「杜家立成」の版間の差分

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'''杜家立成'''(とかりっせい,)は中国[[唐]]代に編まれた、[[書状]]の模範文例集である。[[正倉院]]御物に[[光明皇后]]直筆の書写がある。正式名は『杜家立成雑書要略』である。
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'''杜家立成'''(とかりっせい)は中国[[唐]]代に編まれた、[[書状]]の模範文例集である。[[正倉院]]御物に[[光明皇后]]直筆の書写がある。正式名は『杜家立成雑書要略』である。
  
 
==概要==
 
==概要==
『杜家立成雑書要略』は唐の初め頃の7世紀前半に中国で作られた手紙の模範文例集である。中国の六朝・隋・唐代は各種の手紙の模範文例集が編纂されている。本書は友人の間で取り交わされる書状の模範文例集である。物品貸借の連絡、酒宴への誘い、災厄のお見舞い、各種のお祝いなど36種72通の往復書簡の文例を収めている<ref name=miyagi>[ https://www.pref.miyagi.jp/site/maizou/mokkan98.html 埋蔵文化財|杜家立成木簡について]宮城県</ref>。
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『杜家立成雑書要略』は唐の初め頃の7世紀前半に中国で作られた手紙の模範文例集である。中国の六朝・隋・唐代は各種の手紙の模範文例集が編纂されている。本書は友人の間で取り交わされる書状の模範文例集である。物品貸借の連絡、酒宴への誘い、災厄のお見舞い、各種のお祝いなど36種72通の往復書簡の文例を収めている<ref name=miyagi>[https://www.pref.miyagi.jp/site/maizou/mokkan98.html 埋蔵文化財|杜家立成木簡について] 宮城県</ref>。
 
中国ではすでに散逸し、現存しない。[[東大寺]][[正倉院]]に宝物として伝わる一本が世に現存する唯一のものである。著者は都の杜氏の出身のものであるが、杜正倫またはその兄の杜正蔵と推定されている。
 
中国ではすでに散逸し、現存しない。[[東大寺]][[正倉院]]に宝物として伝わる一本が世に現存する唯一のものである。著者は都の杜氏の出身のものであるが、杜正倫またはその兄の杜正蔵と推定されている。
  
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「[[国家珍宝帳]]」に記載されている紫羅製の表紙と、紫檀製の軸は失われている。
 
「[[国家珍宝帳]]」に記載されている紫羅製の表紙と、紫檀製の軸は失われている。
 
『[[万葉集]]』巻5、巻17~20の漢詩文・和歌の用語に「杜家立成」の用語がみられるため、奈良時代に少なくとも光明皇太后、[[大伴旅人]]・[[大伴家持]]、[[山上憶良]]は手元に所持していたと見られる。
 
『[[万葉集]]』巻5、巻17~20の漢詩文・和歌の用語に「杜家立成」の用語がみられるため、奈良時代に少なくとも光明皇太后、[[大伴旅人]]・[[大伴家持]]、[[山上憶良]]は手元に所持していたと見られる。
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==杜家立成記載の木簡==
 
==杜家立成記載の木簡==
宮城県多賀城市市川の市川橋遺跡から「杜家立成雑書要略」と書かれた木簡が出土した。木簡と光明皇太后筆の写本とは、書風は異なり、本文文字の異同があるため、本木簡の手本となった写本は、皇太后が書写した手本とは別系統の伝本と見られる<ref name=miyagi></ref>。杜家立成が地方官人にも読まれていたことが分かる証拠になった。
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宮城県多賀城市市川の市川橋遺跡から「杜家立成雑書要略」と書かれた木簡が出土した。木簡と光明皇太后筆の写本とは、書風は異なり、本文文字の異同があるため、本木簡の手本となった写本は、皇太后が書写した手本とは別系統の伝本と見られる<ref name=miyagi />。杜家立成が地方官人にも読まれていたことが分かる証拠になった。
  
 
==注・参考文献==
 
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2021年11月30日 (火) 22:45時点における最新版

杜家立成(とかりっせい)は中国代に編まれた、書状の模範文例集である。正倉院御物に光明皇后直筆の書写がある。正式名は『杜家立成雑書要略』である。

概要[編集]

『杜家立成雑書要略』は唐の初め頃の7世紀前半に中国で作られた手紙の模範文例集である。中国の六朝・隋・唐代は各種の手紙の模範文例集が編纂されている。本書は友人の間で取り交わされる書状の模範文例集である。物品貸借の連絡、酒宴への誘い、災厄のお見舞い、各種のお祝いなど36種72通の往復書簡の文例を収めている[1]。 中国ではすでに散逸し、現存しない。東大寺正倉院に宝物として伝わる一本が世に現存する唯一のものである。著者は都の杜氏の出身のものであるが、杜正倫またはその兄の杜正蔵と推定されている。

正倉院[編集]

北倉3。彩箋墨書。 756年6月21日、光明皇后東大寺廬舎那仏に献納した品の一つである。「御書箱」に収められていた。光明皇后の書は筆意をよく会得した臨書と言われる。筆跡は力強く、間違った文字を大胆に上書きしている箇所もある。書蹟は王羲之の書風を伝え、光明皇后が王羲之風の手本をみて書写したものといわれている。書写に使われた筆は、兎の毛を用いた有芯筆であったと推定されている[2]。 白色・青色・濃淡の赤・茶色など様々な色紙を19枚継いで、紙を縦方向に折り目を付けて罫線とし、1紙あたり18字程度で本文を墨書した。 「国家珍宝帳」に記載されている紫羅製の表紙と、紫檀製の軸は失われている。 『万葉集』巻5、巻17~20の漢詩文・和歌の用語に「杜家立成」の用語がみられるため、奈良時代に少なくとも光明皇太后、大伴旅人大伴家持山上憶良は手元に所持していたと見られる。

杜家立成記載の木簡[編集]

宮城県多賀城市市川の市川橋遺跡から「杜家立成雑書要略」と書かれた木簡が出土した。木簡と光明皇太后筆の写本とは、書風は異なり、本文文字の異同があるため、本木簡の手本となった写本は、皇太后が書写した手本とは別系統の伝本と見られる[1]。杜家立成が地方官人にも読まれていたことが分かる証拠になった。

注・参考文献[編集]

  1. 1.0 1.1 埋蔵文化財|杜家立成木簡について 宮城県
  2. 奈良国立博物館(2021)『第73回 正倉院展』奈良美術協会