球根そのものや、それらを乾燥させたもの、乾燥の後に細かくしたり粉にしたものである。たいてい少量で強い効果を持つので、家庭用には10cm程度の大きさの小ビンに入れられて売られていることが多い。
香辛料の味や効能を特徴づける成分には、テルペン類、フェニルプロパノイド、アルカロイドなどがある。多様なアルカロイドのうちには生物活性が強いものが多く、毒物になっているものもある。
英語ではspiceといい、日本でも香辛料を「スパイス」と呼ぶことが多い。香辛料が料理の味に特徴を加えることから転じて、物事にちょっとした特徴を加えて目立つようにしたり気の利いたものにすることを、「スパイスを利かせる」と表現することがある。
香辛料と歴史
インドにおいては紀元前3000年頃からすでに黒胡椒やクローブ等の多くの香辛料が使われていた。
ヨーロッパの人々の多くは、古くから肉や魚を多く食べていたが、内陸まで食材を運んだり冬期に備えたりするために肉や魚を長期保存する必要があった。クローブや胡椒などには高い防腐作用があると考えられたため、食材の保存には欠かせないものとなった(実際には胡椒の防腐作用は小さい)。また、腐敗を防止する効能により、その香りが病魔を退治すると信じられており、香として焚いて用いる用途も多かった。さらに、水がそれほど豊富でない地域では、体の洗浄不足と肉食が相まって体臭が問題になり、このことが香辛料の強い香りを求める要因にもなった。
クローブ、ナツメグなど一部の香辛料はインドネシアのモルッカ諸島でのみ産出した。また胡椒はインド東海岸やスマトラ島で多く生産された。このため、これらの地域と交易を行なって香辛料を手に入れることが、国を保つために大事なこととなった。すなわち、香辛料がヨーロッパの人々を世界進出に駆り立てた。造船技術や天文学などの科学技術の発達によって長期の航海が可能となった時、大航海時代の幕が開けた。ヨーロッパ人は大挙して新大陸やアジアに進出し、植民や、現地住民に対して略奪、虐殺、強制を伴ったキリスト教への改宗を実行していった。
古代ローマ時代には東洋の香辛料がインド経由でヨーロッパに輸出されている。中世にはムスリム商人がインド洋における香辛料貿易を独占し、ヨーロッパではヴェネツィア共和国がエジプトのマムルーク朝やオスマン帝国からの輸入を独占した。ポルトガルはヴェネツィアの香辛料貿易独占を打破するために喜望峰経由のインド航路を発見し、貿易を独占しようとした。(ポルトガル海上帝国参照。)
このように、当初は東側に向けて香辛料を求める進出が続いたが、貿易の主導権の争いは熾烈なものとなっていったため、一部の人たちは西側にも目を向けるようになった。クリストファー・コロンブスもその一人で、1492年にスペインから西に出帆した。結局のところ、彼は香辛料の主産地であるインドやインドネシアには到達できなかったが、アメリカ大陸に到達し、その存在をヨーロッパ人に知らしめた。彼の目的地がインドであったことは、当初アメリカ大陸をインドと勘違いし、そこに住む先住民を「インディオ」と呼んだことに色濃く残っている。この呼称は現在に至るまで残っている。
17世紀に入ると、オランダがアジアに進出してポルトガルと争い、モルッカ諸島やスマトラ島を直接支配下に置いた。近代になると香辛料は各地で栽培されるようになり、貿易における重要性は薄れる。
日本と香辛料
古くは古事記中に「はじかみ」(波士加美、波之加美)に関する記述が見られる。 これは当時の日本に知られていた香辛料類、すなわちショウガやサンショウを指す総称であった。
東大寺正倉院に遺る献納目録『種々薬帳』(756年)には舶来生薬類の名が多く記載され、中には「胡椒」「畢撥(ヒハツ)[1]」「桂心(=桂皮)」などの名も見られる。
目録の名からもわかるとおりこうした香辛料類はまず薬品として日本にもたらされ、種類によってはその後長期にわたって漢方薬の材料などに使われたのであったが、いっぽうで、ヨーロッパのようにこれらを料理に用い、さかんに輸入・消費していくような気運は、結局日本では生まれなかった。
その背景には日本人が肉食をほとんど行わなかったこと、また発酵調味料を積極的に利用したことなどから、香辛料への潜在的需要が本来低かったということが大きい。
