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12世紀(じゅうにせいき)とは、西暦1101年から西暦1200年までの100年間を指す。
12世紀の歴史[編集]
ヨーロッパ[編集]
西ヨーロッパでは、前世紀に続き二度、第二回、第三回の十字軍の遠征が行なわれた(詳しくは以下の「西アジア」の節を参照)。また、古典の文化がイスラム・ビザンツの文化を経由してヨーロッパに伝えられ、哲学、美術、文学などの分野でも新しい動きを見せた(12世紀ルネサンス)。
西アジア[編集]
十字軍に対するイスラムの反撃が始まり、1144年にエデッサが陥落する。これを受け、第二回十字軍がシリアのダマスカスを攻撃したが、敗退した。1187年、アイユーブ朝のスルタン、サラーフッディーンによりエルサレム王国軍が壊滅し(ヒッティーンの戦い)、約90年ぶりにエルサレムがイスラム側によって奪還された。この事件は第3回十字軍遠征(1189年-1192年)に発展したが、イングランドとフランス、そして神聖ローマ帝国の十字軍は薄く延びる沿岸地域の奪還にとどまった(ただし、休戦協定によりキリスト教徒のエルサレム巡礼の自由は保証された)。
東アジア[編集]
中国[編集]
中国では、遼朝に服属していた女真の反乱により金朝が建国された。金朝はその10年後には遼朝および北宋を滅ぼし北半を征服、新たに再興した南半を征する南宋と対峙することになる。
日本[編集]
天皇家・摂関家を巻き込む政争「保元の乱」「平治の乱」により武士の政治的地位が上昇した。両乱で活躍した平清盛の打ち立てた平氏政権が栄えたが、治承・寿永の乱(源平合戦)における最終決戦「壇ノ浦の戦い」で源氏を筆頭とする勢力が勝利し平家が滅亡したことにより、源氏の頭領源頼朝による新たな武家政権、鎌倉幕府の成立に至る。
できごと[編集]
- 1101年 - 大地震により興福寺金堂・大門倒壊する。興福寺と金峰山の僧徒争う。
- 1102年 - 北宋の蔡京が「元祐党籍碑」を建て、旧法党関係者を追放する。
- 1102年 - 村上源氏が公卿の過半数を占める。
- 1107年 - 堀河天皇が没し、宗仁親王が即位(第74代鳥羽天皇)。
- 1107年 - 英国での叙任権闘争の終わりを意味するウェストミンスター合意なる(アンセルムスの項参照)。
- 1115年 - 女真族の完顔阿骨打が金を建国。
- 1118年 - アラゴン王アルフォンソ1世のサラゴサ占領。サラゴサはアラゴンの首都となる。
- 1120年 - 北宋と金との海上の盟が結ばれる。北宋で方臘の乱が起こる。
- 1122年 - 神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世とローマ教皇カリストゥス2世がヴォルムス協約を締結。叙任権闘争に一応の終止符をうつ。
- 1123年 - 鳥羽天皇が譲位し、第75代崇徳天皇が即位する。
- 1125年 - 金が遼を滅ぼす。
- 1126年 - 靖康の変が起き、金が北宋を滅ぼす。翌年北宋皇帝の弟趙構が南京で南宋を立てる。
- 1127年 - 新立の荘園を停止する(大治の荘園停止令)。
- 1130年 - ノルマン人が南イタリア・シチリアにシチリア王国を建国。
- 1131年 - コンスタンティノポリス総主教からキエフ大公ユーリー・ドルゴルーキーに「ウラジーミルの聖母」が贈られる。
- 1132年 - 遼の皇族耶律大石が西遼を建国。
- 1137年 - アラゴン王国とバルセロナ伯国の連合によるアラゴン連合王国の成立。
- 1139年 - ポルトガル王国が建国される。
- 1140年 - スコットランド王デイヴィッド1世がイングランドよりカーライルの貨幣鋳造所を支配下に納め、スコットランドで初めてコインを製造。
- 1142年 - 南宋と金の紹興の和議。
- 1142年 - 崇徳天皇が譲位し、第76代近衛天皇が即位。
- 1147年 - 第2回十字軍(-1149年)。
