軍服
テンプレート:No footnotes 軍服(ぐんぷく)とは軍隊の構成員(軍人)が着用する衣類をいう。広義においては近代以前の戦闘員の服装も含むが、通常はヨーロッパで近代的軍隊が整備された17世紀以降の軍隊で定められた制服を指す。本項では後者の意味の軍服について記述する。
軍隊の服制は、時代や国によって非常に差があるが、この項では代表的な軍隊のものについて説明する。
なお、
- 戦闘時に着用する服装全般については戦闘服を参照。
- 各国の軍服については各国軍服関連記事一覧を参照。
概説
陸軍
国によって様々なので単純化することはできないが、世界的な陸軍軍服の変化の趨勢では、第一次世界大戦頃に、詰襟から折襟や開襟(背広)型の軍服に移行し、第二次世界大戦頃にベレー帽が普及するようになった。現代陸軍では、常装は開襟型でネクタイを着用することが多く、緑又は茶色系統の色(カーキ色や国防色など)が主に用いられる。礼装は伝統的な形状が多く立襟(詰襟)を採用している国も残っており、礼装として海軍に類似した純白の制服が用いられる事もある。また、近衛部隊は帽章や軍装が特別なものとされていることも多い。
靴については、徒歩の将兵は主に編上靴に脚絆等を着用していたが、将校は乗馬に適するように拍車付の長靴を使用することも多かった。しかし、第2次世界大戦頃には自動車による移動が主体になり、長靴は廃れていった。その結果、現代では兵科階級を問わず、平常勤務には短靴が、戦闘時には半長靴が多く用いられることとなった。なお、東南アジアなど熱帯地方の軍隊では、サンダルや草履を着用する事もある。
陸軍と任務・組織編成の面で重複する国内軍、国境警備隊、国家憲兵、警察軍、一部の民兵組織、民間軍事会社は、陸軍に準じた軍服を用いる場合が多い。
サウジアラビア国家警備隊やイギリス陸軍のロイヤル・スコットランド連隊のように、民族衣装を軍服とする場合も少数あるが、その多くは礼装などに留まる。
国家憲兵の場合、街頭のパトロールなどでは一般的な警察官に準じた軍服を着用する場合もある。
民兵や民間軍事会社においては、軍服は国軍に比して簡略化されている場合が多く、戦闘服以外は私服という事が多い。特に規律等が存在する訳ではないため、礼装として戦闘服やベレー帽を用いられているケースもある(レバノンのカターエブやヒズボラなど)。末端の要員及び非軍事要員はポロシャツやジーンズなどの私服を着用しており、民間人と区別するための腕章やIDカードのみを付けている事もある。また、特定の外国の支援を受ける反政府勢力の民兵の場合、その支援国の軍服を流用している場合が多い(レバノンの旧南レバノン軍はイスラエル軍に準じた軍服を、ミャンマーのワ州連合軍は中国の人民解放軍に準じた軍服を用いている)。
海軍
海軍では黒・濃紺色・白色が主に用いられる。各国の海軍とも、概ね同じ形式の軍服を制定しており、階級章や帽章など細部が異なる。士官の場合、冬服は黒(アメリカ海軍や海上自衛隊など)または濃紺色(イギリス海軍など)のダブルの背広で袖に階級章たる金線が入り、夏服は白の立襟(詰襟)で階級章は肩章となっている。下士官の場合、冬服・夏服共に士官と同じであるが階級章が上腕に付される。水兵の場合、水兵帽にセーラー服が用いられる。また、士官・下士官の帽章も、イギリス海軍に倣って中央に錨を置きその周囲を植物の葉で囲み上部に王冠(大日本帝国海軍・海上自衛隊の場合は桜花)などを付すものが多い。
なお、近年では水兵は青色系の制服及び制帽を着用する場合が多く、旧来のセーラー服は日本やロシアなどに残されている他は礼装に留まる事も多い。臨検など接近戦が想定される沿岸戦闘艦艇や哨戒艦艇などでは迷彩を用いた戦闘服を着用するケースもある(ベトナム戦争では、河川哨戒艇の乗組員は全員、陸軍及び海兵隊に準じた戦闘服を着用していた)。また、大型艦艇においては、つなぎの作業服を用いる事もある。
航空母艦の乗組員のうち、甲板要員は事故防止や作業の単純化のために、原色(色ごとに担務が分かれている)や蛍光色を用いた目立つ作業服を着用する。
空軍
空軍は陸軍の服制と同じような詰襟、折襟も一部あるが、大半の空軍で背広型の軍服が用いられている。色は空を連想させる青系統のものが多く用いられる。帽章には鷲などの鳥や翼、飛行機のプロペラや翼の意匠が用いられることが多い。
