鄭京和
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ソウル出身[2][3]。7人兄弟の4人目として生まれ、4歳でピアノを始め、7歳でシン・サンチョルにヴァイオリンを学ぶ。9歳でソウル市立交響楽団と共演してフェリックス・メンデルスゾーンのホ短調のヴァイオリン協奏曲を演奏するに至った。12歳の時に家族でアメリカに渡り、ジュリアード音楽院のイヴァン・ガラミアンのクラスで学んだ。1967年にレーヴェントリット国際音楽コンクールに出場してピンカス・ズーカーマンと同時優勝を果たした。その翌年にはスイスに行き、ヨーゼフ・シゲティの薫陶を受けた[4]。1970年にイツァーク・パールマンの代役としてロイヤルフェスティバルホールでロンドン交響楽団とピョートル・チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を演奏してセンセーショナルな成功を収め、デッカ・レーベルとの専属契約を締結することとなった。1984年にイギリス人実業家のジェフリー・レゲットと結婚して二人の子供を儲け演奏活動を一時中断。2005年には手の怪我により演奏活動から後進の指導に活動のウェイトを置くようになり、2007年には母校のジュリアード音楽院で教えるようになった。2010年から演奏活動を活発化させている。