5万バイトの向こう側
5万バイトの向こう側とは、アンサイクロペディアにおける良記事と、良記事だったナニカを分ける悲しい境目である。
目次
概要
アンサイクロペディアにおける様々な裏常識の中には、記事のバイト数で表されるものがいくつかある。短すぎるとしてICUを貼られなくなる境目が、だいたい3000バイト。一つの記事として十分な読み応えを表す境目が5000バイト。そして、古いシステムだと閲覧に障害が出るとして警告文が表示されるのが32000バイトである。ここまで来ると文章量にして400字詰めの原稿用紙で約26~7枚、画像込みでも約25枚という、読むほうも少し覚悟する必要がある分量になる。
しかし、その境目を越えて50000バイトに達したような記事ともなると話は別。単純に分量だけで確実に読み手は疲れ、不快感を生じさせ、あまつさえ記事の読破の放棄をいとわないレベルになる。分かりやすく言うと、「よし、そこのお前、教科書を30ページ読め」。
5万バイトの記事には、そのレベルの精神的苦痛を伴うことを、全てのアンサイクロペディアンは理解せねばならない。
村・町が市制する人口が5万人(昔は3万人)であるため、ここは市レベルの記事といえる。
因みに(一部例外あり)5000人以上で町、5万人以上で市、20万人以上で特例市、30万人以上で中核市、約70万人以上で政令市となる。
これをバイト換算した場合、Yourpediaでは1000バイト未満のいわゆる準村が22%を占めるらしい。市は567記事で全体の3,69%(うち特例市は9記事、中核市は1記事のみ)
しかし、特別ページ一覧の中にある「長いページ」にあるように、アンサイクロペディアには、そういった警告文や読み手の都合をまるで無視して、ひたすらに膨張、増大、肥大化していった記事も多い。これは、記事の対象の「全て」を詰め込むという、ある意味、書き手の欲望の表れであり、逆に言えば、簡潔にまとめることのできなかった書き手の敗北である。
そのため、この記事では、主に欲望に負け、どこまでもどこまでも突き進んでいった結果、誰も見向きもされなくなって消えていくかつての良記事とそれ以外のナニカ、もしくは膨大な分量でありながらも良記事とみなされるごくわずかのナニカについて記載する。
長いページトップスリー
ユアペディアの長いページの中には、明らかに長いことをそのままネタとして割り切って、そっくりそのまま記載するページがいくつか存在している。日本語版ユアペディアにおける長いページの不動のトップ「Mikomaid」などは、まさに存在そのものがネタ。インパクト重視。そのくせ、ところどころに小ネタを仕込むなど、トップの座に恥じない完成度である。
まさに、思いついたもの勝ち。
それに対し、2位の「日本における市外局番の変更」や3位の「銀河英雄伝説の登場人物・銀河帝国」といった記事は、ネタ密度の濃さとその完成度の高さゆえ、20万バイトを越えた状態でもなんら問題なく存続。長さを問題視して削除、もしくは分割しようとするほうが問題視されるレベルにある。
・・・と、まぁ、ここまではいいんだ、ここまでは。
良記事の転落
しかしながら、長いページにある記事のほとんど全てに共通すること。それは、ネタとしての魅力にあふれる素晴らしき題材であるという、本来なら感謝してもしきれないはずの共通点である。本来なら。しかし、残念なことにそのほとんどの記事で見られるのは、10%の素晴らしき内容と30%のどうでもいい内容。そして、残り60%のいらないオマケである。
本来であるならば、このような記事は即座に削除されてしかるべきなのだが、至極残念なことに、これらの記事も、当初は十分に笑える良記事であり、内容も読み応えもたっぷりで、コアなファンにしか分からないオマケもほどほど、誰もが満足できる内容とバランスだったのである。
・・・訂正。誰もが-1~3名。