海兵隊
海兵隊を、陸海軍とは別箇独立の軍種として設けている国はさほど多くはないが、設けている場合は独自の制服が定められることも多い。海軍風の制服を着用する場合と陸軍風の制服を着用する場合があり、国によって大いに異なる。西欧の海兵隊は海軍が出来る以前、徴用した船に乗り込んだ陸軍部隊から発祥した国もあり、そのような国の海兵隊は独自の陸軍風軍服を着用している。アメリカ海兵隊の場合は通常勤務服はテンプレート:疑問点範囲。の陸軍型であるが、式典用礼装のみ『ブルードレス』と呼ばれる詰め襟である。
種類
現代の軍服は概ね下記のように分類できる。
- 正装
- 最上級の儀礼服装、英:Full dress
- 礼装
- 式典:dress uniform/ceremonial uniform 英:No.1 dress 他 米陸軍:Dress blue
- 夜会、英:No.10 dress 他 米軍:Evening dress、Mess dress
- 通常勤務服・常装
- 外出、内勤、英:Service or Ordinary duty uniform 米軍:Service Dress Uniform
- 戦闘服装
- 戦闘時に着用する服装、英:Combat dress 米軍:BDU―Battle Dress Uniform
軍隊に制服が定められるようになった当初は軍服の種類分けはなく、戦場でも社交の場でも同じ服を使用していた。その後、兵営内や外出時に着用される通常勤務服(略装)は使用されるようになったが、儀式や社交の場で着用される正装・礼装と演習や戦場で着用される戦闘服装は装具を変えるだけで同じ服を使用していた。各種の軍服が用途によって使い分けられるようになったのは19世紀後半になってからであり、19世紀末から20世紀初頭頃に服装体系が整えられた。
現代では常装と戦闘服を区別している国が大半であるが、正装用の服は廃止される傾向にあり、礼服或いは通常勤務服に所定の装具や勲章本体を着装することにより正装としている国が増えている。
夜会服は旧共産圏諸国等制定していない国も多く、将校用のみ制定されている場合も多い。また、下士官・兵用が制定されている場合も職務上必要とする者以外に支給されることはほとんど無い。世界的に正装が廃止される傾向にあることから、夜会服の位置付けは高くなっている。
軍服は軍隊組織の性質及び伝統から、下士官・兵には支給され、将校は自費で購入するのが一般的であるが(よって兵卒や下士官と、外部の業者に仕立のオーダーが出来る将校では生地も仕上がりも全く違う)、戦時大動員ともなれば一部の支給が省略されることも多く、ドイツでは第二次世界大戦の勃発により礼服が支給されなくなった。軍事予算の少ない小国では現在でも通常勤務服兼用戦闘服しか支給しないこともある。
軍服と兵器の区分は国や時代によって様々であり、アメリカ軍では帽子は被服だがヘルメットや防弾チョッキは兵器扱いである。第二次世界大戦でアメリカが採用したM1ヘルメットのように、ライナー部分が被服で外側の金属部分が兵器という複雑な扱いをされていた事例もある。日本では昭和7年にヘルメットは兵器から被服に扱いが変わり、名称も鉄兜から鉄帽へ変わった。
変遷
西洋においては、封建制度の時代には軍装が統一されることはなかったが、17世紀以降制服の統一も図られるようになった。制服の着用はグスタフ2世アドルフのスウェーデン軍が最初であると考えられていたが、それ以前からドイツ、オランダ、デンマークに於て行なわれていたと指摘されている[a]。
16世紀頃から銃の普及により甲冑が意味をなさなくなり、軽装となっていった。兜もすたれ、二角帽子などが使用された。当時の軍服は礼装と兼用されており、戦列歩兵などが敵を威圧するためや、火薬の硝煙が漂う戦場の中で指揮官が部隊を識別するために、派手な色合いのものが好まれた。しかし、17〜18世紀頃は染色技術が発達しておらず、財政上の理由もあって[注 1]、全軍を煌びやかな服装で統一することは18世紀末まで困難だった。南北戦争の南軍が灰色系統の軍服を多く使用した理由も、技術的・財政的な制約が考えられる。
