「ニコラ・アンゲリッシュ」の版間の差分
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[[シンシナティ]]出身<ref>{{Wayback|date=20220419012247|url=https://www.resmusica.com/2022/04/18/deces-du-pianiste-nicholas-angelich/}}</ref>。5歳の時にピアノ奏者であった母親からピアノの手ほどきを受け、6歳で人前で弾くようになった<ref>{{Wayback|date=20220419013142|url=https://www.chinatimes.com/realtimenews/20220419001089-260405?chdtv}}</ref>。1977年にはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのピアノ協奏曲第21番を弾いてオーケストラと共演している。13歳で[[パリ国立高等音楽・舞踊学校|パリ音楽院]]に入学し、[[アルド・チッコリーニ]]、[[ミシェル・ベロフ]]、[[イヴォンヌ・ロリオ]]、[[マリー=フランソワーズ・ビュケ]]の各氏に師事。ピアノと室内楽のクラスでプルミエ・プリを取得している。また、[[レオン・フライシャー]]、[[ドミトリー・バシキーロフ]]と[[マリア・ジョアン・ピレシュ]]の各氏のマスター・クラスも受講して腕を磨き、1989年にクリーヴランドで開催されたロベール・カサドシュ国際ピアノ・コンクールで2位入賞を果たした。1994年にジーナ・バッカウアー国際ピアノ・コンクールで優勝<ref>{{Wayback|date=20220401005257|url=https://www.kajimotomusic.com/artists-projects/nicholas-angelich/}}</ref>。1996年にカデナッビア国際ピアノ財団の常任ピアノ奏者となった。2003年には[[クルト・マズア]]の指揮するニューヨーク・フィルハーモニックと共演してアメリカにデビューを果たし、ヴェルビエ音楽祭やルガノのアルゲリッチ音楽祭でも[[マルタ・アルゲリッチ]]と共演を果たした。 | [[シンシナティ]]出身<ref>{{Wayback|date=20220419012247|url=https://www.resmusica.com/2022/04/18/deces-du-pianiste-nicholas-angelich/}}</ref>。5歳の時にピアノ奏者であった母親からピアノの手ほどきを受け、6歳で人前で弾くようになった<ref>{{Wayback|date=20220419013142|url=https://www.chinatimes.com/realtimenews/20220419001089-260405?chdtv}}</ref>。1977年にはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのピアノ協奏曲第21番を弾いてオーケストラと共演している。13歳で[[パリ国立高等音楽・舞踊学校|パリ音楽院]]に入学し、[[アルド・チッコリーニ]]、[[ミシェル・ベロフ]]、[[イヴォンヌ・ロリオ]]、[[マリー=フランソワーズ・ビュケ]]の各氏に師事。ピアノと室内楽のクラスでプルミエ・プリを取得している。また、[[レオン・フライシャー]]、[[ドミトリー・バシキーロフ]]と[[マリア・ジョアン・ピレシュ]]の各氏のマスター・クラスも受講して腕を磨き、1989年にクリーヴランドで開催されたロベール・カサドシュ国際ピアノ・コンクールで2位入賞を果たした。1994年にジーナ・バッカウアー国際ピアノ・コンクールで優勝<ref>{{Wayback|date=20220401005257|url=https://www.kajimotomusic.com/artists-projects/nicholas-angelich/}}</ref>。1996年にカデナッビア国際ピアノ財団の常任ピアノ奏者となった。2003年には[[クルト・マズア]]の指揮するニューヨーク・フィルハーモニックと共演してアメリカにデビューを果たし、ヴェルビエ音楽祭やルガノのアルゲリッチ音楽祭でも[[マルタ・アルゲリッチ]]と共演を果たした。 | ||
− | + | 重度の肺疾患により長逝<ref>{{Wayback|date=20220419012735|url=https://www.br-klassik.de/aktuell/news-kritik/nicholas-angelich-pianist-gestorben-100.html}}</ref>。 | |
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2022年4月19日 (火) 11:21時点における版
ニコラ・アンゲリッシュ(Nicholas Angelich, 1970年12月14日[1] - 2022年4月18日[2])は、アメリカ出身のピアノ奏者。[3][4]
シンシナティ出身[5]。5歳の時にピアノ奏者であった母親からピアノの手ほどきを受け、6歳で人前で弾くようになった[6]。1977年にはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのピアノ協奏曲第21番を弾いてオーケストラと共演している。13歳でパリ音楽院に入学し、アルド・チッコリーニ、ミシェル・ベロフ、イヴォンヌ・ロリオ、マリー=フランソワーズ・ビュケの各氏に師事。ピアノと室内楽のクラスでプルミエ・プリを取得している。また、レオン・フライシャー、ドミトリー・バシキーロフとマリア・ジョアン・ピレシュの各氏のマスター・クラスも受講して腕を磨き、1989年にクリーヴランドで開催されたロベール・カサドシュ国際ピアノ・コンクールで2位入賞を果たした。1994年にジーナ・バッカウアー国際ピアノ・コンクールで優勝[7]。1996年にカデナッビア国際ピアノ財団の常任ピアノ奏者となった。2003年にはクルト・マズアの指揮するニューヨーク・フィルハーモニックと共演してアメリカにデビューを果たし、ヴェルビエ音楽祭やルガノのアルゲリッチ音楽祭でもマルタ・アルゲリッチと共演を果たした。
重度の肺疾患により長逝[8]。