しかし、コアなファンの中に、このようなレベルでは満足できない連中がいたということが崩壊の始まりとなる。コアでマイナーで書かなくていいレベルの記述も無視せずに。作品への愛のままに全てを詰め込んだ結果、当初80%を占めていた素晴らしい内容も徐々に占有率を下げ、いらぬオマケばかりどんどん増加、しかもそれが面白いかどうかが分かるのは、全読者の10%に満たないという悪循環に陥ることになる。その結果、賛美されていたはずの記事が、少しずつ少しずつ積み重ねられていった編集作業により、バランスが崩壊。全体が糞化。全文を読もうとするアンサイクロペディア初心者たちを奈落へと突き落とす中ボスと化し、襲い掛かるようになる。この段階で、慣れてる連中は誰も読まない。てゆうか、アンサイクロペディアにどっぷり浸かれば、目次における「人物紹介欄」の状況で記事のバランスを一瞬で把握。精神攻撃を受けないうちに、とっとと次の記事へと逃げ出すようになる。
しかも、本来なら中ボスを倒せるような手錬れのアンサイクロペディアンたちの多くが、それらの記事を楽しんだ過去と、絶対的な知識不足のため、それらの記事にどうしても手が出せず、放置しようとする。分かりやすく言うと、めんどくさい。さらに、元が良記事であったため、記事の手直しを促すテンプレート類が付けられることもほとんどなく、その結果、誰も編集作業を阻止することのないまま、少量の編集を積み重ねていき、10万、15万とそのバイト数を増やしていく。もはやここまで来ると、かつて良記事だったそれは初心者殺しと化し、アンサイクロペディアに不慣れな人々に精神的苦痛を振りまく災厄となってしまう。
しかし。
5万バイトの向こう側
2010年10月、このような肥大化した記事群に対する反撃が開始され、後に、「2010年10月の大掃除」、もしくは単に「10月の悲劇」と語り継がれることになる事態が勃発。これは、長いページのカオスっぷりに怒りを覚えた某アンサイクロペディアンが、独断で明らかにひどい内容と化した15の記事にClearnupテンプレートを貼り付けたところ、同じく嫌気を差していた多くのアンサイクロペディアンの支持を得、各記事において一気に数万バイトもの文章の削除を頻発させるという事態を巻き起こしたためである。もちろん、それを差し戻そうとする勢力も存在するも、いかんせん、記事の現状が悲惨の極地にある中でクリーンアップテンプレートという錦の御旗を得た削除側の勢力は一気に強大化。10万バイトレベルの編集合戦もなんのその、15記事合計で、1週間で数十万バイトもの文章が削除される。
もっとも、その昔、カウンターがウン万をこえる人気記事が、あまりの増殖傾向とサイト全体の重さによって、打つ手なしと判断され、問答無用で削除された事例も存在している。むしろクリーンアップの貼り付けは、まだ良心的とも言える。
直す側の苦痛
しかし、数万バイトもの文章というものは、直す側にとっても悪夢のような量である。あわせて、よく知らない題材の場合が多いため、何が真実で何が妄想かも分からない場合が多い。しかも、妄想で膨れ上がった部分を削除しようと、真実しか載っていないウィキペディアを参考にしたら、ウィキペディアの真実ほうがよりひどかったなんていう話も実際に存在する。また、どうにかこうにか見つけ出したアンサイクロペディアでは絶対にいらない箇所を削除したら、その後の差し戻しに巻き込まれて全復活。
以上、2010年10月1日から2日にかけて実際に発生した出来事である。たった2日間の出来事である。
その後、加勢を得た削除側の勢力が戦線を押し戻し、ようやく、記事の分割にまでこぎつけることに成功。このような争いを分かりにくく言うと、第二次大戦中、欧州戦線において連合国軍がナチスドイツ支配下におかれた各国を解放していく状況に酷似している。
希望が持てるかって?俺は持てない。
一気の削除の危険性
なお、いくら錦の御旗を掲げたところで、削除する側も実は、数万~十数万バイトもの記事を手直ししたことがない場合がほとんどである。そのため、何が面白く、何が面白くないかを判断するのが「本人の感覚」しかない場合が多い。しかし、逆に言えばそこまで肥大化させた側も本人の感覚だけで面白いと思って書き込み続けた結果であるため、書き込みも削除も、実は似たようなものである。
しかし、その分、時間をかけた側が記事に固執しようとするのも仕方のない話である。それが面白いかどうかは別にして。
なお、このような話はかつての良記事については該当するものの、さほど面白くもないまま数万バイトの増殖を経過している記事は、50000バイトにいたるまでもなく発見、捕捉され、そのまま消去される傾向にある。さほど面白くもない記事が、そのまま長すぎて面白くない記事になれば当然の話である。
