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− | + | 困ったことに、冤罪派は、そのときに見つかったジャンパーやトレーナーが妙に新しかったので、これは警察による証拠捏造であると主張している。しかし、仮に不自然にそれらの衣服が新しかったとしても、新たに2女児殺害事件が起こって家宅捜索が近いと思った愛子ちゃんの誘拐犯が慌てて所有していたこれらの衣服を捨てたと考えればもっとも整合性がとれるのであり、そこに何ら不審な点はない。仮に冤罪派の主張を採るとすれば、そもそも事件か事故かすら分かっていない行方不明の事案において、なぜ警察が密かに行方不明女児の衣服を隠し持っている必要があるのか説明できない。 | |
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2021年4月17日 (土) 13:53時点における版
飯塚事件(いいづかじけん)とは、1992年に、久間三千年が2人の女児を殺害し、死刑が執行された事件。判決文を読めばどうみても冤罪ではないことが分かるのだが、一部マスコミは、判決文ですでに検証されている事実をあたかも新事実が判明したかのように、さらには他の証拠には一切触れないなどの意図的な偏向・捏造報道をしており、被害者遺族にいわれなき二次被害を与えている。
飯塚事件によるこのような報道被害に関しては、飯塚事件(Enpedia)を参照。ジャーナリズムの闇を露呈したメディアリテラシーを測定するにはうってつけの事件である。
この事件で冤罪説を唱える人は2つに大別でき、①マスコミの報道を簡単に信じてしまう人、②死刑反対論者であり本当は冤罪だとは思っていないくせにこの事件に難癖をつけて死刑廃止論を有利にしようとしている人のどちらかである。残念ながら、冤罪派の中に、③挙がった証拠や判決文を自分で検討した上で冤罪だと信じる人(まともな冤罪派)はほとんどいない。そのため、こちらが冤罪ではない根拠を説明しても、「捜査関係者乙」と言うだけでまったく話を聞こうとしない。
正直、足利事件や袴田事件の関係者も、こんな真っ黒の事件と一緒にされると迷惑であろうし、今や関連検索ワードでも「冤罪ではない」「クロ」というのが挙がる始末である。
目次
事件の概要
1992年2月20日、福岡県飯塚市の小学1年生の2人の女児が登校中に行方不明になり、翌日に山中で共に性的暴行を受けたと見られる状態で殺害・遺棄されているのが発見された。
同地域では、1988年に同じ小学校の女児が行方不明になって未解決であった。福岡県警は、その際の重要参考人であった久間三千年(54歳)を事情聴取。その後、久間が私服警官2人を切りつけたため緊急逮捕され[1]罰金10万円の略式命令を受けた。
女児殺害に関しては、犯人と久間のDNA型がほぼ一致するという鑑定結果が出たもののそれだけでは逮捕に至らず[2]、繊維片の一致が決め手となって[3]、死体遺棄容疑で久間を逮捕。同10月14日に殺人等で久間を再逮捕。
足利事件で当時のDNA鑑定が否定されたため、マスコミではやたらこの事件でもDNAが最大の決め手になったように捏造報道しているが、逮捕の経緯から見ても、DNAが最大の決め手になったというのは明らかな捏造である。
裁判
第一審判決→[1] 第二審判決→[2] 最高裁判決→[3] 再審請求第一審判決→[4] 再審請求第二審判決→[5] ←詳細は判決文(かなり長い。冤罪派は読まないので議論がかみ合わない)参照
裁判で認められた客観的事実
①被害者の衣服に着いていた繊維片と久間の車シートの繊維片の特徴が一致。
②犯人の陰茎出血という状況と久間の亀頭包皮炎という病状が一致。
③久間は、当初自分は亀頭包皮炎で性的に困難だからやっていない旨を主張していたにも拘わらず、犯人の陰茎出血が明らかになった公判段階では、突然完治していたと供述を変更。
④久間と妻は、病状を否定するために、某薬局でフルコートFを買ったことはないと主張するも、店主と店員が久間を常連客として覚えて、しかも強力な皮膚薬だったからはっきり覚えていた。
⑤久間の車内からかなりの人尿痕と血痕が発見。
⑥久間の妻は、自動車内で自分や息子が尿をもらしたことはないと捜査員に言っていたにも拘わらず、車に尿痕が残っていたことが明らかになった公判段階では、突如わかりませんと供述を変更。
⑦複数の目撃証言により車の特徴が一致。
⑧久間の車内にあった血痕のDNA(TH01型・PM型)が被害者の一人(鼻血を出していた方)のものと一致。
