広瀬伸一
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2007年10月12日 (金) 00:34時点における221.113.170.188 (トーク)による版
広瀬 伸一(ひろせ しんいち、1957年12月12日 - 2007年9月26日)は元アナウンサーである。ラジオたんぱ(現・ラジオNIKKEI)アナウンサーを経て、フリーアナウンサーとして中央競馬の実況を中心に活躍した。
略歴[編集]
- 神奈川県出身。法政大学法学部卒。
- 1990年6月上旬までは東日本の競馬場(札幌、函館、福島、新潟、東京、中山)を中心に実況を担当してきたが、同年7月からは西日本の競馬場(中京、京都、阪神、小倉)を中心に実況を担当していた。軽快で歯切れが良く、正確で客観的な実況は多くのファンに高く評価された。
- 1996年のバイオレットステークスでは降雪の中、全く馬が見えない状況で実況したり、実況を担当するレースになぜか審議がかかることが多いとされるなどのエピソードがある。ちなみに後者のエピソードに関しては本人が自ら調べ、その風評を否定していた。
- 最近ではスティルインラブが牝馬三冠を達成した2003年秋華賞の実況が記憶に新しいが、本人はアグネスタキオンがジャングルポケットとクロフネを抑えて優勝した2000年のラジオたんぱ杯3歳ステークスの実況を最も気に入っていたように伺える。
- 大学時代より映画鑑賞を趣味とし、映画には大変詳しかった。また、宝塚歌劇のファンでもあった。ビールとチヂミと海鮮焼きそばを好んだ。
- 競馬実況だけでなく、フリー転向後は英知大学(現・聖トマス大学)などで学生により良い話し方を教授し、人気を博した。
闘病[編集]
2006年7月に難治性の未分化癌であるとの診断を受けたが、仕事に対する情熱をいささかも失うことなく実況を続けた。ラジオNIKKEI携帯公式サイト「競馬インパクト」の2007年2月1日付の自筆コラムにおいて、胃癌である旨を公表。外科的治療のため一旦実況を休止するも、同年2月25日の前半の実況で復帰した。しかし2007年5月末、病状が悪化。懸命の治療も空しく、同年9月26日12時41分(JST)に死亡した。享年49。