数少ない生還例
実は、このような形で肥大化に肥大化を重ねていった名物記事が運良く復活できたという事例が過去に存在する。アンサイクロペディアに真実を書かせたと一部で有名になったハンス・ウルリッヒ・ルーデルは、その昔、極端な妄想に走った時期があり、バイト数もそれに合わせる形で肥大化。そして、各種媒体に紹介されてカウンターが10万単位で爆上げした結果、サーバーがダウン。重さにキレた利用者により、妄想成分の削除が行われている。その後、削除をめぐってひと悶着が生まれるも、その後、真実のみで記事を構成することで一応の収拾を得た結果、より記事の内容を深くすることに成功。
現在でも、嘘のようにしか見えないルーデルの逸話が淡々と追加され続けている。あの記事のレベルでほとんど真実だと、正直なところ、本心からどうしようもない。いい意味でね。
拡張依頼
なお、もしこの文章を読んでいる人間の中で、上記にあるようなクリーンアップテンプレートの除去作業、すなわち記事の拡張作業を行ってみようという人間がいるとしたら、心の底からやめておけとまず言っておかなければならない。ただし、ザオラルを唱えられるレベルまで経験を積み重ねたと感じるならば、やってみてもいいかもしれない。
どうなっても知らないが。
なぜなら、NRV除去作業が、赤点を60点にする作業だとしたら、記事を拡張作業は50点を70点にする作業に他ならないからである。そして、悲しいことにクソ面白くない記事を直すよりも、さほど面白くない記事を底上げすることのほうが、実は難しいのである。というのも、NRVの除去作業というのは、例えるなら地雷原に道路を通すようなもので、どんな方法を使用してもOK。正義は我にあり。初版投稿者のプライドなんざおしつぶすためにある。そういった心持ちで軽く作業に入れるが、残念ながら記事の拡張に際しては、えてして運、不運が付きまとうため、投稿するタイミングを逃した記事や、ごく狭い部分では確実に笑いが取れる記事などへの加筆ほど、悩むものはなく、さらにはどこかしら芽のある初心者をつぶすことになるんではと躊躇する記事といった、様々な悩みを加筆しながら感じるためである。面白くないものを面白くするのは簡単でも、面白いものをさらに面白くするというのは、泣きたくなるほど難しいのである。
そのため、拡張作業に必要な50点から70点にする作業は、例えるなら手術である。しかも、確実に血を見る手術である。そのため、多くのアンサイクロペディアンが拡張テンプレートに挑み、疲れ果て、ブレイク寸前に追いやられている。血に慣れてない中、安易に拡張テンプレートに挑んではいけないことの証左でもある。
ちなみに、この話は、2010年9月末日に拡張テンプレートが貼られてからたった10日間の間に実際に起こった出来事である。
あわせて、実は簡単に剥がせる拡張テンプレートも多い。ちゃんと文章の構成が整っている記事が、ネタ不足のために拡張テンプレートが貼られた場合ほど簡単な除去作業はない。逆に、ネタが過剰で文章の構成がどこか遠くにお出かけになった記事からテンプレートをはがすには、大手術が必要になり、どれだけの血を見なければならないかは、正直なところ、あまり考えたくないレベルである。
実際に剥がしてみよう
以下に、クリーンアップテンプレートが貼られた記事について、実際の除去作業の様子を一部報告する。なお、対象は2010年10月11日現在、約13万バイトもの分量を誇る「機動戦士ガンダム00の登場人物」である。
作業その1
まず、記事の冒頭に「意見募集テンプレート」絶対に貼り付けなければいけない。これを付けないと、後が怖い。あわせて、テンプレートの内容は「記事の分割」と「文章の削除」とする。とりあえず、一番楽なのは「記事の分割」であり、次に「文章の削除」についても、個人の暴走を多数決で抑えるために必須である。
もっとも、意見を募集しても反応がないこともままあるので、そこらへんは諦めること。
あわせて、ちゃんとノートページにも、議題についての文章を整備すること。
作業その2
