武蔵川大治郎

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武蔵川大治郎(むさしがわ だいじろう、寛政6年(1794年)-嘉永元年6月22日(1848年))は、江戸時代後期の大相撲力士。本姓は平井。武蔵国埼玉郡須影(現在の埼玉県羽生市)出身。最高位は前頭3枚目。粂川部屋及び雷部屋所属で、姫路藩お抱え力士。

父は二段目(十両)の荒潮。子(養子とも言われる)は三段目の大橋(後の武蔵川虎之助)。

2代目粂川新右衛門(後に6代目雷権太夫と改名)の弟子となり、文化10年(1813年)1月場所に荒汐大治郎の四股名で序ノ口で初土俵を踏む。同14年1月場所で二段目(現在の十両)に昇進。文政9年(1826年)1月に7代目武蔵川を継いで武蔵川大治郎と改名し、以後は年寄兼務で土俵に上がる。文政10年11月入幕。同11年10月場所に最高位である西前頭3枚目に昇進。その後は概ね中堅力士として江戸相撲で活躍した。天保9年(1838年)2月引退して年寄専務となる。その後は年寄武蔵川として後進の育成に力を注いだ。また勧進元や差添も務め、相撲会所の組頭(現在の理事)となった。

嘉永元年6月22日(1848年)、55歳で没した。


  • 生涯戦歴:79勝80敗73休6分11預3無(31場所)
  • 幕内戦歴:54勝52敗73休3分8預1無(21場所)
  • 幕内勝率:0.509

参考文献

  • 「相撲」編集部編『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社、2001年。
  • 日本相撲協会監修『相撲大事典』現代書館、2011年。