- 1147年 - ムワッヒド朝がムラービト朝を滅ぼす。
- 1155年 - スウェーデン王エリク9世、フィンランド遠征。北方十字軍始まる。
- 1155年 - 近衛天皇が没し、第77代後白河天皇が即位。
- 1156年 - 保元の乱。
- 1158年 - 後白河天皇が譲位し、第78代二条天皇が即位。
- 1159年 - 平治の乱。
- 1161年 - 金が南宋との采石機の戦いで敗北。
- 1164年 - 平重盛、正三位に叙される。
- 1164年 - 南宋と金の隆興の和議(乾道の和議)。
- 1165年 - 二条天皇が譲位し、第79代六条天皇が即位。
- 1167年 - 平清盛、太政大臣となる。
- 1168年 - 朱熹と陸九淵の鵞湖の会がもたれる。
- 1168年 - 六条天皇が譲位し、第80代高倉天皇が即位。
- 1169年 - サラーフッディーンがエジプトの支配者となり、アイユーブ朝を興す。
- 1171年 - エジプトのファーティマ朝が断絶。
- 1174年 - 平清盛が大輪田泊(神戸)に経が島(経ヶ島)を築く。
- 1176年 - レニャーノの戦いでロンバルディア同盟が神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世に勝利。
- 1177年 - 後白河法皇の側近達が鹿ケ谷の陰謀を企てるが失敗。
- 1180年 - 高倉天皇が譲位し、第81代安徳天皇が即位。
- 1180年 - 源頼朝が平氏に対して挙兵。福原行幸。
- 1183年 - 平氏とともに西走した安徳天皇と並立して第82代後鳥羽天皇が即位。
- 1185年 - 壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡。安徳天皇は祖母平時子に抱かれて入水し8歳で崩御。
- 1187年 - ヒッティーンの戦い。アイユーブ朝のサラーフッディーンによりエルサレム王国の十字軍が壊滅。
- 1189年 - スコットランド王ウィリアム1世、イングランドからの主権を回復(カンタベリー協定)。
- 1189年 - 第3回十字軍(-1192年)。
- 1189年 - 奥州合戦により奥州藤原氏滅亡。
- 1191年 - アルスフの戦いによりリチャード1世の十字軍がサラーフッディーンを撃退。
- 1192年 - 源頼朝が征夷大将軍となる(一般的にはこれを以って、鎌倉時代の始まりとされる)。
- 1193年 - 曾我祐成・曾我時致兄弟が父の仇工藤祐経を討つ(曾我兄弟の仇討ち)。
- 1193年 - ゴール朝の将軍ムハンマド・バフティヤール・ハルジーがインドのナーランダ寺院を破却。
- 1194年 - 南宋の孝宗(太上皇帝)が死去。皇帝光宗が趙汝愚・韓侂冑らに廃位され寧宗が即位(紹煕の内禅)。
- 1194年 - ホラズム・シャー朝がセルジューク朝を滅ぼし、イラン・イラクを制圧。
- 1195年 - アラコルスの戦いでムワッヒド朝のヤアクーブ・マンスールがカスティーリャ軍に勝利。
- 1196年 - 慶元の党禁により朱熹の学派が弾圧される。
- 1197年 - ムワッヒド朝のヤアクーブ・マンスールが哲学を禁止し哲学者イブン・ルシュドを追放。
- 1198年 - 後鳥羽天皇が譲位し、第83代土御門天皇が即位。
フィクションのできごと[編集]
- 1193年 - saku sakuに出てくるアパート「エスポワ〜ル横浜第2」が数々の名宮大工の手によって完成。
人物[編集]
キリスト教世界[編集]
フランス[編集]
- ギヨーム9世(1071年 - 1126年) - 南フランスのアキテーヌ公(在位1088年 - 1126年)・「最初のトルバドゥール」と称される
- ピエール・アベラール(1079年 - 1142年) - 神学者・スコラ学者(唯名論者)・エロイーズとの恋とそれに伴う去勢でも有名
- シュジェール(1081年頃 - 1151年) - サン=ドニ修道院長・国王ルイ7世不在の際の摂政・サン=ドニ大聖堂を建立・歴史家でもある
