内柴正人

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内柴 正人

内柴 正人(うちしば まさと、男性、1978年6月17日 - )は、日本柔道家(五段)で強姦犯罪者。学位学士(体育学)国士舘大学2001年)。元九州看護福祉大学客員教授

概要

内柴 正人

国士舘高等学校を経て、国士舘大学卒業後、旭化成に入社した。2004年に開催されたアテネオリンピックや、2008年に開催された北京オリンピックでは、それぞれ柔道男子66kg級にて金メダルを獲得した。その後、競技生活も晩年に差し掛かる2009年より、指導者も務めるようになった。旭化成を退社後、九州看護福祉大学にて客員教授に就任し、2011年まで同職を務めた。

人物

熊本県合志市出身、熊本県玉名市在住。9歳で柔道を始める。そのきっかけは「兄にケンカで勝つため」だった。得意技は巴投。尊敬する選手は野村忠宏。身長160cm、体重66kg。血液型はB型

中学時代から頭角を現し、パワーとスタミナのある攻めを生かし男子60kg級で活躍。オリンピック金メダリストの野村忠宏を追う存在として期待を集めた。一方で減量に苦しみ、大事な試合で失格を繰り返したため、こだわっていた60kg級でのオリンピック出場を断念。

66kg級に階級を上げて臨んだアテネオリンピック金メダルを獲得した。全ての試合をそれぞれ違う技で一本勝ちを収めるという珍しい記録を残している。

週刊新潮が報じたところによると、北京五輪直前に酒に酔って俳優・渡瀬恒彦の運転手に暴行、後遺症が残る怪我を負わせたが、金メダル候補ということもあり内密に示談したという。

北京オリンピックでは、柔道日本代表チームの主将に指名され、決勝でバンジャマン・ダルベレ縦四方固めで一本勝ちし、野村忠宏以来の男子柔道連覇を達成。同大会の日本人選手の金メダル第1号となった。

現役時代は常に体脂肪率4%以下を維持していた。2010年10月、野村より自らが先に現役を引退することを決意したことが報道されている。

現役時代の2010年4月より九州看護福祉大学女子柔道部コーチを務めていたが、現役引退に伴い同年末で旧所属の旭化成を退社し、2011年1月に同大学の客員教授に就任した。

2011年11月8日、九州看護福祉大学の女子部員に対するセクハラ疑惑がマスメディアで報じられる。2011年11月29日、九州看護福祉大学は内柴のセクハラ行為に関する調査結果について、未成年女子部員の飲酒を黙認し、その後セクハラ行為を行ったとし、内柴に対し懲戒解雇処分を発表した。2011年12月6日準強姦容疑で警視庁に逮捕された。内柴は「合意の上だった」と容疑を否認している 。

レイプ事件

内柴 正人

教え子の女子柔道部員への準強姦容疑でアテネ、北京両五輪の男子柔道金メダリスト、内柴正人容疑者(33)が逮捕された事件で、事件当時、ホテルの部屋から女子部員の悲鳴らしき声を宿泊客らが聞いていたことが12月26日、捜査関係者への取材で分かった。東京地検は勾留期限となる12月27日、準強姦の罪で内柴容疑者を起訴する見通し。

警視庁捜査1課によると、内柴容疑者は調べに「合意の上だった」などと容疑を否認してきたが、悲鳴らしき声が聞かれていることから、捜査当局は、女子部員との間に合意はなかったと判断したとみられる。

内柴容疑者は2011年9月19日、女子柔道部のコーチを務めていた九州看護福祉大(熊本県玉名市)の遠征先の都内で、10代の女子部員に酒を飲ませて泥酔させ、宿泊先のホテルの部屋に同行。深夜から未明にかけ、乱暴した疑いが持たれている。

捜査関係者によると、この際、部屋から女子部員の悲鳴のような声が上がるのを、同じホテルの宿泊客らが聞いていたという。

また、内柴正人容疑者がこの女子学生をおぶって宿泊先のホテルへ向かう姿が、複数の防犯カメラに映っていた。映像では学生はぐったりしており、警視庁捜査1課は泥酔して抵抗できなかったことを裏付けるとみている。

