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2020年1月8日 (水) 04:25時点における版

'''稲城市'''(いなぎし)は、[[東京都]]の[[多摩地域]]南部にある[[市]]である。東京都[[東京都区部|特別区部]]への通勤率は28.8%(平成22年国勢調査)。 == 概要 == [[日本住宅公団]](現:[[独立行政法人]][[都市再生機構]])による1970年代以降の[[多摩ニュータウン]]建設や[[京王相模原線]]、[[小田急多摩線]]沿線の開発に伴い、[[多摩川]]流域の既存住宅地と合わせた人口が急増した。古くから[[ナシ]]や[[ブドウ]]の産地として有名である。サッカー[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]・[[東京ヴェルディ1969|東京ヴェルディ]]の[[ホームタウン]]でもある。 ==地理== 東京都心から西南に約25[[キロメートル|km]]。[[多摩川]]右岸に位置し、市内大丸にて取水した[[大丸用水]]が東部を潤し、東西方向に[[三沢川 (多摩川水系)|三沢川]]が横断する。 [[多摩丘陵]]の北東部に位置し、現在は多くが住宅地となっているが、古くから[[谷戸]]地形を活かした[[農業]]が営まれており、[[森林]]も比較的多く残っている。 市域は「勾玉」の形をしており、[[よみうりランド]]内の一部が[[飛地]]となっている。 [[ファイル:90・01・15 よみうりランド観覧車から見た京王よみうりランド駅と稲城市街.jpg|thumb|90・01・15 よみうりランド観覧車から見た京王よみうりランド駅と稲城市街]] ===地形=== 大まかに分けると[[多摩丘陵]]と多摩川周辺の[[沖積地]]の二つとなり、多摩周辺の沖積地(平地)が北部を、多摩丘陵が南部を形成する。また多摩川支流の[[三沢川]]が、多摩丘陵部を北西と南西に分ける形で流れる。 多摩川沿いには[[JR線]]の「[[矢野口駅|矢野口]]」「[[稲城長沼駅|稲城長沼]]」「[[南多摩駅|南多摩]]」の3つの駅、三沢川沿いには[[京王電鉄|京王]][[相模原線]]の「[[京王よみうりランド駅|京王よみうりランド]]」「[[稲城駅|稲城]]」の2つの駅がある。 三沢川にほぼ平行して建設された[[鶴川街道]]を北上すると[[稲城大橋]]があり、中央道に続くこの稲城大橋が多摩南部とのパイプ的役割を果たしている。 ===地質=== 稲城には、坂浜や平尾の丘陵地や台地に[[関東ローム層]]が堆積しており、その中の立川ロームという地層から14か所の[[旧石器時代 (日本)|旧石器時代]]遺跡が発見されている。 ===市域の概要=== ====東・北部==== 多摩川と[[多摩丘陵]]([[南山 (稲城市)|南山]](みなみやま)と呼ばれる)にはさまれた地域。[[南武線]]や[[東京都道41号稲城日野線|川崎街道]]、[[南多摩尾根幹線]]([[鶴川街道]])、[[京王相模原線]]が横断し、市の中心部を形成する。もともとは[[多摩川]]の氾濫原であり、平坦な地形である。[[南山 (稲城市)|南山]]の際には[[川崎市]][[麻生区]][[黒川 (川崎市)|黒川]]を水源とする三沢川が流れている。古代から稲作が行われてきた地域で、江戸期には[[大丸用水]]が開削されている。大丸から多摩市[[連光寺]]に通じる斜面では[[奈良時代]]、[[武蔵国|武蔵]][[国分寺]]に使用する瓦を焼いており、窯跡が発掘されている(大丸遺跡)。[[鶴川街道]]の拡張など急速に宅地開発が進んでいるが、広々とした敷地に古格のある土蔵が建っている古くからの農家もまだまだ残っている。 市内の多摩丘陵は[[南山 (稲城市)|南山]](みなみやま)と呼ばれ、新宿から30分という近さにも関わらずタヌキ、オオタカなど豊かな自然が残る大規模な[[里山]]として知られているが、その東側は現在、区画整理組合方式による宅地開発が行われている。ただし、これに反対する意見も根強い。 [[ファイル:Inagi1.jpg|350px|thumb|稲城市東部・西部遠景。手前から矢野口、大丸、向陽台。