Jへの門番
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Jへの門番(ジェイへのもんばん)とは、日本フットボールリーグ (JFL) において毎年安定して上位をうかがう実力を持ち、かつ日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)への参入を目指していないアマチュアのクラブやチームを指す通称である。
概要[編集]
Jリーグ参入を目指すクラブは、JFLのリーグ戦においてアマチュアクラブや他のJリーグ参入を目指すクラブなどとの戦いを乗り越え、年間順位2位以内(2011年までは年間順位4位以内、2006年までは原則として年間順位2位以内)という成績をおさめることがJリーグへの参入要件の一つとして求められている(詳しいレギュレーションはJ2・JFL入れ替え戦を参照)。
このため、強豪アマチュアクラブはJリーグ参入を目指すクラブの上位進出を阻む壁としての役割を果たすことが結果的に多く、いつしか「Jへの門番」または「Jの門番」と呼ばれるようになった。あまり使われていないが、マスコミを中心に「JFLの門番」または「Jリーグの門番」と呼ばれることもある。
また、2012年よりJFLへの降格制度が始まったことにより、J2下位チームにとってはJへの門番チームの成績が自身の降格争いに大きく影響することとなった。
さらに2014年にはJ3新設が予定されており、J3のレギュレーションによってはJFLクラブチームの「Jへの門番」が消滅する可能性がある。
主な「Jへの門番」[編集]
- Honda FC
- 1999年の新JFL開幕以降優勝4度、2位4度の成績を残している。中でも2004年シーズンでは、J2参入を目指していたザスパ草津と激しい2位争いを演じ、最終的にまったく同勝ち点、同得失点差ながら、総得点で1点草津を上回り2位になった。[1]また、2006年シーズンでは翌2007年からのJリーグ参入を目指していたロアッソ熊本(当時はロッソ熊本)を2戦2勝と退け、熊本のJ2参入を1年先送りにさせ、それから2年後の2008年シーズンでは上位4位迄に与えられるJ2参入枠を巡って、Jリーグ準加盟クラブの栃木SC・カターレ富山・ファジアーノ岡山・ガイナーレ鳥取の4クラブと共に上位を争う中、中盤から独走態勢に入って早々と優勝を決め、結果シーズン最終順位が5位に終わった鳥取は参入が先送りとなった。
- 一方、天皇杯全日本サッカー選手権において直接Jリーグ所属のクラブと対戦する際も、しばしばプロクラブを苦しめ、時に番狂わせを演出することもある。2007年大会では、リーグ戦での最終順位は5位であり、且つ監督や選手全員アマチュアでありながら、3つのJクラブを破って8強に進出している等のこともあり、アマチュアクラブにしてプロのJクラブに匹敵する力を持つと言われる程の「Jへの門番」の代名詞的存在となっている。
- 横河武蔵野FC
- 企業の部活動チームであるHonda FCやソニー仙台FCと異なり、名前に前身の横河電機サッカー部の名を残しつつも、法人として独立運営されている純正サッカークラブ(2002年までは企業チーム)。JFL所属チームの中で最も長い歴史を持つ。新JFL開幕後は低迷した時期もあったものの徐々に力をつけ、2006年シーズンは6位、2007年・2008年シーズンは7位、そして2009年シーズンはリーグ最高順位となる2位と飛躍し、クラブチームの「門番」として存在感を増した。
- ソニー仙台FC
- 1999年の新JFL発足時から常に中位が定位置であったが、2009年シーズンにリーグ最高位の3位となり、ガイナーレ鳥取のJ2昇格を阻止した。
かつての「Jへの門番」[編集]
- 大塚FC
- 大塚製薬サッカー部として、 Honda FCとともにアマチュア最強豪の地位を長く保った名門。2003年、2004年にはJFLを連覇し、愛媛FCのJ参入を阻止した。同時期に方針転換し、2004年の優勝によって徳島ヴォルティスとしてJ参入。
- YKK AP
- アローズ北陸
- ともに富山県に本拠地を置いた強豪クラブ。2007年にはアローズが4位、YKKが6位に入り、J参入を目指すクラブを苦しめた。J参入の意思はほとんど見せてこなかったが、2007年9月両クラブが合併し参入を目指す事を突如として電撃発表。2008年よりカターレ富山として、一転今度は逆の立場となり「門番」に立ち向かう事となった。同年3位となり、2009年からのJ参入が決定した。
- SAGAWA SHIGA FC
- 2007年より佐川急便東京支社の佐川急便東京SCと同大阪支社の佐川急便大阪SCが統合し、本拠地も滋賀県守山市に移転し、佐川急便本社のサッカーチーム「佐川急便SC」として活動を開始した。統合前の両クラブともにJFLでは上位争いをする存在であり、統合直前の2006年シーズンでは佐川急便東京SCが2位、佐川急便大阪が3位に入っていた。2007年はシーズン開幕から着実に勝ち星を重ね、第9節で首位に立って以降、一度も首位を明け渡すことなく独走状態となり、4試合を残して優勝を決めた。その中で、JFL所属のJリーグ準加盟クラブに対して7勝1分けと大きく勝ち越すなど、新たな「門番」としての存在感を大いに示していた。2009年シーズンでも終始安定した戦いをし、優勝を果たした。しかし2012年シーズン終盤間近、運営元である佐川急便本社から突如としてクラブ解散を発表。2013年1月末を以って解散することが決定した。当時「Jへの門番」として目されているチームの中で、活動期間はたった6年間ながらリーグ戦では優勝3回・2位1回・3位1回を誇り、さらに最後の活動シーズンとなった2012年には天皇杯2回戦でヴィッセル神戸に勝利したなど[2]、最も存在感があったため、この解散発表に「Jへの門番」と言われるクラブの存在を知る全国のサッカーファンは衝撃を受けた。