ノートページでの提案の後に、いきなり大規模な編集に入るのはご法度。まずは議論の終結を待ってから作業に取り掛かるべきなのであるけれど、いかんせん、それでは遅すぎることも多い。むしろ、議論が進まなくなり解決できない可能性もある。そのため、性急な作業はあえて避け、まずはコメントアウト機能を使用し、画面上の文章を極力少なくし、とりあえず、ある程度の見栄えを確保しつつ、議論の経過を見る必要がある。
これは、大規模編集であればあるほど差し戻しされやすくなり、苦労に苦労を重ねる文章の校正作業を一度に無にされることで、「んな作業、やってられっか!」とちゃぶ台をひっくり返したくなるのを極力防ぐ役割もある。
作業その3
コメントアウト機能を使って文章量を短くする際に注意しなければいけないことは「文章なんざ見るな」
もう一回言う「文章読むヒマがあったら、さっさと封印しろ」
これは、精神的にくる作業である文章の校正作業について、この段階では行わずに、機械的に淡々とコメントアウトすることで、まずは記事の見栄えを確保し、その後にいやいやながら文章の校正に入ったほうが、まだしも楽だからである。あわせて、今回のガンダム00の封印作業に際しては、とりあえず、項目の最初のやつらだけ残して、あとのはコメントアウトの方針で、まったく文章を見ずに作業を行う。
しつこくもう一回言う「文章なんざ見るな」
あわせて、10万バイト越えの記事の編集作業の際には、全文を一括編集しようとすると、途端に重くなって編集作業が滞る場合がある。そのため、面倒でも項目ごとに封印作業を実施したほうが、作業効率が違う。ただし、サーバー的な面では嫌がられる行為でしかないため、要約欄にその旨について一言書き加えたほうがいい。
作業その4
コメントアウト後、意見が集まるのを待つ時間ももったいないと感じる人は、この段階でウィキペディアの当該項目に突入することをお勧めする。ただし、アンサイクロペディアが病んでいる以上、ウィキペディアにおいてもまず間違いなく病んでいる状況にあるため、そこらへんは諦めの境地、もしくは無の境地をもって対応すること。ちなみに、ウィキペディアにおける機動戦士ガンダム00のバイト数が77,000、機動戦士ガンダム00の登場人物のバイト数は20万バイトである。
どれだけの人間が、手直しという名の地獄で苦しんだかがよく分かる数字である。
幸いなことに、アンサイクロペディアである以上、機動戦士ガンダム00の登場兵器の27万バイトについてはガン無視できる。全部あわせると、ウィキペディア屈指のバカ記事である政教分離の歴史を凌駕している気もしなくはないが、特に気にしないこととする。あわせて、ウィキペディア屈指のバカ記事であるため、この事実はネタ作りにおいて大変有効になる。たとえば、あまりにもひどいウィキペディアの真実という形で笑わせることや、ウィキペディアとの比較でも文章の作成は可能である。内容はともかく。
内容はともかく。
この段階で、どのような形で手直しするかを簡単にでも計画しておけば、意見募集が為された後の対応が楽になる。あわせて、今回の機動戦士ガンダム00の手直しの方法は翻訳で笑わせることを目的とする。
なお、ウィキペディアのバイト数を見た瞬間に計画が作成されたのは秘密だ。一文たりとも読んでいないことも秘密だ。あわせて、機動戦士ガンダム00に興味を持った日本人は、約56万バイト、原稿用紙400枚分の情報を読むことが可能である。あわせて、機動戦士ガンダム00の全てを知ろうとする日本人は、原稿用紙400枚分の情報を脳内に叩き込む必要がある。愛だねえ。
バカだねえ。
作業その5
意見募集から一定期間を経て、特に反対意見が出なかった場合、さっさとテンプレート除去作業に入るべきである。が、ここでもいきなり入ると禍根を残しかねない。そもそも、どうしようもないNRV相当の記事ではなく、ある程度の面白さが残る記事に加筆するわけであるため、何の考えもなく知識もクソもない人間が手出ししては大やけどをするに決まっている。しかし、世の中、その作品に関する知識どころか、触れたことも見たことも聞いたこともない以上に、触れたくも見たくも聞きたくもない、むしろ嫌いやねんと感じている側の人間が加筆せざるをえなくなるのが、アンサイクロペディアのいいところ。
愛?知るかくそたわけ。
むしろ、嫌悪感を生じている分、長ドスでバッサバッサと記事の対象に切り込める利点も存在し、なおかつ、同じように感じるアンチファンの喝采を得ることも可能である。が、もちろん恨まれる。確実に恨まれる。