とはいえ中世期になると、より身近な地産の草菜類を利用して、「薬味」「加薬(かやく)」などの概念が発展しはじめる。
江戸時代には日本料理でも薬味の使用が発達しはじめ、当時の料理書『素人包丁』には、「鯛飯」の項に「加益(カヤク)はおろし大根、ネギ、のり、とうがらし」と記されている。大根・葱・紫蘇・芥子・生姜・山葵といった香辛料が特に薬味として好まれ、多用された(特にネギは日本料理に欠かせない存在となり、ダイコンは大根おろしなどの形で大量に用いられた)。そのほか、料理書には山椒、ゆず、肉桂(シナモン)などを使った例がいくつかみられた。胡椒も一時期、うどんの薬味として使われた事があるが、唐辛子の普及により廃れた(近畿などでは現在でも胡椒が用いられている)。その唐辛子はかなり普及し、日本独自のブレンド香辛料である七味唐辛子も登場したが、これらはいずれも風味付け程度の少量の利用にとどまった。
大正時代の頃になるとカレーライスを食べさせる店などが少しずつ創業するようになり、刺激の強いカレーの味覚も少しずつ日本人の知るものとなっていった。また、カレー粉はいちはやく家庭に普及したブレンド香辛料である。
第二次世界大戦後は生活の洋風化がすすみ、さまざまな香辛料の輸入量も増加の一途をたどった。経済成長を経て社会が豊かになると、本格的な欧風料理やいわゆるエスニック料理などを広くたのしむようになり、現在では様々な香辛料類が家庭内にも常備されるようになっている。
安全性
医薬品との相互作用
幾つかの香辛料には医薬品の作用を強くしたり、逆に作用を弱めるものがあることが知られている。食品の例では「納豆と抗凝血薬」の組合せはビタミンKとワルファリンの相互作用として、「グレープフルーツ果汁とCa拮抗薬」の組合せは薬物代謝酵素シトクロムP450 (CYP)の阻害の相互作用として知られている。香辛料では黒胡椒、白胡椒、シナモン、メース、ナツメグなどはシトクロムP450(CYP3A4)またはCYP2C9を阻害する成分を含む[2]が、医学的な研究は不十分である。
微生物による汚染
香辛料の独特の臭気(香り)の多くは、加熱により揮発あるいは変質してしまう。従って、多くの場合、生産から流通の各段階において加熱殺菌(滅菌)は行われない。その為、食中毒の原因となりうる微生物が混入している場合がある[3]。日本では認可されていないが、アメリカ合衆国、カナダ、全EU加盟国、オーストラリアなどでは放射線などの食品照射処理により殺菌処理した物品が流通している。
代表的な香辛料
単一の素材のもの
- アサフェティダ(ヒング)
- アジョワン
- アニス
- オールスパイス(百味胡椒、三香子)
- オニオン(玉葱)
- オレガノ(花薄荷)
- カホクザンショウ(華北山椒、花椒)
- カルダモン(イライチ)
- カレーリーフ(南洋山椒、カリ・パッタ)
- キャラウェイ(姫茴香)
- クミン(ジーラ、キュマン)
- グリーンペッパー(緑胡椒)
- クローブ(丁字、ローング)
- コショウ(ペッパー、カリ・ミルチ、サフェダ・ミルチ)
- コリアンダー(ダニヤ、香菜、パクチー、コエンドロ)
- サフラン(ケサル、番紅花)
- サンショウ(山椒)
- シソ(紫蘇)
- シナモン(肉桂、ダルチニ)
- ショウガ(生姜、ジンジャー)
- スターアニス(八角、大茴香)
- セージ
- タイム
- ターメリック(鬱金、ハルディ)
- タデ(蓼、water pepper)
- タラゴン(エストラゴン)
- ディル(イノンド)
- 唐辛子、一味唐辛子(チリ、レッドペッパー、ラル・ミルチ)
- ナツメグ(肉荳蒄、メース、ジャイファル、ジャビトゥリ)
- ニンニク(大蒜、ガーリック)
- バニラ
- ハラペーニョ
- ニラ
- ネギ
- パプリカ(甘唐辛子)
- フェヌグリーク(メティ)
- フェンネル(フェネル、茴香、ソーンフ)
- ブラッククミン(カロジレ)
- ホースラディッシュ(セイヨウワサビ)
- ミント
- ポピー・シード(けしの実、カスカス)
- マージョラム(マヨラナ、スイートマージョラム、ハナハッカ)
- マスタード(辛子、ライ、洋芥子)
- ミョウガ(茗荷)
- ラッキョウ
- ラディッシュ(大根)
- ローズマリー
- ローリエ(月桂樹の葉、ベイリーフ、テジ・パッタ)
- ワサビ(山葵)