出口王仁三郎
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出口 王仁三郎(でぐち おにさぶろう)は、大本の聖師。出口ナヲの末娘・スミと結婚してナオの養子となった。ナオが紙に書きなぐった「お筆先」をわかりやすく解説し、理論付けた。[1]
知識人や軍人を大本の信者として獲得[1]。
1921年(大正10)、第1次大本事件で不敬罪で検挙される[1]。
事件の直後から『霊界物語』の口述を始める。同書において、出口は自身をスサノヲ(神素素戔嗚大神)になぞらえている。[2]
1934年(昭和9)に創立された昭和神聖会の「統管」に就任。同会の発会式は九段の軍人会館で行われ、「副統管」には黒竜会の内田良平が就任、頭山満が顧問だった。[4]
1935年(昭和10)、第2次大本事件で不敬罪と治安維持法違反で警察当局により検挙される[5]。
1942年(昭和17)8月、保釈され出獄[6]。
付録
脚注
参考文献
- 原 (2009) 原武史『松本清張の「遺言」 - 『神々の乱心』を読み解く』〈文春新書〉文藝春秋、2009年、ISBN 978-4166607037
- 森 (1986) 森克明「『九鬼文書』の周辺」三浦一郎『九鬼文書の研究 新装版』八幡書店、1999年、ISBN 978-4893502018
- 初版:八幡書店、1986年