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− | 2010年より小澤征爾の後任としてウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任する。2014年9月、ウィーン国立歌劇場の辞任を発表する。2011年と2013年にウィーンフィルニューイヤーコンサートの指揮を行う。2002年からアメリカの名門クリーヴランド管弦楽団の音楽監督を務める。2023年に[[ウィーンフィルニューイヤーコンサート]] | + | 2010年より小澤征爾の後任としてウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任する。2014年9月、ウィーン国立歌劇場の辞任を発表する。2011年と2013年にウィーンフィルニューイヤーコンサートの指揮を行う。2002年からアメリカの名門クリーヴランド管弦楽団の音楽監督を務める。2023年に[[ウィーンフィルニューイヤーコンサート]]を指揮した。生粋のオーストリア人であり、曾祖父はシュトラウス一家が演奏会を催したカフェの経営者であったから、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とは関係の深い指揮者となっている。ウィーン楽友協会の名誉会員でもある。 |
+ | *病気の治療 | ||
+ | 2023年9月9日、癌治療のため、今後12ヶ月から16ヶ月の治療を受けることになったと公表した。7月初旬に手術を受けた。クリーヴランド管弦楽団のの9月と10月のコンサートとヨーロッパ・ツアーは指揮するが、10下旬から年末までは治療に専念するためすべての仕事をキャンセルすることになった。2023年11月にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との日本ツアーを予定していたが、指揮は降板し、他の指揮者が振ることになった。 | ||
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*2008年に来日公演、『ばらの騎士』など上演 | *2008年に来日公演、『ばらの騎士』など上演 | ||
2023年9月15日 (金) 22:16時点における版
フランツ・ウェルザー=メスト(Franz Welser-Möst, 1960年8月16日 -)はオーストリア出身の指揮者。クリーヴランド管弦楽団の音楽監督である。
概要
オーストリア・オーバーエスターライヒ州 リンツで1960年に生まれる。父は医者、母は国民議会議員であった。14歳で地元の音楽高校に入学する。 1985年のザルツブルク音楽祭でデビュする。1986年から1991年にかけて、ウェルザーメストはスウェーデンのノールショピング交響楽団の首席指揮者となる。1989年にセントルイス交響楽団で米国指揮デビュー。1990年にロンドンフィルハーモニー管弦楽団(LPO)の首席指揮者となる。ウェルザー=メストの音楽監督就任後、リーダー(コンサートマスター)のデイヴィッド・ノーランをはじめロンドン・フィルの主要楽員が一斉に退団した。間もなくロンドン・フィル音楽監督を辞任した。
1993年2月に初めてクリーヴランド管弦楽団を客演指揮する。1995年から2000年まで、チューリッヒオペラハウスの音楽監督となる。2005年9月にチューリッヒオペラの総合音楽監督に就任し、2011年まで契約があったが、ウィーン国立歌劇場の音楽監督の話があったとき2008年7月にチューリッヒを辞任した。 2010年より小澤征爾の後任としてウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任する。2014年9月、ウィーン国立歌劇場の辞任を発表する。2011年と2013年にウィーンフィルニューイヤーコンサートの指揮を行う。2002年からアメリカの名門クリーヴランド管弦楽団の音楽監督を務める。2023年にウィーンフィルニューイヤーコンサートを指揮した。生粋のオーストリア人であり、曾祖父はシュトラウス一家が演奏会を催したカフェの経営者であったから、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とは関係の深い指揮者となっている。ウィーン楽友協会の名誉会員でもある。
- 病気の治療
2023年9月9日、癌治療のため、今後12ヶ月から16ヶ月の治療を受けることになったと公表した。7月初旬に手術を受けた。クリーヴランド管弦楽団のの9月と10月のコンサートとヨーロッパ・ツアーは指揮するが、10下旬から年末までは治療に専念するためすべての仕事をキャンセルすることになった。2023年11月にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との日本ツアーを予定していたが、指揮は降板し、他の指揮者が振ることになった。
評価
来日
- 1992年にはロンドン・フィルとともに初来日した。
- 2008年に来日公演、『ばらの騎士』など上演