西口宗宏
西口 宗宏(にしぐち むねひろ)とは、2011年に田村武子さん(67歳)と象印マホービン元副社長、尾崎宗秀さん(84歳)を殺害した殺人犯である。堺市北区長曽根町に暮らす無職である。
目次
事件概要
西口は平成23年11月5日、堺市南区の駐車場で、同区の主婦、田村武子さん=当時67歳=を車内に押し込み、現金約30万円などを強奪。食品包装用のラップを田村さんの顔に巻いて窒息死させたうえ、大阪府河内長野市の山中で遺体を焼き、骨片などを遺棄した。
さらに、同年12月1日、堺市北区の象印マホービン元副社長、尾崎 宗秀(そうしゅう)さん=当時84歳=宅に侵入。現金約80万円やクレジットカードを奪い、尾崎さんの顔にラップを巻いて窒息死させるなどした。
西口の親しい知人が府警に「(西口が)急にお金を手に入れた。無職なのにおかしい」と情報を寄せ、捜査線上に浮上するきっかけになった。
人物
- 趣味は園芸
- 中学時代は陸上部の選手でクラスのリーダー的な存在
- 子煩悩のやさしい父親
- 外車を乗り回すなど派手好きの浪費家
- 2000年ごろ母親が死去、多額の遺産を受け取る
- 夫婦で衣料品店を営むが破綻。一時は羽振りが良かったが、その後借金が膨らんだ。借金は数千万円にも膨らむ。
- 2003年12月に自宅に放火。保険金目的
- 2004年4月に逮捕
- 2011夏に仮出所
容疑者は7千万を3年で使い切った
象印マホービン元副社長・尾崎宗秀さん(享年84)殺害事件が急展開を迎えた。11月に行方不明となった歯科医の妻・田村武子さん(67)のキャッシュカードを使用していたとして逮捕された西口宗宏(50)が、尾崎さん事件との関連を疑われている。
西口は少年時代から母と2人で尾崎さん宅の向かいに住み、尾崎さんとは40年来の付き合い。子どもがいない尾崎さんは、彼を息子同然に可愛がっていたという。温厚な母のもと、裕福な家庭に育った西口。当時の西口家について、近所の住民はこう話す。
「お母さんは文化住宅を持っていたりして家賃収入があって、働かんと家にずっといるようやった。家も100坪くらいの土地があり、株でもけっこう稼いでいたみたい」
西口は地元の高校を卒業し、建設関係の会社で働き始める。その後、30代で独立するも失敗。多額の借金を抱えていたが、無職にもかかわらず、5万円以上するブランド服を娘に着せるなど、浪費癖が目立っていた。
「99年にお母さんが亡くなって遺産をもらったみたい。本人が『遺産は7千万円の預金と不動産や』と言っていたそうや。その前後からあの子の表情が険しくなっていった。目がつりあがったような顔になっていって、生活はぐんと派手になった」(前出・近所の住民)
だが、それも3年足らずで使い切ってしまったという。その後、3600万円の保険をかけた自宅を放火したとして2004年に逮捕された西口。仮釈放されたのは2011年8月。尾崎さんが発見される前日、彼が書きこんだと思われるサイトにはこんな記載があった。
《今日も根性出んかった。明日こそは絶対! 確実に!!》
象印元副社長・尾崎宗秀さん。西口をかばっていた
西口は、尾崎さんとは40年来の付き合いで、少年時代から母親と2人で尾崎さんの向かいに住んでいた。
「母子家庭だった西口のことを、尾崎さんは僕、僕と呼んでとてもかわいがっていた。尾崎さんには子どもがいなかったから、息子同然におもっていたのかもしれん。家族ぐるみで仲がよかった」と語るのは、尾崎さんと交流があった自治会長の森昌弘さん。
当時の西口について取材したところ、聞こえてきたのは「人懐っこくてかわいらしい」という印象だ。彼の母が亡くなったあと、西口は3600万円の保険をかけた自宅を放火したとして2004年に逮捕されている。