- クレルヴォーのベルナール(1090年 - 1153年) - シトー会修道院長・神学者・説教者・教会博士(甘蜜博士)・第2回十字軍を勧請
- 尊者ピエール(1094年 - 1156年) - クリュニー修道院長・「トレド集成」の作成を指導し12世紀ルネサンスの研究に貢献
- サン・ヴィクトルのフーゴー(1096年 - 1141年) - キリスト教神学者・サン・ヴィクトル学派の創始者・著作に『ディダスカリコン』がある
- ルイ7世(1120年 - 1180年) - カペー朝のフランス国王(在位1137年 - 1180年)・第2回十字軍に参加
- クレティアン・ド・トロワ(1135年頃 - 1183年頃) - フランスの吟遊詩人・『聖杯の騎士ペルスヴァル』など騎士道物語を作品とする
- ピエール・ヴァルドー(1140年 - 1218年?) - ワルドー派の始祖・リヨン出身の商人だったが巡回説教者になり教会に破門される
- フィリップ2世(尊厳王) (1165年 - 1223年) - フランス王(在位1180年 - 1223年)・第3回十字軍参加
イングランド[編集]
- スティーブン (1096年 - 1154年) - ブロワ朝唯一のイングランド王(在位1135年 - 1154年)・無政府時代の内乱を招来
- マティルダ(1102年 - 1167年) - イングランド王ヘンリー1世の王女・スティーブンと王位継承を争う・ヘンリー2世の母
- アリエノール・ダキテーヌ(1122年 - 1204年) - アキテーヌ女公・フランス王ルイ7世王妃からイングランド王ヘンリー2世王妃となる
- ヘンリー2世(1133年 - 1189年) - アンジュー伯・プランタジネット朝の初代イングランド国王(在位1154年 - 1189年)
- リチャード1世(獅子心王)(1157年 - 1199年) - イングランド王(1189年 - 1199年)・第3回十字軍参加
- ジョン(欠地王) (1167年 - 1216年) - イングランド王(在位1199年 - 1216年)・兄リチャード1世に代わり国政を担当
- ロビン・フッド(生没年不詳) - イングランドの伝説上の義賊・国王リチャード1世が十字軍で不在の時期に圧政に抵抗したとされる
- バースのアデラード(1080年頃 - 1152年頃) - イングランド出身の学者・エウクレイデス『原論』やフワーリズミー『天文表』を翻訳
- ジェフリー・オブ・モンマス(1100年頃 - 1155年頃) - イングランドの聖職者・歴史家・アーサー王伝説を織り交ぜ『ブリタニア列王史』を執筆
- ソールズベリーのジョン (1115年? - 1180年) - イングランド出身の聖職者・シャルトル学派の一人・著作に『メタロギコン』がある
- トマス・ベケット(1118年 - 1170年) - イングランドのカンタベリー大司教・教会勢力を擁護しヘンリー2世に暗殺される
スコットランド[編集]
- デイヴィッド1世 (1080年 - 1153年) - スコットランド王(在位1124年 - 1153年)・カーライルの貨幣鋳造所を獲得
- ウィリアム1世(1143年 - 1214年) - スコットランド王(在位1165年 - 1214年)・イングランドとカンタベリー協定を締結
イタリア[編集]
- カリストゥス2世(1065年/1068年? - 1124年) - ローマ教皇(在位1119年 - 1124年)・ヴォルムス協約により叙任権闘争を終わらせる
- ルッジェーロ2世(1095年 - 1154年) - オートヴィル朝の初代シチリア王(在位1130年 - 1154年)
- アルノルド・ダ・ブレシア(1100年? - 1155年) - ローマの参事会員・教会改革を訴えて教皇を放逐し共和政を樹立・後に火刑にされる
- ヨハンネス・グラティアヌス(1100年? - 1150年?) - ボローニャの法学者・『グラティアヌス教令集』を精選し「カノン法の父」と呼ばれる