内柴容疑者は「酔った学生を部屋へ送り届けたが、合意の上だった」などと容疑を否認しているという。

相手女子学生

明るかった彼女を事件は変えてしまった。同大柔道部の関係者によると、東京から熊本への帰りの道中、内柴容疑者もAさんも様子がおかしかったという。

「帰りのバスに、Aさんは笑いながら部員と乗車したかと思えば、車内ではずっとふさぎ込んでいて、ナーバスな感じでした。内柴先生はずっと寝ていました。彼女が周囲に『犯された』って言い始めたのは、熊本に帰ってからすぐの頃でした」

犯行に至る前から内柴容疑者は、教え子との距離を取れない教育者だったようだ。彼を何度か乗せたことのあるタクシー運転手が、こう証言する。

「内柴さんには、赴任直後から、利用していただいていました。いつも、女子部員やコーチたちと一緒に、居酒屋などでお酒を飲んだ帰りのようで酔っ払った様子でした。送り先は、いつも大学の女子柔道部の寮でしたね。」

事件が公に報じられて以降、玉名市内の飲食店で柔道部員と会話をしたという男性が、柔道部員の言葉を再現する。

「私は柔道をしにここへ来ているから、内柴さんがどんな人間でも関係ないし、事件もどうでもいい。むしろ、被害者女性のせいで柔道の練習ができず、指導もしてもらえないのがツラい。正直、被害者女性がうっとうしい。」

体育会系の集団内では、序列を絶対的なものとして、部内の調和を乱す人間を問答無用で排除することが往々にしてある。事件後、Aさんはそういった状況の中で孤立を深めていったようだ。10月中旬、Aさんは「今日、精神科に行きました。薬を貰ってきて、飲み過ぎたら倒れました」という内容で自身の携帯用ブログを更新している。

内柴被告が無罪主張「準強姦は絶対ない」(2012年9月)

指導していた大学の女子柔道部員に遠征先で乱暴したとして、準強姦罪に問われたアテネ、北京両五輪の柔道金メダリスト内柴正人(34)は9月12日東京地裁(鬼沢友直裁判長)の初公判で「合意の上で行為に及んだ。準強姦は絶対にしていない」と無罪を主張した。

起訴状によると、被告は2011年9月20日未明、東京都八王子市のホテルの部屋で、酒に酔って熟睡し、抵抗できない部員を乱暴したとしている。

捜査関係者によると、被告はコーチを務めていた九州看護福祉大(熊本県玉名市)女子柔道部の遠征先で部員ら数人と飲酒。酔った部員と2人でホテルに戻ったという。

初公判以降、12月27日の結審まで7回の期日が指定されているが、判決日は未定。被告は2004年アテネと2008年北京の66キロ級で連覇。2010年4月から九州看護福祉大でコーチとなり、現役引退後は客員教授に就任したが、2011年11月に懲戒解雇された。

翌月には全日本柔道連盟が指導者登録を停止し、柔道家としての活動ができなくなった。

別の女子部員も「私もレイプされた」証言(2012年11月)

オリンピックの金メダリスト・内柴正人被告(34)は、都内のホテルで、酒に酔った教え子の女子柔道部員(当時18)に乱暴した罪に問われている。11月2日の裁判では10月、非公開で行われた証人尋問の内容が読み上げられた。   このなかで、別の女子部員も事件の起きた日の夜、「部屋を訪ねてきた内柴被告に乱暴された」などと証言したことが分かった。この女子部員は、「抵抗して嫌がったら、今まで通り指導してもらえなくなると思った」と証言した。

女子学生とセックスした後、すぐに隣り部屋の女子学生の部屋にも行き数回セックスした

内柴正人の第5回公判が2012年11月28日東京地裁(鬼沢友直裁判長)であった。被告人質問で内柴は、複数の部員らと飲食後に訪れたカラオケ店で、隣に座った被害部員の方から寄りかかってきたと説明し、「教え子と先生の関係だが、大学生の女性ということで、気分は悪くなかった」と振り返った。

その後、キスや性的な接触を続けるうちに気分が高まり、滞在中のホテルに戻って性行為に及んだとし「部員は流れにすべて応じた。(性行為を)了承していると感じた」と強調。部員が「奥さんいるのにいいんですか?」などと発言したことを挙げ、就寝中ではなかったと訴えた。