また、連続射撃ができず射程が短いという銃の性能が低い、この時代においては、火薬の硝煙により視界が限られている中で、射程に入る前に発砲させるため(マスケット銃等前装式の銃は、発射後次の発射まで時間がかかるため、その時間で接近して射程に入って攻撃することができる)、シルエットを大きくし実際よりも接近しているように見せる工夫がなされた。この時代の軍服の標準として高い帽子が採用されたのはそのためである。イギリス近衛兵のベアスキン帽にその名残がある。
普仏戦争の頃までは派手な軍服を使用している国が多かったが、銃の長射程化と命中精度の向上及び無煙火薬の発達に伴って、派手な色の軍服では狙撃を受けやすくなり、第一次ボーア戦争の頃から薄青・灰色・カーキ色系の上下の軍服(戦闘服)に移行していった。
第一次世界大戦が始まると、革製ヘルメットやシャコー帽あるいは通常の軍帽は野砲の弾丸の破片等に対して無防備であることから、革製ヘルメットやシャコー帽は廃止され、通常の軍帽と併用する形でスチールヘルメットの着用も進んだ。
第二次世界大戦中、アメリカ軍は、通常勤務服たる常装と戦闘服装とを分離した。第二次世界大戦後、各国とも常装と戦闘服装とを分離するようになっていった。また、民間の趨勢に合わせて、立襟(立折襟)から背広型への移行が進んだ。
日本軍においては、第二次世界大戦中、戦闘服装の分離は進まず、陸軍では通常勤務服兼用のままで終戦を迎えた。海軍では「略装」(褐青色の背広型)を「第3種軍装」として使用した。
軍服に関する各国の影響
軍服は一般社会に於ける服飾の流行と戦闘形態の変化に対応するための実用面での要求によって変遷してきた。そのため、各時代に於ける軍服はその時代に文化の中心となっていた国や新しい軍事制度を確立した国が他の国へ影響を与えて来たが、軍事制度に関する影響と服装についての影響が同時であるとは限らない。また、それらの服装が必ずしもそれらの国で生まれたものではなく、他国(小国や少数民族の場合もある)の服装が実用性や経済性等の理由から取り入れられている例も多く見られる。
海軍は将校の制服が制定されたのが18世紀中頃であり、水兵は19世紀中頃であった。そのため、各国がほぼ共通して当時のイギリスの影響を受けている(「海軍制服概説」参照)。20世紀に入って作られた軍種である空軍には国によるデザインの差が比較的少ない(「空軍制服概説」参照)。また、戦闘服装は装飾性を排し機能性を重視した結果、似たようなデザインとなっている。一方、陸軍の礼服(概ね19世紀〜20世紀初頭までの軍服が踏襲されている)および勤務服には軍服のデザイン(服全体の仕立て、生地の色、帽章、襟章、階級章等)における国ごとの伝統や個性、或いは複数国間の影響関係が顕著に現れている。
フランスは17世紀の近代軍制導入から19世紀中半まで陸軍の制度について度々他国の手本となっており、ヨーロッパ文化の中心でもあった。イギリスは18世紀後半以降、男性の服飾に関して世界をリードする存在である。ドイツ陸軍の制度も17世紀から20世紀前半にかけて周辺諸国に影響を与えており、特に19世紀末から20世紀前半には多くの国に影響を与えた。そして、20世紀半ば以降はアメリカとソ連が軍事制度の手本であり、社会・文化面でも他の国に影響を与える存在でもある。そのような訳で、軍服に関しては以下のような影響が見られる。
- イギリス(海軍が世界各国に影響。陸軍・空軍・警察が旧植民地関係。軍服を含む現代の服装体系を確立。)
- フランス(旧植民地関係、アメリカ、旧日本軍。)
- ドイツ(枢軸国関係、イギリス及びロシア)
- アメリカ(冷戦時代に自由主義陣営に影響)
- ロシア(ソ連)(汎スラブ主義の影響、冷戦時代に社会主義陣営に影響、ソ連解体後に成立した諸国)
しかし、現代に至るまでの軍服を含む服飾の変遷にはこれらの国だけではなく、様々な国や民族の服装が複雑に影響し合っている。以下に17世紀以降の陸軍を中心とした軍服に影響を与えた国等を、影響を与えるようになった年代順に挙げる。
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