- ペトルス・ロンバルドゥス(1100年頃 - 1160年) - キリスト教神学者・『命題集(センテンティエ)』を著し「命題集の師」と呼ばれる
- フィオーレのヨアキム(1135年 - 1202年) - シトー会修道院長・ヨアキム主義と呼ばれる終末論的神秘思想を唱えるが異端ともされる
イベリア半島[編集]
神聖ローマ帝国[編集]
- ハインリヒ5世(1086年 - 1125年) - ザーリアー朝の神聖ローマ皇帝(在位1111年 - 1125年)・ヴォルムス協約を締結
- コンラート3世(1093年 - 1152年) - シュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝(在位1138年 - 1152年)・第2回十字軍参加
- フライジングのオットー(1114年 - 1158年) - フライジング司教・皇帝コンラート3世の異父弟・歴史家として普遍史『年代記』を執筆
- フリードリヒ1世(赤髭王)(1123年 - 1190年) - シュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝(在位1152年 - 1190年)・第3回十字軍参加
- ビンゲンのヒルデガルト(1098年 - 1179年) - ドイツのベネディクト会系女子修道院長・神秘家・作曲家・薬学者
北欧[編集]
東ローマ帝国[編集]
- アンナ・コムネナ(1083年 - 1153年) - 東ローマ皇帝アレクシオス1世コムネノスの皇女・女流歴史家で『アレクシアド』の著者
- マヌエル1世(1118年 - 1180年) - 東ローマ帝国コムネノス朝第3代皇帝(在位1143年 - 1180年)・ローマ帝国の再興を目指す
- イサキオス2世(1156年 - 1204年) - 東ローマ帝国アンゲロス朝初代皇帝(在位1185年 - 1195年)・兄弟争いで第4回十字軍を招く
- ヤコボス・コッキノバフォス(生没年不詳) - 東ローマ帝国の修道士・ギリシア語による彩色写本『聖母マリア讃詞集』を作成
東欧[編集]
- ステファン・ネマニャ(1113年 - 1200年) - セルビア王国ネマニッチ朝初代国王(在位1171年 - 1196年)・ヒランダル修道院を創建
- イーゴリ・スヴャトスラーヴィチ(1151年 - 1202年) - ロシアのノヴゴロド・セーヴェルスキイ公・『イーゴリ遠征物語』の主人公
十字軍国家[編集]
- ボードゥアン1世(1065年頃 - 1118年) - 第1回十字軍の指導者の一人・初代エルサレム王(在位1100年 - 1118年)
- ギヨーム・ド・ティール(1130年頃 - 1186年) - ティルス大司教・ボードゥアン4世の家庭教師・歴史家として『エルサレム王国史』を残す
- ボードゥアン4世(1161年 - 1185年) - エルサレム国王(在位1174年 - 1185年)・重病ながらもモンジザールの戦いでは勝利を得る
- ギー・ド・リュジニャン(1159年 - 1194年) - エルサレム国王(在位1186年 - 1192年)・ハッティンの戦いで敗れてエルサレムを喪失
イスラム世界[編集]
- ガザーリー(1058年 - 1111年) - ペルシアのイスラム神学者・哲学者・神秘主義者(スーフィー)・著作に『哲学者の矛盾』がある
- イブン・トゥーマルト(1080年頃 - 1130年頃) - ベルベル人のマフディー(救世主)・神の唯一性を唱えムラービト朝に反抗
- サナーイー(? - 1131年/1134年/1150年) - ペルシアの神秘主義詩人・代表作に「真理の園」がありアッタールやルーミーに影響を与える
- アフマド・サンジャル( 1086年 - 1157年) - 統一セルジューク朝の最後のスルタン(在位1118年 - 1157年)・王朝の再興に一時的に成功する
- ザンギー(1087年? - 1146年) - アタベク政権ザンギー朝の初代君主(在位1127年 - 1146年)・十字軍への組織的抵抗を開始