右手が東長沼。]] [[ファイル:90年12月、百村から見た稲城駅、よみうりランド方向.jpg|thumb|90年12月、百村から見た稲城駅、よみうりランド方向]] [[ファイル:90年12月、百村から見た稲城駅、よみうりランド方向2.jpg|thumb|90年12月、百村から見た稲城駅、よみうりランド方向2]] *矢野口(やのくち) :一部が[[神奈川県]][[川崎市]][[多摩区]][[菅仙谷]]への[[飛び地]]となっている。 *押立(おしたて) *東長沼(ひがしながぬま) :近世には長沼村と呼ばれていたが、明治になって南多摩郡が設置された時、郡内に「長沼」という地名が二つあった為(もう一つは現在の八王子市長沼町)、東にある長沼ということで東長沼と改称された<ref>今尾恵介『多摩川絵図今昔』(けやき出版)</ref>。 *大丸(おおまる) *百村(もむら) ====西部==== [[File:Wakabadai.JPG|thumb|250px|若葉台の街並み]] 多摩ニュータウンの東端となる地域である。向陽台は最も早く開発された地域で、駅からの距離は若干遠いものの、中央図書館、市立病院、中央公園などの主要インフラが隣接している。長峰は向陽台と若葉台の間の地域である。若葉台は近年急速に開発が進んだ地域で、大型マンションやショッピングセンターが次々に建設されている。若葉台は稲城市の中でも独特の土地で、黒川はるひ野や多摩市聖ヶ丘・永山など、市外との結びつきが強い。 *[[向陽台 (稲城市)|向陽台]](こうようだい) *長峰(ながみね) *[[若葉台 (稲城市)|若葉台]](わかばだい) ====南部==== 坂浜は[[三沢川 (多摩川水系)|三沢川]]沿いの狭隘な地域であるが、比較的古くから人間が住んだ地域であり、郷土資料館にはこの地域の江戸時代の様子を復元した大型の立体模型が展示されている。三沢川に流れ込む支流が形成した数多くの谷戸で農業が営まれているが、若葉台側の谷戸は急速な宅地化が進んでいる。南側の斜面には駒沢女子大がある。平尾は坂浜から南に高勝寺坂・天神坂を越えた地域で、川崎市麻生区、特に[[新百合ヶ丘]]との結びつきが強い。なお平尾には都内で唯一の「[[十三塚]]」が残っている<ref>{{Cite web |url=http://www.city.inagi.tokyo.jp/shoukai/rekishi/bunkazai/07_jiin_28.htm |title=入定塚・十三塚 |publisher=稲城市 |accessdate=2009-9-2 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110130045431/http://www.city.inagi.tokyo.jp/shoukai/rekishi/bunkazai/07_jiin_28.htm |archivedate=2011-1-30 |deadlinkdate=2013-11-14 }}</ref>。 *坂浜(さかはま) *平尾(ひらお) ===隣接している自治体(行政区)=== *東 - [[川崎市]]([[多摩区]]) *北 - [[府中市 (東京都)|府中市]]、[[調布市]] *西 - [[多摩市]] *南 - 川崎市([[麻生区]]) ==歴史== ===縄文時代=== 現在稲城市がある地域は比較的古くから人間が住んだ土地であり、[[縄文時代]]の遺跡も多数確認されている。それらの多くは、数点の石器が出土しただけの小規模な遺跡で、約2万年前から1万3千年前のものと考えられている。出土した遺物のほとんどすべてが[[尖頭器]](せんとうき)、[[細石器]](さいせっき)、[[ナイフ形石器]]などの石器である。当時の人々はこれらの石器を使い、オオツノ鹿、野牛、[[ナウマン象]]などの大型獣を追って、丘陵のなかを移動しながら[[狩猟]]活動を中心とした生活をしていたと考えられる。市内最大の縄文遺跡は多摩ニュータウンNo.471, 473遺跡(現在の稲城第4公園付近)で、縄文中期の住居跡が数十箇所発見されている。しかし縄文後期に入ると気候の寒冷化や富士山の噴火による降灰によって、市域は縄文人の生活に適さない地域になったと考えられており、この時期以降の遺跡の数は激減している。 ===弥生時代=== 逆に[[弥生時代]]の遺跡は少なく、集落遺跡は平尾台原遺跡のみである。この遺跡では、弥生時代中期と後期、そして後期末から[[古墳時代]]前期にかけて三度にわたり[[集落]]がつくられ、住居跡22軒、[[方形周溝墓]]5基が発見された。この地に最初に米づくりを伝えた弥生時代人は、平尾台原の地を拠点として集落をつくり、活動していたと見られる。 ===奈良時代=== [[ファイル:Aoi Shinto Shrine in Inagi in 2009.jpg|240px|thumb|[[青渭神社]](稲城市東長沼)]] [[奈良時代]]には現在の[[稲城市立図書館|中央図書館]]の東側、日帰り温泉施設がある一帯に窯が築かれ、[[須恵器]]や武蔵国府・武蔵国分寺の瓦を焼いていたことが判っている(多摩ニュータウン No.513 遺跡、通称大丸遺跡)<ref>[http://www.city.inagi.tokyo.jp/shoukai/rekishi/bunkazai/07_jiin_19.htm 大丸遺跡]</ref>。また市内には式内古社あるいは式内古社[[論社]]が三つ存在しており([[青渭神社]]、[[大麻止乃豆乃天神社]]および[[穴澤天神社]])、古墳時代以降に再びこの地域に一定規模の集落が存在したことを伺わせる。 ===平安時代=== 平安末期には現在の市域は小沢郷に含まれ、[[武蔵七党]]のうち[[秩父党]]に属する[[小山田氏]]の支配となった。小山田氏は多摩川の対岸にあった官牧の小山田牧が私有化された小山田荘を所有した豪族であるが、後に稲毛氏と名乗り、[[鎌倉幕府]]の有力御家人となる。 ===鎌倉時代=== [[稲毛氏]]は鎌倉時代も引き続き[[武蔵国]]小沢郷(現在の大丸から矢野口)を所有した。しかし[[北条時政]]が[[執権]]の時、[[稲毛重成]]・小沢重政の父子は[[畠山重忠]]とともに滅ぼされている。その後、小沢郷は、重成の妻が北条政子の妹であった縁で北条氏の支配下に入ったと考えられている。またこのころ、大丸の窯址には砦(大丸城)が築かれていた。[[14世紀]]には現在の坂浜地区に高勝寺が創建されているが、この寺に所蔵されている聖観音像(もとは同じ坂浜の妙福廃寺のもの)は[[12世紀]]半ばの制作と推定されている。また東長沼の常楽寺は寺伝では[[行基]]の開基とされているが、少なくとも本尊の[[阿弥陀如来]]像は[[12世紀]]前半まで遡るものと考えられている。 ===南北朝時代=== [[南北朝時代 (日本)|南北朝期]]には市域も足利尊氏と足利直義の戦闘の舞台となり、穴澤天神社の南にある[[小沢城]]が尊氏側の部隊によって焼き払われている。この時期の小沢郷は摂津親秀を当主とする摂津氏が所有していたが、親秀の孫の満親は小沢郷を京都の[[南禅寺]]に寄進してしまう。その後の小沢郷の消息は文献上はしばらくたどれない。 ===戦国時代=== 次に小沢郷が文献に登場するのは戦国時代である。小沢城は[[世田谷城]]などとともに、[[後北条氏]]の支配下にあり、[[1530年]]には上杉朝興の部隊に攻め落とされるなど、最前線の軍事拠点となっていたことがわかる。後北条氏の家臣団で小沢郷を与えられていたのは[[垪和氏]]である。[[北条氏照]]が[[八王子城]]で戦死し後北条氏が滅亡すると、氏照に従っていた市域の武士たちは帰農したり、あるいは徳川家に仕えて旗本となったと考えられている。例えば坂浜に在住した冨永家は後北条氏に仕えた後、徳川家の旗本になったとされている。 ===江戸時代=== 江戸期には大丸村、長沼村、押立村、矢野口村、百村村、坂浜村、平尾村の六つの村落が点在していたことが、[[1845年]]に制作された『調布玉川惣画図』などから確認出来る。これらの村は現在では「稲城市域六ケ村」と呼ばれている。ただし、この時代までは稲城という地名も存在せず、また現在の稲城市域に地域としての一体性も存在していなかった。 なお、それぞれの村の支配体制であるが、大丸と長沼は旗本の朝倉氏、百村は同じく坪内氏。矢野口は加藤氏と中根氏が支配した後、18世紀半ばに幕府直轄領となる。平尾も18世紀半ばまで黒沢氏で、その後は幕府直轄領。坂浜は天野氏。ただし新田は全て幕府直轄領であった。 ===明治時代・稲城村の誕生=== この地域が地域としての一体性を持ったのは稲城村の成立をもって嚆矢とする。稲城という地名も稲城村の成立時に考案されたものであるが、その由来ははっきりしない。最も有力な説によれば、稲城村の母体となった東長沼外五か村連合の戸長であり、後に初代の村長となった森清之助が、域内で私塾「奚疑塾」を主宰していた[[漢学者]][[窪全亮]]に諮問した結果であるという。