内柴はさらに、被害部員の部屋を出た後、隣室の別の女子部員と性行為を行ったことを認めた。この部員については「以前から2、3回告白されていた」と釈明。同様に了承を得た上で行為に及んだとした。

内柴、元同僚に恨み節「嘘使ってでもかばってほしかった」第3回公判

内柴正人(34)の第3回公判が2012年11月26日東京地裁鬼沢友直裁判長)であった。内柴の後輩の男性コーチが証言に立ち、事件後、内柴から“恨み節”のメールが送られてきたことを明かした。

「口裏を合わせてでも、本当も嘘も使ってでもかばってほしかった」

メールの内容を証言したのは、内柴が事件当時コーチを務めていた、九州看護福祉大女子柔道部の後輩男子コーチ。届いたメールは捜査機関が保存している。さらに、事件前に、被害者が酔いつぶれることになったカラオケ店での様子について、「内柴が被害者にかぶさり、キスのようなことをしていた」などと語った。

また後輩コーチは、内柴が事件後に大学から解雇され、夫人が私物の荷物を引き取りに来た際、夫人から他の人を通じて「怪しいものは処分してくれないか」と頼まれたと証言。具体的にはシャワー室に隠してあったコンドーム、師範室に隠していたバイブレーター、放送室にあったわいせつなDVDなどのことで、後輩コーチが処分したという。さらに「(内柴が)奥さんに土下座しているのを見た」とも証言した。

公判は27日の第4回も証人尋問、28、29日には被告人質問が予定されている。

隠し子疑惑も発覚「自分の子と認めていないが、女性に(お金を)払っている」

内柴は事件2日前の合宿中、3人目の別の女子部員と性行為したことを明らかにした。また、隠し子疑惑も発覚した。

内柴が3人目の女子部員と性行為をしたとされているのは、事件があった2011年9月20日未明の2日前の18日未明。当時、都内のホテルで女子部員4人と内柴、男性コーチらが参加し、3泊4日の日程で合宿中だった。

この日の証言により、内柴は合宿中に4人の女子部員のうちの3人と性行為をしていたことになる。当時、内柴がコーチを務めていた九州看護福祉大女子柔道部の部員数は約20人だった。

内柴は28日の弁護側の被告人質問では、事件後に被害部員の隣室にいた別の女性部員の部屋に行き、性行為をしたことを証言している。

また、弁護側による補充質問で「子供ができてトラブルになったことがあるでしょう?」と質問されると「ある」とし、「お金払っている?」との問いには「自分の子と認めていないが、女性に払っている」と答えた。隠し子疑惑まで発覚した。

内柴がここにきて女性関係を次々に告白するのは、他の女性とも性行為があったが、トラブルなどはなく、被害部員とも、それら女性と同様に接しており、合意の上だったと印象づける狙いがあるとみられる。

検察側はこの日、内柴が事件前に部員らと入ったカラオケ店などでの詳しい状況を再度確認した。内柴はこれまでに部員の方からキスや性的な接触をしてきたと主張しており、その様子は詳細に説明したが、ほかの細かな状況は「覚えていない。記憶がない」と繰り返した。

また、事件後に部屋から出る際、被害部員が「俺に犯されてないよな」と内柴に言われたと証言していることを聞かれると、語気を強めて「犯していないのに言うはずがない」と否定した。

内柴正人、裁判中に離婚していた。息子は学校でいじめ被害

9月に公判が始まってから、一貫して「合意の上だった」と容疑を否認し続ける内柴だが、そんな夫を持ってしまった妻(32才)は、計り知れない苦悩の中にいる。

「奥さんは最近まで熊本県内の自宅で8才の息子さんと3才の娘さんと一緒に暮らしていました。気丈にも、そこで開いていた整骨院の営業も続けていたんです。事件後、間もないころは“何があってもここで夫を待ち続ける”って言っていたんだけど、内柴さんは面会にも応じてくれないみたいで…。徐々に彼のことが信用できなくなっていったようです。しかも、事件のことで、お子さんが学校でいじめられ出したんです。これはさすがにショックが大きくて、8月に店を閉め、お子さんを連れて東京に出てきたんです」(妻の知人)