- アブドゥルムウミン(1094年 - 1163年) - ムワッヒド朝の初代アミール(在位1130年 - 1163年)でイブン・トゥーマルトの後継者
- イブン・バーッジャ(1095年? - 1138年) - ムラービト朝の宰相・西方イスラム哲学の始祖・著作に『孤独者の経綸』がある
- イドリースィー(1099年/1100年? - 1165年/1166年/1180年?) - シチリア王に仕えた地理学者・世界地図『ルッジェーロの書』を作成
- イブン・トファイル(1105年-1185年) - ムワッヒド朝に仕えた侍医・西方イスラム哲学者・著作に『ヤクザーンの子ハイイの物語』がある
- ヌールッディーン(1118年 - 1174年) - アタベク政権ザンギー朝の第2代君主(在位1146年 - 1174年)・エデッサ伯領を滅ぼす
- イブン・ルシュド(1126年 - 1198年) - ムワッヒド朝の西方イスラム哲学の中心人物・ガザーリーの論敵・著作に『矛盾の矛盾』がある
- マイモニデス(1135年 - 1204年) - スペイン出身のユダヤ教徒ラビ・哲学者・サラーフッディーンの侍医・著作に『ミシュネー・トーラー』がある
- サラーフッディーン(1138年 - 1193年)- アイユーブ朝の初代君主(在位1171年 - 1193年)・イェルサレムを十字軍から奪回
- ニザーミー(1141年 - 1209年) - ペルシアの詩人・『ホスローとシーリーン』『ライラとマジュヌーン』の作者
- イブン・ジュバイル(1145年 - 1217年) - ムワッヒド朝の旅行家・アラビアからエジプトそしてシチリアを遍歴した『旅行記』がある
- スフラワルディー(1155年 - 1191年) - ペルシアのイスラム神学者・神秘主義者で照明学派(イシュラーク派)の祖・保守派と対立し獄死
- ヤアクーブ・マンスール(? - 1198年) - ムワッヒド朝のアミール(在位1184年 - 1198年)・王朝の最盛期・哲学者イブン・ルシュドを追放
- アラーウッディーン・テキシュ(? - 1200年) - ホラズム・シャー朝の第6代君主(在位1172年 - 1200年)・イラクのセルジューク朝を滅ぼす
- ギヤースッディーン・ムハンマド(? - 1203年) - ゴール朝の君主(在位1163年 - 1203年)・イラクから北インドまで領土拡大
南アジア・チベット・東南アジア[編集]
- ラーマーヌジャ(1017年 - 1137年) - インドの哲学者・バクティ信仰でヒンドゥー教を変革しカビールやナーナクに影響を与える
- ミラレパ(1052年 - 1135年) - チベット仏教の修行者・宗教詩人・四大宗派の一つであるカギュ派の祖
- ヴィシュヌヴァルダナ(? - 1152年) - ホイサラ朝の王(在位1110年 - 1152年)・ホイサレシューヴァラ寺院を建立
- スーリヤヴァルマン2世(? - 1150年) - カンボジアのアンコール朝の国王(在位1113年 - 1150年)・アンコール・ワットを建設
- バースカラ2世(1114年 - 1185年) - インドの数学者・天文学者・『リーラーヴァティ』『ビージャガニタ』『シッダーンタ・シロマーニ』を著す
- プリトヴィーラージャ3世(1149年 - 1192年) - チャウハーン朝の王(在位1165年 - 1192年)・ラージプートを糾合しゴール朝と戦う
- ジャヤーヴァルマン7世(1130年 - 1218年) - カンボジアのアンコール朝の国王(在位1181年 - 1218年)・アンコール・トムを建設
東アジア[編集]
北宋・南宋[編集]
- 蔡京(1047年 - 1126年) - 北宋末の政治家・宰相・書家・奸臣「六賊」の一人
- 童貫(? - 1126年) - 北宋末の宦官で軍人・奸臣「六賊」の一人
- 方臘(? - 1121年) - 北宋末の方臘の乱の指導者・喫菜事魔(マニ教の流れか)を行う
