ノーベル症

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2018年1月14日 (日) 13:18時点におけるピカゴロウ (トーク | 投稿記録)による版

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ノーベル症とは、毎年10月に発表されるノーベル賞の時期に韓国人が発症する、火病の1つである。

韓国紙論説主幹、ノーベル賞ゼロに「ふがいなさ批判する前に、日本の100年越しの執念知れ!」の残念

2016年ノーベル賞の自然科学分野の受賞者に韓国人の名前はなかった。

韓国メディアはこれを受け、さまざまな論評を出した。その中で、朝鮮日報の論説主幹のコラムはまさに正論で、痛快だった。日本人の近代科学研究への100年越しの執念を知れば、「韓国は何をしているのかと、批判できないはずだ」と嘆いたのである。一方でインターネット上では「韓国出身のノーベル賞受賞者」が注目を集めているという。ただし韓国・釜山で生まれたというだけで、父親はノルウェー人、母親は日本人。滑稽というか、残念である。

2016年6月、英科学誌ネイチャーが、韓国ノーベル賞の自然科学分野の受賞者が出ない背景を特集記事で分析し、研究開発について国内総生産(GDP)比で世界最大級の投資を行う政府に「(ノーベル賞を目指すならば)カネより大事なものがある」と批判した。

結局、2016年も韓国人の受賞者はなく、大隅良典東京工業大学栄誉教授が医学・生理学賞に選ばれたため、対日本では『0-22』と差が広がった。

受賞ゼロが決まるや、韓国紙、朝鮮日報は「韓国唯一のノーベル賞が平和賞なのは偶然ではない」と題した論説主幹の楊相勲(ヤン・サンフン)氏のコラムを掲載した。

それによれば、韓国では韓国人が受賞しなかった場合、「日本にはできるのに韓国はなぜできない」といった論議が盛んになると指摘。つまり韓国の世論は、日本がやることは韓国も当然やることができ、成さなければならないと言わんばかりだというのだ。

しかしコラムの中で楊氏は、日本をうらやむ前に、日本人の科学研究に対する姿勢を見習うべきだと訴える。そして、日本が近代科学研究を本格的に始めたのは100年以上前のことだと紹介する。

その100年を象徴する事例として、東北大小川正孝教授が1908(明治41)年に43番元素を発見、「ニッポニウム」と名付けたことを挙げた。20年後に否定されるが、後に新元素の発見自体は事実だったと確認された。それから100年余りたって、2012(平成24)年に九州大森田浩介教授の研究チームが113番元素を発見。それは2016年、100年前の「ニッポニウム」に似た「ニホニウム」と正式に命名された。森田教授らはニホニウムを発見するため、7年間で400兆回の実験を行ったという。

楊氏はこうした日本人の100年越しの執念を知っていれば、「日本はノーベル賞を受賞できるのに韓国は何をしているのか」とは批判できないはずだと、嘆いたのである。同じことはスポーツの分野でもいえる。韓国で「リオ五輪で日本が活躍したのに韓国はどうなっている」などという報道もおかしいのだ。

痛快の論理で、実はこれが正論なのである。

一方で韓国紙、中央日報によると、インターネット上で最近、「韓国出身のノーベル賞受賞者」が頻繁に検索されているようだ。1987年に化学賞を受賞したチャールズ・ペダーセン氏(1904~1989)のことである。

同紙の報道によれば、ペダーセン氏についてノーベル賞委員会のホームページは「1904年10月3日釜山生まれ」と略歴を記しているという。当時は大韓帝国の時代で日韓併合前だったが、受賞当時の国籍は米国だ。 

ペダーセン氏はノルウェー人の父と日本人の母の間に生まれたという。海洋エンジニアの父親は当時英国が掌握した大韓帝国の釜山税関に就職。その後、平安道で雲山鉱山が開発されると、そこに移った。母親は貿易業だった家族のため朝鮮半島に移住していた。ペダーセン氏の両親は彼が8歳になった年に長崎修道院学校に行き、韓国を離れた。

その後、ペダーセン氏は化学工学を専攻し、米マサチューセッツ工科大(MIT)などで学び、「クラウンエーテル」という新しい有機化合物を合成する方法を発見し、1987年ノーベル化学賞を受賞した。

同紙の見出しは「韓国出身のノーベル賞受賞者をご存じですか」。だが、どう見てもペダーセン氏は韓国人ではない。生まれは韓国だが、幼少のころの一時期に滞在していたに過ぎない。その記事の文中にも、「残念な気持ちからか」の表現がある。

まさに「滑稽」を通り超して、「残念」である。