知るかくそたわけ。
このように、絶対的な知識不足の上に作品愛も持たないまま一人で加筆してはいけない。ちゃんと、記事のノートでその旨を公言してからでないと、要らぬ騒動を巻き起こす可能性が高い。あわせて、一気に加筆するようではノートで議論も出来ないため、あえて加筆は小出しにすべきである。一気の加筆をしたら一気の差し戻しを食らい、しかもノートでの苦言付き。このコンボが決まると、多くの場合、こんがらがる。そのため、最初の数歩に関しては慎重に慎重を期すべきである。もっとも、議論が起きないようなら知ったこっちゃない。
作業その6
あまりにも巨大すぎる記事を手直しする際は、多くの場合、当初の計画どおりに進むわけがない。わけがない。そのため、バランス調整や計画の細部の変更、そして、コメントアウト機能を使用して、さっさと自分のやりたいように作業ができる環境を整えるべきである。今回の機動戦士ガンダム00の登場人物の手直しの場合、人物の並びが記事制作者の主観に沿って並んでいたため、ウィキペディアと参照する場合にかなりの労苦を伴っており、記事の大本である翻訳作業の壁となっていた。そして、巨大なバイト数による編集作業の滞りもハンパではなく、このまま作業を進めていったら、とてもじゃないがやってられないという状況にすでに突入している。
そんな状況下において、実はアンサイクロペディアには簡単な解決法が存在する。この方法を使用することで、人物の並び問題はいっぺんに解決、重さの原因である10万越えのバイト数も極限まで削減、さらには書いている側の人間の精神的な負担もあっという間に軽くなるという、実に素晴らしい方法である。
ま、原作レイプなんですけどね。
というわけで、クソ重かった記事の大半は削除、後はこっちで勝手に記事を作成、バランス調整や見栄え、さらにはネタの追加などについても一切合財こちらもちで記事を形成するものとする。全て、重いのが悪い。
ま、よくある話である。
なお、大規模な記事の爆破解体作業を決行したわけであるから、一応はノートでその旨の報告をしておいたほうがいい。記事を差し戻す人間が現れた際に、会話ができる状況にある場合とない場合では、その後の雰囲気が全然違う。大規模な編集ほど些細なミスでバランスが変になっていくため、こういった小さな手間を重要視しないといけない。
作業その7
およそ10万バイトにおよぶ文章の削除の結果、ようやく快適な作業空間を手に入れることが出来たわけであるけれど、この後にまた無計画で突っ走ってしまうと、フルマラソン並みの労苦が待っている。そもそもウィキペディアの翻訳なんて作業は、読みたくもなんともないウィキペディアの文章を読まざるを得ない労苦で出来ている。しかも、その文章が20万バイト越えと来た日には、フルマラソンどころかトライアスロンレベルで精神的疲労を積み重ねる話になる。しかし、そんなウィキペディアの悪いところをアンサイクロペディアでマネをする必要はまったくない。まっっったくない。
というわけで、これより先、登場人物紹介からぶったぎる、もれ落とす、削除するキャラの選定に入る。もちろん、場合によっては、作品に対する愛や、尊敬すべき制作者の真摯な姿勢に対する返礼の意味を込め、全てを網羅しようとしても構わない。のだけれど、いかんせん現況というものが、ウィキペディアにおいて、最悪レベルのネタバレで作品の商品価値をこれでもかこれでもかと落としまくっている中、そんな無粋ことはしてはいけない。ウィキペディアからの翻訳作業というものは、真実だから何を書いてもOKと錯覚しているバカどものバカ踊りを目の前で見せ付けられる状況になることが多い。であるため、逆に冷静にかつ慎重に、作品を壊さないよう、ある程度の枠組みと理性をもってして登場人物を紹介しなければいけない。
初見の人間にいきなり作品の最終ボスを事細かに教えるのは、心底バカか、もしくは心底ウィキペディアンだけである。
作業その8
この段階で、最終ゴールは見えてくる。ようは、読みやすい記事になるかどうか。面白いかどうかではない。読みやすいか否か。幸いにも、今回の記事ではネタ分が豊富で十分な面白さはウィキペディアからでも原作者からでも十分に摂取できる。しかし、その面白さを全て詰め込もうとした結果、手直しに入る前に13万バイトのクソがつみあがったわけである。そのため、あえて全てを語らずに、初見の人間でも読めるようバイト数を調整、各項目ごとのバランスも調整、紹介文以外の文章の整備、そして何よりも大切なのは、こういった意図で記事立てをするという説明である。