⑨なぜか久間は事件後、車のシートを外して水をかけて洗浄(おかげで、車内の血痕からMCT118型は検出されず、TH01型・PM型鑑定の成立を待たねばならなかった)。
⑩久間のDNA(HLADQα型)が犯人の物と一致。
⑪被害者の膣内や周辺にあった血痕と久間のDNA(MCT118型)が一致。
⑫被害者の膣内や周辺にあった血痕の血液型と久間の血液型がB型で一致。
⑬事件があった時間帯、妻を送ったあと母親に米を届けに行っていたという久間の主張は裏付けが全くない。
⑭「事件当日は妻を送ったあと母親に米を届けに行っていた」という久間の主張するアリバイについて、妻は捜査段階では日付は曖昧だったのに、公判段階では日付を明確に主張。
⑮久間も、捜査段階では、妻を送った後一回帰宅した後に母親宅に行った、と言っていたので捜査員が久間の証言に基づいて走行してみると犯行時間帯にちょうど現場を通ることが判明。
⑯すると、久間は公判段階では、妻を送った後直接母親宅に行った、とアリバイの主張を変更。
⑰しかも、そのように供述を変更した契機や時期も、捜査段階と公判段階で変更。
⑱弁護士が、久間はこんなことをするはずないということを主張するためか性格分析を依頼するも、鑑定人は久間は犯行を犯す可能性が十分あると認定。
死刑執行
2008年10月28日、森英介法務大臣(当時)によって久間の死刑執行がなされた。享年70[4]。
なお、馬鹿なマスコミは、他の事件と比較してこの事件は死刑執行が早すぎるといって難癖をつけているが、以下を見るように、この頃は死刑確定後、2年少々で執行するのが普通だったのであり、死刑執行が早すぎるというのはマスコミの捏造である。
陸田真志 08.06.17執行 犯行後12年05月 確定後02年08月 鳩山邦夫
宮崎 勤 08.06.17執行 犯行後19年00月 確定後02年05月 鳩山邦夫
平野 勇 08.09.11執行 犯行後13年08月 確定後02年00月 保岡興治
山本峰照 08.09.11執行 犯行後03年07月 確定後02年05月 保岡興治
萬谷義幸 08.09.11執行 犯行後20年07月 確定後06年09月 保岡興治
高塩正裕 08.10.28執行 犯行後04年07月 確定後01年10月 森英介
久間三千年08.10.28執行 犯行後16年10月 確定後02年01月 森英介
西本正二郎09.01.29執行 犯行後04年04月 確定後02年00月 森英介
佐藤哲也 09.01.29執行 犯行後08年09月 確定後02年05月 森英介
川村幸也 09.01.29執行 犯行後08年09月 確定後02年05月 森英介
牧野 正 09.01.29執行 犯行後18年10月 確定後15年02月 森英介
陳徳 通 09.07.28執行 犯行後10年02月 確定後02年01月 森英介
山地悠紀夫09.07.28執行 犯行後03年08月 確定後02年01月 森英介
前上 博 09.07.28執行 犯行後04年05月 確定後02年00月 森英介
再審請求
2009年10月、第1審判決で触れられているような証言の翻しや偽証をしていた久間の妻が福岡地方裁判所に再審請求したが、再審請求は第1審・第2審とも棄却されている。
マスコミによる冤罪誘導
マスコミが目をつけ始めたきっかけ
2009年6月、足利事件で有罪判決を受けていたS氏がMCT118型検査法による鑑定結果を最新のDNA型鑑定によって否定された。そこで、同じくMCT118型検査法を使っていた本事件もマスコミで採り上げられ、そこではおおむね、国家が無実の人に死刑を執行してしまったのではないかというスタンスで報道された。
しかし、足利事件は以下の特徴があった。
- DNA型がほぼ唯一の証拠でありその証拠力が最大の争点となった。
- 当時の123塩基マーカーで計測したMCT118型の鑑定結果を、新しいアレリックラダーマーカーで計測したところ、犯人と服役囚のDNA型が一致しなかった。
それに対して、本事件は以下の特徴があった。
- 第二審でアレリックラダーマーカーが検討されているほか、新たに開発されたTH01型とPM型の検査法によっても久間が犯人であることと矛盾しない結果が出た。
- 複数の状況証拠が存在し、血液型とMCT118型の一致は「決定的な積極的間接事実とはなりえない」ことを前提に判決が下されている。
しかし、マスコミはこれらの点を無視している。
また、足利事件は、日本弁護士連合会が支援する再審事件であった[5]が、本事件は日弁連ですら支援していない事件であることからして察するべきである。