取材に妻は、「すみません、何も話すことはありません…」と言うのみだった。以前、自宅前の傘立てには、“うちしば”と書かれた小さな子供用の傘があったが、今そこに書かれた名前は、妻の旧姓に変わっていた。

「実は奥さん、11月中旬に、内柴さんと離婚したそうです。“子供のことを考えると、それしかない”って…。ただ、今も夫のニュースが流れる度に“また子供がいじめられたらどうしよう。もう生きているのがつらい”って泣いているんです」(前出・妻の知人)

内柴被告2人の女子部員を“ハシゴ”…「股間に『アクション』された」

愛欲にまみれた男が貫いた「潔白」-。泥酔した教え子の女子柔道部員に乱暴したとして、準強姦罪に問われたアテネ、北京両五輪の柔道金メダリスト、内柴正人被告(34)の東京地裁公判。かつて投げ技で頂点を極めた被告が、複数の教え子らに次々と“寝技”を決めた生々しい経緯が、法廷で明らかにされた。

女子部員2人と次々に

下半身の異物感で、目を覚ました。体に覆いかぶさる影。「きゃ-、やめて。何してるんですか」。抵抗する女子部員の口をふさぎ、男は室内のテレビの音量を上げた。行為を終えると、「犯されたんじゃないよな」と口止めを強要してきた。

9月に開かれた初公判。コーチを務めていた九州看護福祉大(熊本県)女子柔道部の遠征先だった東京都八王子市のホテルで、酒に酔った10代の女子部員に乱暴したとする起訴内容について、内柴は「合意の上で性行為に及んだ」と否認、無罪を主張した。一方、検察側は泥酔し、抵抗できない状態の部員に乱暴したとする冒頭のやり取りを、詳細に陳述した。

非公開の証人尋問後に開かれた11月2日の公判では、翌朝に謝罪され5万円を渡されたとする部員の証言が読み上げられたほか、事件当日に同じホテルで内柴被告と関係を持った別の女子部員の調書も朗読された。

「就寝中に乱暴された。拒否すれば指導を受けられなくなると思い、抵抗できなかった」。この部員は「話すのも辛かったため」として、被害届を取り下げている。内柴は被告人席で、表情を変えず淡々と聞き入っていた。

反論の機会を待ちわびていたのだろう。同28日から始まった被告人質問。内柴は試合に臨む選手のように「お願いします!」と大きな声であいさつした。弁護側の質問に対し、内柴被告の語った「真相」は、以下のようなものだった。

被告の語る「真相」

合宿最終日。同僚の男性コーチ3人で焼き肉店を訪れていた内柴は、女子部員4人を呼び出した。

「自分は毎日、必ず誰か部員を連れて飯を食わせていました。毎月給料の半分、少なくとも30万円は使っていた。女子ということもあり、『食う』ことを教えていた。『食いトレ』といいます」

大量の肉に加え、ビールやワインを次々に注文。内柴が「ウィー」と杯を挙げると、全員がそれぞれのグラスを空にした。

「僕はいつも、柔道の話ばかりをします。…柔道と下ネタの話をします。柔道の熱い話をしながら、ふいに(部員の1人を)指さして『お前の胸はデカい!』と」

空腹を満たした一行は、向かいのカラオケ店に移動。内柴はしばらくして、被害部員の「吐きそうな感じ」に気づき、女子トイレの個室に連れて行った。

「僕は吐かせるのが上手なので。(部員の)口に指を突っ込みました。飲み過ぎというより、『よう食ったな、よう食わされたな』と思った。肉の塊がどかどか出てきたので…」

部屋に戻ると、隣に座った被害部員が左肩にもたれかかってきた。

「正直に話しますよ。教え子と先生の関係ではあるが、大学生の女性ということもあり、気分の悪いものではありませんでした」

その後、再びトイレに立った内柴。用を足した後、廊下に出ていた被害部員とキスを交わした。その後の室内では、被害部員が内柴の正面を向いて地べたに座り、「股間を枕にして」寝始めた。