- 宋江(生没年不詳) - 北宋末の山東の反乱指導者・後に転じて方臘の乱の討伐に与したか・『水滸伝』では梁山泊の首領
- 圜悟克勤(1063年 - 1135年) - 北宋末期から南宋初期の禅僧・語録であり公案集でもある『碧巌録』を編纂
- 徽宗 (1082年 - 1135年) - 北宋の第8代皇帝(在位1100年 - 1125年)・「風流天子」と呼ばれ画家で書家でもある
- 李清照(1084年 - 1153年) - 北宋末期から南宋初期の女流詩人(詞人)
- 張択端(1085年 - 1145年) - 北宋の画家・首都開封の繁栄を描いた「清明上河図」で知られる
- 孟元老(生没年不詳) - 北宋末期から南宋初期の文人・靖康の変で南渡し首都開封の記録である『東京夢華録』を執筆
- 秦檜(1090年 - 1155年) - 南宋の宰相・金との和平派・金と紹興の和議を結ぶ
- 欽宗(1100年 - 1161年) - 北宋の第9代皇帝(在位1125年 - 1127年)・靖康の変で父徽宗らと金に連行される
- 岳飛(1103年 - 1141年) - 南宋の武将・金との主戦派・和平派に処刑される
- 高宗(1107年 - 1187年) - 南宋の初代皇帝(在位1127年 - 1162年)・徽宗の子で欽宗の弟
- 陸游(1125年 - 1210年) - 南宋の政治家・詩人で「南宋四大家」の一人・詩集に『剣南詩稿』がある
- 孝宗(1127年 - 1194年) - 南宋の第2代皇帝(在位1162年 - 1189年)・南宋の最盛期を現出(乾淳の治)
- 趙汝愚(? - 1196年) - 南宋の宰相・朱熹の庇護者・光宗を廃し寧宗の擁立を謀る・韓侂冑らにより慶元の党禁で失脚
- 朱熹(1130年 - 1200年) - 南宋の儒学者・朱子学(新儒学)の大成者・弟子のまとめた『朱子語類』が知られる
- 呂祖謙(1137年 - 1181年) - 南宋の儒学者・朱熹と陸象山との会談(鵝湖の会)を準備したことで知られる
- 陸象山(1139年 - 1192年) - 南宋の儒学者・朱熹の論敵・「心即理」の概念は陽明学の淵源となる
金[編集]
- 完顔阿骨打(1068年 - 1123年) - 女真族の金の初代皇帝(太祖)(在位1115年 - 1123年)
- 太宗(1075年 - 1135年) - 女真族の金の第2代皇帝(在位1123年 - 1135年)・阿骨打の弟・遼と北宋をそれぞれ滅ぼす
- 王重陽(1112年 - 1170年) - 金の道士・道教の一派である全真教の開祖
- 海陵王(1122年 - 1161年) - 金の第4代皇帝(在位1150年 - 1161年)・燕京に遷都・南宋と采石磯で戦うも敗北し廃位される
- 世宗(1123年 - 1189年) - 金の第5代皇帝(在位1161年 - 1189年)・南宋と乾道の和約を結ぶ
西遼[編集]
高麗[編集]
日本[編集]
- 白河天皇(1053年 - 1129年) - 第72代天皇(在位1072年 - 1086年)・上皇(法皇)として堀河・鳥羽・崇徳の三代で院政を行う
- 覚猷(鳥羽僧正)(1053年 - 1140年) - 僧侶・天台座主・鳥獣人物戯画の作者に擬せられ戯画「鳥羽絵」の祖とされる
- 藤原顕隆(1072年 - 1129年) - 公卿・権中納言・白河院の近臣・摂関を越えて政策を決定したので「夜の関白」と評される
- 良忍(聖応大師)(1073年 - 1132年) - 僧侶・融通念仏宗の開祖・京都大原の来迎院を再興・天台声明を統一する
- 藤原忠実(1078年 - 1162年) - 公卿・摂政・関白・太政大臣・白河院に圧迫されながら摂関家を維持・忠通や頼長の父
- 源義親(? - 1108年) - 武将・源義家の子・対馬守に任じられるが九州各地で狼藉を行い平正盛に追討される(康和の乱)
- 覚鑁(興教大師)(1095年 - 1144年) - 僧侶・真言宗中興の祖にして新義真言宗の祖・根来寺開山