別名、予防線とも言う。
もっとも、最初から決壊する恐れのある護岸工事に着手している以上、予防線は張れるだけ張るのが正しく、なおかつ、手直し終了後のさらなる加筆についても予防できるように色々と準備しなければならない。
なお、この作業その8を書いた日付は2010年10月28日である。次の作業9が、いったいいつ書けるかについては、まったく予測がつかない。絶対に10月中はムリ。
作業その9
気が狂う。
この一言を心底感じざるを得ない作業というものは存在する。有名なものとしては、穴を掘り、それを埋めさせる作業を延々と繰り返させると、人間は気が狂うとされる。あわせて、ナチスドイツのユダヤ人収容所では、気が狂わなければ割り当てられた作業を遂行させることは困難だったとされる。そして、これは創作の話であるけれど、クトゥルフ神話における重要なアイテム「ネクロノミコン」を執筆した狂ったアラビア人、アブドル・アルハズラットの逸話もまた、気が狂わなければ為しえなかった作業があることを示唆している。
とりあえず、13万バイトの糞改め、闇に蠢く巨大な何かである機動戦士ガンダム00の登場人物は、確実に気が狂った人間による所業による、ネクロノミコンのごとき何かである。あわせて、ネクロノミコンもまた、読むと気が狂う存在として、人類に触れてはいけない何かを知らしめている。
幸いにも、当記事はウィキペディアという素晴らしい反面教師が存在した結果、胸を張って未完成のままで上梓することができた。生き残れた。精神が崩壊しなかった。この現実を前にすれば、クリーンアップテンプレートの除去についてはもはやどうでもいいことである。何よりも深淵より生還できたことがうれしい。今回の作業の結果、最終的に、13万バイトを3万バイトにまで表記を減らし、厳重な封印を各所にほどこし、悪夢のようなウィキペディアからなるたけ人々を遠ざけるよう手を尽くした。2010年11月16日現在、そのことのみを誇りて、静かにテンプレートの除去を待つのみである。
ちなみに、狂ったアラビア人、アブドル・アルハズラットは白昼、目に見えない何かによって生きたままむさぼり食われたそうである。多分、真実だろう。狂熱に突き動かされた連中は、むさぼり食われながら、今もなおウィキペディアにおいて狂気の沙汰を積み重ねている。
人間、ああなっちゃいけない。
終了+少々の補足
2010年11月19日、ついに機動戦士ガンダム00の登場人物より、クリーンアップテンプレートが除去される。・・・歓喜?いや、もうそんな感情すら起きやしない。ちなみに、およそ1ヶ月の間に当該記事を手直しした回数は、細部の編集を含めておよそ50回。最終的に、13万7千バイトの記事を3万2千バイトまで縮小。そのうちのほとんどの記述を新たに書き直し、持ちネタとして奥の手と言える存在だった「ウィキペディア+クトゥルフ神話」まで持ち出し、初見の段階で二度と見たくないと感じざるをえなかったウィキペディアの当該記事に何度も何度も足を運び、ようやくクリーンアップの除去までたどり着いた。
その結果、心の底から感じたことはたった一つである。精神的に記事を削除したほうが良かった。もっとも、この記事を書いた手前、そうも言ってられない。仕方がない。
ちなみに、以上に記した方法は、あくまでもアンサイクロペディア的にちゃんとした順序に則った方法である。むしろ、こんな気が遠くなる作業をするぐらいなら、最初から原作レイプして1から書き直したほうが早かったことは認めざるをえない。ただし、それをやってしまうと、13万バイトをコツコツ書き込んだ人と対峙せざるをえなくなる。その結果、最もアンサイクロペディアで労力を消費する、「ニンゲンカンケイノゴタゴタ」に巻き込まれる可能性もまた高くなるため、むしろ、分かってる人間ほど順序よくやらないと違った意味で疲れる原因になる。
1ヶ月間の苦労に苦労を重ねた編集作業よりも恐ろしい「ニンゲンカンケイノゴタゴタ」。これは全てのアンサイクロペディアンが気をつけなければならない事実である。