河村参郎

提供: Yourpedia
2020年4月29日 (水) 18:11時点における由亜辺出夫 (トーク | 投稿記録)による版 (移入に伴う諸修正)

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索

河村 参郎(かわむら さぶろう、1896年10月7日 - 1947年6月26日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。1924年に陸軍大学校を卒業し、1925年陸軍省軍務局付となる。1928年から陸軍派遣学生として東京帝国大学で学び、1931年からフランスに駐在。1934年軍務局付兼対満事務局事務官。1936年には二・二六事件軍法会議判士を務めた。1938年北支那方面軍参謀。1941年、歩兵第9旅団長としてマレー作戦に参加。1942年昭南警備司令官としてシンガポール市内の粛清工作を指揮。同年12月、印度支那駐屯軍参謀長。1947年4月にイギリス軍シンガポール裁判(華僑粛清事件)で死刑の判決を受け、同年6月にシンガポール・チャンギーで刑死。死後、辻政信の編により遺著『十三階段を上る』が刊行された。

経歴

石川県出身。旧加賀藩士・陸軍大尉、鈴木知康の息子として生れ、教員・河村寛二の養子となる。[1]

陸軍中央幼年学校予科同校本科を経る[2]

1917年(大正6)5月、陸軍士官学校を卒業(29期)[3]

同年12月[4]、歩兵少尉に任官、歩兵第6連隊付となる[5]

1921年(大正10)中尉[5]

1924年(大正13)12月、陸軍大学校を優等で卒業(36期)[6][5]

1925年(大正14)12月、陸軍省軍務局[5]

1926年(大正15)大尉[5]

軍務局課員などを経て陸軍兵器本廠付となる[7]

1928年(昭和3)4月から1931年(昭和6)3月まで、陸軍派遣学生として東京帝国大学法学部政治学科で学んだ[8][5]

1931年(昭和6)少佐。同年9月からフランスに駐在(1934年1月まで)[5]

1933年(昭和8)12月、歩兵第23連隊大隊長となる[5]

1934年(昭和9)軍務局付[5]対満事務局事務官[9]

1936年(昭和11)中佐[5]。同年3月から7月まで、二・二六事件軍法会議の判士を務めた[10]

1937年(昭和12)4月、軍務局軍務課員[11]

1938年(昭和13)北支那方面軍参謀、大佐[5]

1939年(昭和14)軍務課長[5]

1941年(昭和16)歩兵第213連隊[5]。同年10月[12]、陸軍少将に進級し、歩兵第9旅団長に就任。同年12月、マレー作戦に参加。[5]

1942年(昭和17)2月、昭南警備司令官として、シンガポール市内の粛清工作を指揮[13]

同年12月、印度支那駐屯軍参謀長となり、1944年(昭和19)に駐屯軍が第38軍に改編された後も引き続き参謀長を務めた[5]

1945年(昭和20)3月、陸軍中将に昇進。陸軍兵器本廠[5]。同年7月、第224師団長に就任し、編成中に広島で終戦を迎えた[14][5]

1945年9月、中国軍管区参謀長に就任し、中国復員監部総務部長、中国復員監を歴任した[15][5]

1946年(昭和21)9月、シンガポール華僑粛清事件の戦犯容疑で逮捕。

1947年(昭和22)4月2日、イギリス軍シンガポール裁判で死刑の判決を受け、同年6月26日、シンガポールのチャンギー刑務所で刑死[16]

親族

(出典?)

著書

  • 河村 (1952) 河村参郎『十三階段を上る』亜東書房、NDLJP 1659774 (閉)
  • 辞世の句「皇軍の 命つつしみ もののふの 心静けし 永遠の旅路は」[5]

評価

大西 (1977 73-74)によると、河村は、集団検問による選別者を(取り調べや裁判をせず)即時に殺害することに反対していたといい、遺著『十三階段を上る』の中でも、当時の第25軍参謀長・鈴木宗作に意見したが「軍司令官(山下奉文)が決定したことだ」と言われ、軍命に服さざるを得なかった、と記している。同書中で河村は、参謀長が(当時第25軍作戦参謀主任だった辻政信らの強硬意見を斥けるように)軍議を指導していれば、と愚痴がないわけではないが、今更それをいってもしようがない、と記している[17]

付録

脚注

  1. 出典?
  2. 出典?
  3. 出典?
  4. 出典?
  5. 5.00 5.01 5.02 5.03 5.04 5.05 5.06 5.07 5.08 5.09 5.10 5.11 5.12 5.13 5.14 5.15 5.16 5.17 5.18 大西 1977 124
  6. 出典?
  7. 出典?
  8. 出典?
  9. 出典?
  10. 出典?
  11. 出典?
  12. 出典?
  13. 大西 1977 68,124
  14. 出典?
  15. 出典?
  16. 大西 1977 112-114,119-120
  17. 大西 1977 78-79

参考文献

  • 河村の著書については河村参郎#著書を参照。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981
  • 大西 (1977) 大西覚『秘録昭南華僑粛清事件』金剛出版、JPNO 77032906