- 源為義(1096年 - 1156年) - 武将・左馬頭・河内源氏の棟梁・保元の乱で処刑される・義朝や為朝の父
- 藤原忠通(1097年 - 1164年) - 公卿・摂政・関白・太政大臣・書家(法性寺流)・直系子孫が五摂家に分立
- 鳥羽天皇(1103年 - 1156年) - 第74代天皇(在位1107年 - 1123年)・院政を行う・崩御して保元の乱が発生
- 源頼政(1104年 - 1180年) - 武将・平治の乱では平氏方に与す・後に以仁王の挙兵に従い宇治平等院の戦いで敗死
- 藤原通憲(信西)(1106年? - 1160年) - 学者・僧侶・後白河院の近臣・保元新制を指導するが平治の乱で横死
- 藤原俊成(1114年 - 1204年) - 公卿・歌人・『千載和歌集』の選者・家集に『長秋詠藻』がある・藤原定家は子
- 平清盛(1118年 - 1181年) - 武将・公卿・太政大臣・平氏政権の全盛期・治承三年の政変や福原遷都で反発を招く
- 西行(1118年 - 1190年) - 僧侶・歌人で『新古今和歌集』最多入撰・私家集として『山家集』がある
- 崇徳天皇(1119年 - 1164年) - 第75代天皇(在位1123年 - 1142年)・保元の乱で讃岐国に配流・怨霊伝説あり
- 藤原頼長(1120年 - 1156年) - 公卿・左大臣(悪左府)・保元の乱で横死・日記『台記』を残す
- 重源(1121年 - 1206年) - 僧侶・東大寺大勧進職・治承・寿永の乱で焼失した東大寺を再建
- 藤原秀衡(1122年? - 1187年) - 奥州藤原氏第3代当主・治承・寿永の乱でも独立を維持・落ち延びた源義経を庇護
- 源義朝(1123年 - 1160年) - 武将・保元の乱では勝利するが平治の乱で敗死・頼朝や義経らの父
- 後白河天皇(1127年 - 1192年) - 第77代天皇(在位1155年 - 1158年)・治承・寿永の内乱を生き残る・『梁塵秘抄』を撰述
- 藤原信頼(1133年 - 1160年) - 公卿・権中納言・後白河院の近臣・平治の乱で信西を倒すが政権を守れず乱後に処刑される
- 平重盛(1138年 - 1179年) - 武将・公卿・内大臣(小松内大臣)・平清盛の長男・鹿ケ谷の陰謀で立場を失う
- 北条時政(1138年 - 1215年) - 鎌倉幕府初代執権(在任1203年 - 1205年)・源頼朝の義父として挙兵を援助
- 源為朝(1139年 - 1170年) - 武将・平治の乱で敗北し伊豆大島へ配流・琉球王家の始祖伝説あり
- 梶原景時(1140年? - 1200年) - 武将・鎌倉幕府侍所所司・源頼朝に近侍し源義経と対立・梶原景時の変で滅ぼされる
- 平宗盛(1147年 - 1185年) - 武将・公卿・内大臣(屋島大臣)・清盛没後の平氏一門を統率・壇ノ浦の敗北後に斬首される
- 源頼朝(1147年 - 1199年) - 鎌倉幕府初代将軍(在任1192年 - 1199年)・源義仲と平氏一門を滅ぼし奥州合戦に勝利
- 九条兼実(1149年 - 1207年) - 公卿・摂政・関白・太政大臣・九条家の祖・この時代の記録として『玉葉』を残す
- 源通親(1149年 - 1202年) - 公卿・後白河院の近臣・内大臣・「源博陸」・建久七年の政変で九条兼実を失脚させる
- 以仁王(1151年 - 1180年) - 後白河院の皇子・「以仁王の令旨」により諸国の源氏に平氏打倒の挙兵を促したが敗死する
- 平知盛(1152年 - 1185年) - 武将・公卿・権中納言(新中納言)・兄宗盛を補佐し平氏都落ち以後は転戦・壇ノ浦で入水
- 源義仲(1154年 - 1184年)- 武将・征夷大将軍(征東大将軍)・平氏一門を都落ちさせる・後に源義経に追討される
- 平重衡(1157年 - 1185年)- 武将・公卿・南都焼討により東大寺や興福寺を炎上させる・一ノ谷の戦いで捕虜となり斬首
- 源義経(1159年 - 1189年) - 武将・検非違使・壇ノ浦の戦いで平氏一門を滅ぼす・後に奥州合戦で兄の頼朝に追討される