なぜマスコミは冤罪に誘導するのか
- 『無実の人に死刑執行をしたのか!?』というキャプションなら視聴者を引き付けやすいから。
- 無罪が確定した事件に対して「これは有罪だ」という方向に誘導する報道の場合、その無罪確定者に対する人権侵害となり、損害賠償沙汰になりかねない。逆に、有罪が確定した事件に対して「これは無罪だ」という方向に誘導する報道は、報道の中立性という点では悪質でも表現の自由・報道の自由がある以上、国からも文句を言われないから。
- 弁護士の意見に沿って展開すればいいので、番組制作としても楽だから。
- 単純に、この事件の判決文はたいへん長いためにマスコミが自身で読む能力がないなどの理由で弁護士の意見をそのまま信じてしまったから。
弁護団の理屈
弁護団は、2012年10月に記者会見を開き、犯人のものとされるDNA型の写真のネガフィルムを鑑定したところ、ネガの周辺が切り取られておりその部分から第三者のDNA型も確認された旨、及び、そのような切り取りがあったので改竄捏造の可能性がある旨を主張した[6]。もちろん、弁護側なのでこういう主張をするのは当然だろうが、その主張をあたかも真実が担保されたかのように流すマスコミの姿勢にはうんざりである。
しかも、ネガの切り取りについては、「写真は書面のサイズの問題で一部を切り取っただけ」[7]にすぎず、弁護団が第三者のDNA型と主張する部分については、どうみてもノイズにしか見えない部分であり、実際に再審請求でもエキストラバンド(余分な帯)という結論を下されている。
百歩譲って第三者のDNA型が現場にあったとしても、それは現場にいた虫とかのDNAかもしれず(そもそも、他の生き物のDNAがつく可能性を主張していたのは冤罪派の方である)、そこからさらに百歩譲ってその第三者のDNA型が人間のものであったとしても、久間のDNA型も映っていたことは弁護団も否定していないのであり、結局、久間に共犯者がいたことを新たに裏付けるだけであり、久間が黒であることには変わりないのである。
判決文をろくに読んでいない(もしくは意図的に誘導した)ためにツッコミどころ満載の報道
1988年の女児行方不明事件
本事件以前の事件現場周辺では、1988年12月4日に本件被害者と同一小学校で小学校1年生の女児が、弟の友人(久間の息子)を訪ねて久間宅に遊びに行ったのを最後に行方不明になる事件が発生(愛子ちゃん行方不明事件)[8][9]。本件で逮捕後の久間をポリグラフにかけた際に反応の出た山林一帯を捜索した結果、女児のジャンパーとトレーナーが発見された[8]。久間は事件当日に女児と会っていた事は認めたが、行方については知らないとした。その後はさらなる発見がなく1995年2月18日に再捜索は打ち切られ、現在も未解決である。困ったことに、冤罪派は、そのときに見つかったジャンパーやトレーナーが妙に新しかったので、これは警察による証拠捏造であると主張している。しかし、仮に不自然にそれらの衣服が新しかったとしても、新たに2女児殺害事件が起こって家宅捜索が近いと思った愛子ちゃんの誘拐犯が慌てて所有していたこれらの衣服を捨てたと考えればもっとも整合性がとれるのであり、そこに何ら不審な点はない。仮に冤罪派の主張を採るとすれば、そもそも事件か事故かすら分かっていない行方不明の事案において、なぜ警察が密かに行方不明女児の衣服を隠し持っている必要があるのか説明できない。
参照元
- ↑ 1993年9月29日西部読売夕刊
- ↑ 日本経済新聞1994年9月24日
- ↑ 毎日新聞1994年9月24日
- ↑ K死刑囚ら2人刑執行 ペース定着、年間最多更新 47NEWS 2008年10月28日
- ↑ http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/publication/books/data/hakusho_tokushu2013_1.pdf
- ↑ http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121025-OYT1T01330.htm[リンク切れ]
- ↑ http://mainichi.jp/select/news/20121026k0000m040111000c.html 毎日新聞2012年10月25日[リンク切れ]
- ↑ 8.0 8.1 読売新聞西部1995年1月3日
- ↑ 朝日新聞1994年11月11日夕刊