「さっきのキスもあって、股の間に座って『アクション』をしてきているんだなと思った」

気分が高まった被告。

「『それ以上』のことをしようと思った。すたこらさっさとホテルに行きたい」女子部員を背中におぶり、徒歩数分の滞在先のホテルに駆け込んだ。

部員の部屋のベッドで横になった2人。「キスやカラオケでの出来事。流れに全て応じている」。「了承」を確信した内柴は行為に及んだという。

2人目は「告白されたから」

部員の積極性と、就寝中の乱暴行為ではなかったことを強調した内柴。公判では事件当日、被害部員に続き、別の女子部員とも性行為に及んでいたことが明らかになったが、この部員との関係についても躊躇なく答えていった。

弁護人「今回の合宿前に、一緒に寝たことはありましたか」

被告「添い寝をしたことが2、3回ありました」

弁護人「肉体関係はありましたか」

被告「1度もありませんでした。彼女は体験がないと思っていたので」

内柴は、事件当時の合宿中に心境が変化したと説明。部員から数度目の告白を受けた上、「処女ではない」と話があったためだとした。

複数の証言で、この部員は内柴と被害部員がホテルで性行為を行っていた際、2度にわたり部屋を訪れるなど、内柴を探していたことが明らかになっている。内柴は被害部員との性行為を中断して退室、隣室のこの部員の部屋に移動した理由を述べた。

「処女じゃないことを説明され、僕を探しているのを知っていた。それで、総合的に考えて『よし、(性行為を)するか』となった」

第3の女子部員登場、柔道部内の「本妻」

11月29日の2日目の被告人質問では、合宿に参加していた「第3の女子部員」の存在も明言された。事件以前から性的関係が続き、すでに部内で問題が取り上げられたこともあったという。内柴は今回の事件が発覚した際、同様の事態が再び起きることを懸念した、と説明した。

左陪席の女性裁判官は、部員3人との性行為に対する内柴の認識を尋ねた。

裁判官「××(第3の女子部員)との関係は、今回の2人と比べて『悪さ』が違う、と考えていますか」

被告「悪さ? …まあ、2人については、酒に酔っていて軽はずみでした。でも、そんなに軽い気持ちでやったわけでもありません。今でも2人に(柔道で)頑張ってほしい気持ちです。××に隠れてこそこそとやったことは、××に悪いことをしたな、と思います」

既婚者であることを前提に、不倫行為に対する認識を問うた裁判官だったが、被告は××との関係には後ろめたさを感じていない様子。本来の妻の存在には思いが及ばなかったようだ

「死のうと思った」

事件翌朝、2人との性行為について他の女子部員らに追及され、あっさりと認めた被告。「生徒じゃなくて学生なんだからいいじゃん」と楽観していたが、部員2人が乱暴被害を訴え、事態は急展開していく。

同僚コーチが大学に提出した事件の報告書では当初、飲酒などの状況が省略されていた。「部員が練習で疲れて寝ていたところ、部屋に入り、性行為に及んだ」。同僚コーチは法廷で、未成年の学生との飲酒を隠した理由について「学長の指示だった」と証言している。被告は「これ、クビどころか逮捕だよ」と、状況の深刻さに気づいたという。

大学追放は確実になり、「俺から柔道をとったら何も残らない」と精神的に追い込まれていった被告。弁護人に当時の心境を問われ、「死のうと思いました」と涙ながらに振り返った。

一転、「記憶にない」連発

事件とは直接関連のない女性関係まで、あけすけに語った被告。一方、検察側の被告人質問ではとたんに口が重くなり、「覚えていない」「記憶がない」を連発した。

検察官「あなたからキスをしたんですか。キスをされたんですか」

被害部員との性行為の発端となったカラオケ店内での行為についてさえ、曖昧な返答に終始する。

被告「どうでしょうか。何かきっかけが生まれたのか。男としての何かのスイッチが入ったのか。どちらからともなく? あうんの呼吸…」

検察官「逮捕前に、大学の調査や弁護士への相談でもキスの話をしていませんよね」

被告「忘れていたか、話す必要がなかったか。今となっては分かりません。あの頃はバタバタしていたので…」

検察側はまた、事件後に内柴が関係者に送信した携帯メールを次々に挙げた。「口裏を合わせてでも、本当も嘘も使ってかばってほしかった」「そもそも俺がインポってことにすれば…」。隠蔽工作を疑わせる内容について、内柴は「当時はパニックになったりへこんだり、混乱していた」と釈明した。