そんな彼の事を最後まで信じ続けた人がいる。それは、他ならぬ尾崎宗秀さんだった。
自治会長の森昌弘さんはこう語る。「放火犯として疑われていたころ、彼のことを尾崎さんは『西口がそんなことするはずがない。彼は無実や』とかばっていました。それだけに、彼が逮捕されたときの落胆ぶりは察するに余りあります」
12月1日に尾崎さんは変わり果てた姿で発見された。自宅には、争った形跡はなかったという。
森さんが続ける。「普通、西口みたいな放火犯が戻ってきたら、家には入れない。でも、もし西口が『心を入れ替えます!』と頭を地につけるくらい謝っていたとしたら……。昔のことを思い出すあまり、”親心”で家に招き入れてしまうこともあったのかもしれません。その挙げ句の犯行だとしたら、尾崎さんはさぞかし無念の気持ちを持っていたでしょう」
裁判
1審西口に死刑判決。「絞首刑は合憲」と言及(2014年3月)
平成23年に堺市で主婦と象印マホービン元副社長を相次いで殺害したなどとして、強盗殺人罪などに問われた無職、西口宗宏(52)の裁判員裁判判決公判が2014年3月10日、大阪地裁堺支部で開かれ、森浩史裁判長は求刑通り死刑を言い渡した。弁護側は即日控訴した。
また、弁護側は絞首刑の違憲性を主張していたが、森裁判長は「憲法に違反しない」と言及した。
西口は起訴内容を認めており、量刑が争点だった。検察側は「まれにみる凶悪な犯行で、命をもって償わせることはやむを得ない」として死刑を求刑していた。
一方、弁護側は「絞首刑は首が切断される可能性があり、残虐な刑罰を禁じた憲法に違反する」と主張。元刑務官らの証人尋問などを行ったうえで「無期懲役は事実上の終身刑。生涯、反省や贖罪の日々を送らせることが妥当だ」として無期懲役を求めていた。
象印マホービン元副社長 “総資産100億円”の孤独生活
2011年12月1日、大阪府堺市の自宅で倒れているところを発見された象印マホービン元副社長の尾崎宗秀さん。ラップのようなもので顔を覆われ、手足は縛られていた彼は病院に運ばれるも、間もなく死亡。享年84、死因は窒息による酸素欠乏だった。なぜ彼は事件に巻き込まれてたのか。30年来の付き合いのあった、自治会会長の森昌弘さんが語った――。
東大を卒業後、旧三和銀行に入社。その後、象印マホービンに迎え入れられ、副社長になった尾崎さん。エリート街道を歩んできた彼の資産は莫大なものになっていたという。
「賃貸マンションなどの不動産をいくつも所有していましたし、自宅には重要無形文化財の結城紬や有価証券、掛軸や絵や宝石までお持ちでした。あれだけのものを持っていて、20億や30億ではすまんでしょう。全部合わせると、100億円はくだらなかったと思います」
発見された自宅も地元では有名な豪邸だった。2階建てで16部屋はあるというその家に、尾崎さんは一人で住んでいた。
「3年ほど前に奥さんが脳内出血を起こし、認知症の症状も出始めたんです。それで尾崎さんは奥さんを介護老人ホームに入所させることにしたそうです。お子さんはいらっしゃらいませんでした」
自宅から30~40分ほどの距離にあった妻の老人介護施設に、尾崎さんは週に何度も通っていたという。夫人を見舞ったことがあるという、森さんの奥さんはこう語る。
「ご主人は奥さんに近況を事細かに話されていましたね。奥さんは楽しそうに聞いていました。ある日、奥さんが楽しそうにしているので、『どうしたんですか?』と聞いてみたんです。すると、『今日、主人が来てくれる日なのよ』と笑顔で答えていました」
豪邸でひとり暮らしながらも、亡くなる前日も奥さんを見舞っていたという尾崎さん。夫がいなくなってしまった今、ひとり残された夫人は何を思うのだろうか。