守屋武昌

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守屋 武昌(もりや たけまさ、1944年(昭和19年)9月23日-)は、日本の元防衛官僚宮城県塩釜市出身。父は衆議院議員・塩釜市初代市長守屋栄夫[1]

来歴

守屋栄夫の五男として塩釜市で生まれる。宮城県仙台第一高等学校東北大学法学部を卒業後、日本通運に入社するも半年で退社、猛勉強し翌年の公務員試験国家上級甲種、法律職)に合格する。1971年(昭和46年)、防衛庁(当時)に入庁。同期入庁者に宇田川新一太田述正がいる。

防衛庁調達実施本部背任事件で防衛庁幹部が懲戒処分を受ける中、防衛施設庁施設部長だったが“3階級特進”で防衛庁官房長に昇進。防衛局長を経て2003年(平成15年)8月に官僚トップの事務次官に就任した。庁内で権勢を振るい、「防衛庁の天皇」とまで呼ばれた実力者と言われる。官僚としては異例の4年以上にわたり防衛事務次官を務め、テロ対策特別措置法の制定、防衛庁の防衛省昇格、横田飛行場の航空管制権返還で主導的役割を果たした。

退任騒動

2007年(平成19年)8月、新任の小池百合子防衛大臣)が、守屋の退官と後任に官房長(警察庁出身)を内定した旨の記事が新聞各紙に報道され、これが相談無しに行われたとして守屋は反発した。騒動の際、小池は守屋の対応に対し「夜2度携帯電話に電話したが出ず、折り返し電話があったのが翌日朝であり、危機管理上どうなのか」と互いの溝の深さを露見した[2]塩崎恭久内閣官房長官)も「小池大臣が手順を誤ったやり方をした」と批判したため事態が一層悪くなった。最終的に、事態の早期終結を図る安倍晋三(首相)は守屋の退官を発表し、小池・守屋双方の推す事務次官候補をそれぞれ退けて、防衛省生え抜きの増田好平(防衛省人事教育局長)を後任に内定した。

小池は8月28日に内閣改造に伴って退任することとなり、防衛省の講堂で行われた離任式に際し、守屋は「率先垂範して仕事に立ち向かわれ、数々の成果を上げた。大臣が防衛省を離れることは誠に寂しい限りだ」との言葉を送り、自らも3日後の8月31日に退官した。ちなみに退職金は7~8,000万円とされている[3]

(肩書は当時)

疑惑

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商社および防衛関連企業からの接待

2007年(平成19年)10月19日山田洋行の元専務宮﨑元伸との間で、防衛庁航空機課長だった1990年(平成2年)ごろから事務次官として在職中の2005年(平成17年)にかけ、自衛隊員倫理規定[4]に反し、長年接待を受けたことが報道される。さらにその見返りとして防衛装備品の調達等において山田洋行を有利にしていた疑惑も浮上している。宮崎が独立して設立した日本ミライズに反発する山田洋行の現経営者、米津佳彦により、過去に行われたゴルフ接待が200回を超えていたことが国会で報告された。

守屋は自宅前でのインタビューにおいて、ゴルフ接待を認めている。野党証人喚問を要求、与党もそれを受け入れ、同年10月29日に衆議院、11月15日に参議院で実施された。

上記の件が事実とするなら、防衛省の事務方トップの地位にありながら、典型的ないわゆる“公務員によるたかり行為”を行ったこととなり、その責任を極めて厳しく問われる情勢となっている。また、場合によっては捜査当局による刑事上の立件も検討されているともされ、今後の動向が注目される。また、富士通のグループ会社の防衛情報システム関連の富士通特機システムの幹部とゴルフ接待も発覚。送り迎えの車のコードネームは自宅周辺の地名の神楽坂と呼ばれた。 2007年11月27日東京地検特捜部は上記事項により守屋及び守屋の妻を収賄の疑いで逮捕(同日、贈賄側の宮﨑も再逮捕)、2008年1月までに収賄罪(2件)で起訴した。

政治家との会合

守屋は1人の政治家との会合、複数の政治家との会合が次官在任中にそれぞれ1回行われたことを明らかにし、「防衛長官経験者もいたと思う」と述べた。しかしながら、「迷惑をかける」として政治家の具体的な氏名の公表は拒否した。しかし、2007年(平成19年)11月15日の参議院外交防衛委員会の証人喚問では久間章生元防衛相と元防衛庁長官の額賀福志郎財務相が同席していたことを証言した。 11月27日、野党は額賀の宴席出席問題の真相を解明するために参議院財政金融委員会で与党と合意を取らずに異例の多数決採決で守屋と額賀の証人喚問を決定した。民主党は守屋と額賀を同時喚問をすることで宴席出席問題を盛り上げようとしていたが、11月28日に守屋が東京地検に逮捕されたこともあり、12月3日の同時喚問は取り止めとなった。

略歴

脚注

  1. 【癒着の果て】(1)仕事没頭 異彩放つ」 読売新聞、2007年11月29日。
  2. 小池防衛相VS守屋事務次官、泥仕合の様相日刊スポーツ、2007年8月16日。
  3. 2007年11月29日衆議院テロ防止特別委員会証人喚問より
  4. いわゆる「背広組」の防衛官僚も法的には「自衛隊員」である。自衛隊の項も参照。

外部リンク