学生に「ハメられた」?証言も

被告人質問に先だって行われた証人尋問では、事件背景の複雑さを示唆するような証言も飛び出した。

カラオケに同席した同僚コーチは、内柴と部員の性的接触を「見ていない」と否定。検察側の証人として、部員らの主張に沿う内容を話した。しかし、事件翌日に事後避妊のため部員2人を病院に連れて行った際の会話は、内柴の犯行の事実を疑わせるものだったという。

証人「『ハメますか、ハメませんか』という話があった。被害部員が、別の部員の1人に電話したそう。電話の相手は『みんながするなら協力するけど、私自身はしたくない』と言った、とのことだった。聞き間違いだったかもしれないが、『ハメる』というのは内柴先輩を辞めさせることかな、と思った」

また、部員の父親の1人からは事件後、「自分を大学のコーチにしろ」という要求もあったと証言した。

師範室の“玩具”

一方で、このコーチは内柴の依頼を受け、大学の師範室などに隠してあった成人向け玩具やDVD、避妊具の処分を行ったとも説明。内柴が教え子と常態的に性的行為に及んでいた疑いも浮上した。

さらに、被告人質問の終盤では、内柴が過去に交際した女性に、子供の養育費を送っていたことも明らかにされた。

弁護人「隠し子はいますか」

被告「いません」

弁護人「子供をめぐるトラブルはあったんですね」

被告「自分の子供として認知する、ということではなかった。付き合いがあって、情もあるじゃないですか」

弁護人「トラブル解決のためのお金ということ?」

被告「まあ、そうです」

2日間の被告人質問を終え、証拠調べは全て終了した。12月27日に結審し、年明けに判決が言い渡される見通し。

懲役5年の実刑判決(2013年2月)

内柴正人被告(34)の判決公判が1日、東京地裁で開かれた。鬼沢友直裁判長は求刑通り懲役5年の実刑判決を言い渡した。

内柴被告は公判で性行為の事実は認めたが、部員が就寝中に乱暴した、という起訴内容について全面的に否認。女子部員の証言内容が食い違っており、どちらが信用できるかが主な争点となった。

検察側は2012年12月の論告で、複数の部員が「女子部員から直後に被害を打ち明けられた」と証言していることなどを挙げ、内柴被告の無罪主張について「全く信用できない」と主張。「性道徳は全く破綻しており、刑事責任は重い」と訴えた。

一方、弁護側は最終弁論で「準強姦は女子部員の捏造」と反論。虚偽供述の動機として「内柴被告との性行為が自身の交際相手に露見する恐れがあった」と説明、「意図せず騒ぎが大きくなり、引っ込みがつかず狂言を続けた」と強調していた。

準強姦罪は泥酔などで正常な判断力を失っていたり、抵抗できなかったりする状態の女性に乱暴したケースで適用され、強姦罪と同様に3年以上の懲役刑が科される。内柴被告は平成23年9月20日未明、コーチを務めていた九州看護福祉大女子柔道部の遠征先だった東京都八王子市のホテルで、酒に酔った10代の女子部員に乱暴したとして起訴されていた。

内柴被告、唇かみしめ、周囲にらむ。裁判長の問い掛けに無言

東京高裁で2013年12月11日に開かれた内柴正人(35)の控訴審判決。

無罪を訴え続けた内柴は閉廷後、硬い表情で唇をかみしめ、周囲をにらみつけながら退廷した。白ワイシャツに黒いセーター姿で法廷中央に立った内柴。「控訴を棄却する」と主文が言い渡されると肩を落とし、裁判長に促されて席に着くと、背中を丸めてうつむいた。

「被告の弁解は信用できない」。約20分にわたり判決理由の朗読が続く間、内柴は徐々に足を投げ出し時折、天を仰いだ。朗読が終わり、裁判長に起立を促されると拳を握りしめて仁王立ち。裁判長が「分かりましたね」と問い掛けたが、無言のままだった。

五輪を連覇し、大学のコーチとしても創部2年目のチームをベスト8に導くなど頭角を現し始めていた内柴だが、柔道界に復帰する道は事実上絶たれている。

経歴

  • 1978年6月17日 - 熊本県菊池郡合志町(現合志市)に生まれる
  • 1994年 - 一の宮町立一の宮中学校(現阿蘇市立一の宮中学校)卒業
  • 1994年 - 国士舘高校に入学
  • 1997年 - 国士舘大学に入学
  • 1999年1月9日 - 嘉納治五郎杯男子60kg級で優勝
  • 1999年 - オーストリア国際男子60kg級で優勝
  • 1999年 - 全日本選抜柔道体重別選手権で減量に失敗、計量を前に道端で倒れ出場辞退
  • 2000年 - ロシア国際男子60kg級で2位
  • 2000年 - 世界大学選手権男子60kg級で優勝
  • 2000年 - 全日本選抜柔道体重別選手権男子60kg級で3位
  • 2001年 - 国士舘大学を卒業後、旭化成に入社。
  • 2001年8月 - ユニバーシアード男子60kg級で優勝
  • 2001年11月 - 講道館杯男子60kg級で優勝
  • 2002年1月 - 日本国際男子60kg級で優勝
  • 2002年2月 - フランス国際柔道大会男子60kg級で3位
  • 2002年4月 - 全日本選抜柔道体重別選手権男子60kg級で優勝
  • 2002年6月 - ギドシニエ国際男子60kg級で優勝
  • 2002年6月 - トレトリ国際男子60kg級で優勝
  • 2002年9月 - 釜山アジア大会男子60kg級で銅メダル
  • 2002年11月 - 講道館杯男子60kg級で2位
  • 2003年 - ドイツ国際男子60kg級で3位
  • 2003年4月 - 全日本選抜柔道体重別選手権で減量に失敗、体重オーバーで失格。引退を考えるも再起をかけ階級を66kg級に上げる。
  • 2003年3月 - 結婚
  • 2003年11月 - 講道館杯男子66kg級で優勝
  • 2004年2月 - ドイツ国際男子66kg級で優勝
  • 2004年4月4日 - 全日本選抜柔道体重別選手権男子66kg級で優勝。アテネオリンピック代表候補に決定した。
  • 2004年5月16日 - カザフスタンアジア選手権男子66kg級で5位、アテネオリンピック出場枠を獲得。
  • 2004年6月 - 第1子(長男)誕生
  • 2004年8月15日 - アテネオリンピックの男子66kg級で優勝、金メダル獲得。
  • 2004年9月 - 熊本県から県民栄誉賞、合志町から町民栄誉賞授与。
  • 2005年9月 - 世界柔道選手権で銀メダル獲得。
  • 2008年8月10日 - 北京オリンピックの男子66kg級で優勝、オリンピック2連覇を達成。
  • 2009年2月 - フランス国際柔道大会男子66kg級で優勝。
  • 2009年4月1日 - 九州看護福祉大学(熊本)の非常勤職員に着任。2010年4月に発足する同大学の女子柔道部のコーチに就任。
  • 2009年4月4日 - 全日本選抜柔道体重別選手権男子66kg級で優勝。
  • 2009年6月 - 第2子(長女)誕生。
  • 2009年8月26日 - 世界柔道選手権3回戦敗退。
  • 2010年10月 - 現役引退を表明。
  • 2011年1月12日 - 九州看護福祉大学の客員教授に就任。
  • 2011年11月29日 - 女子部員に対するセクハラ行為が判明し九州看護福祉大学を懲戒解雇される。
  • 2011年12月6日 - 準強姦容疑で警視庁に逮捕される。

栄典

  • 無し

かつて紫綬褒章を2004年秋、2008年秋と過去2回受章したが、2014年4月の実刑判決確定により、同年5月10日付で褫奪(ちだつ、剥奪の意)された。

賞詞

  • 2004年 - 熊本県民栄誉賞、合志町町民栄誉賞(市町村合併後は合志市市民栄誉賞)
  • 2008年 - 熊本県民栄誉賞特別賞、合志市名誉市民、阿蘇市市民栄誉賞

なお、上記各賞は2011年の逮捕を受けすべて取り消しとなった。

関連項目

外部リンク