この地域が中世に稲毛氏の所領であったことや、かつては良質の米を産したこと、域内にいくつもの山城跡が存在することなどから、「いなげ」に通じる名前として「稲城」が考案されたのではないかと推測されている。 ===市制施行まで=== * [[1889年]]([[明治]]22年)[[4月1日]] - 矢野口・東長沼・大丸・百村・平尾・坂浜の各村が合併し、'''[[神奈川県]][[南多摩郡]]稲城村'''の成立([[町村制]]の施行)。当時の人口3,750人、戸数593戸。 * [[1893年]](明治26年)4月1日 - '''[[東京府]]'''南多摩郡稲城村([[三多摩]]の東京府移管)。 * [[1943年]](昭和18年)7月1日 - [[東京都制]]施行。 * [[1949年]]([[昭和]]24年)xx月xx日 - 北多摩郡多磨村(現府中市)から押立・常久の一部(多摩川右岸部出作地)を編入。 * [[1957年]](昭和32年)4月1日 - 町制施行。'''東京都南多摩郡稲城町'''。<ref>{{cite web | url= http://www.city.inagi.tokyo.jp/reiki_int/reiki_honbun/ag14900031.html|title= 村を町とする処分| publisher= 稲城市例規集| accessdate=2012-5-31}}</ref> * [[1967年]](昭和42年)[[10月14日]] - 現在の市章となる町章を制定する。<ref>図典 日本の市町村章 p85</ref> <ref>{{cite web | url= http://www.city.inagi.tokyo.jp/reiki_int/reiki_honbun/ag14900081.html|title= 市章| publisher= 稲城市例規集| accessdate=2012-5-31}}</ref> <ref name="市章・市の木・市の花">{{cite web | url= http://www.city.inagi.tokyo.jp/shoukai/symbol/index.html|title= 市章・市の木・市の花| publisher= 稲城市| accessdate=2012-5-31}}</ref> * [[1971年]](昭和46年)[[11月1日]] - 市制施行。'''東京都稲城市'''<ref name="市民憲章">{{cite web | url= http://www.city.inagi.tokyo.jp/reiki_int/reiki_honbun/ag14900041.html|title= 町を市とする処分| publisher= 稲城市例規集| accessdate=2012-5-31}}</ref> === 市制施行後 === * [[1973年]](昭和48年)[[11月1日]] - 市の木・市の花を制定する。<ref>{{cite web | url= http://www.city.inagi.tokyo.jp/reiki_int/reiki_honbun/ag14900101.html|title= 市の木・市の花| publisher= 稲城市例規集| accessdate=2012-5-31}}</ref><ref name="市章・市の木・市の花"/> * [[1981年]](昭和56年)[[11月1日]] - 市民憲章を制定する。<ref>{{cite web | url= http://www.city.inagi.tokyo.jp/reiki_int/reiki_honbun/ag14900091.html|title= 稲城市民憲章| publisher= 稲城市例規集| accessdate=2012-5-31}}</ref> <ref name="市民憲章・平和都市宣言">{{cite web | url= http://www.city.inagi.tokyo.jp/reiki_int/reiki_honbun/ag14900091.html|title= 市民憲章・平和都市宣言| publisher= 稲城市| accessdate=2012-5-31}}</ref> * [[1991年]](平成3年)[[3月7日]] - 平和都市を宣言する。<ref name="市民憲章・平和都市宣言"/> ===多摩ニュータウン開発=== {{出典の明記|date=2012年11月|section=1}} [[ファイル:Misawagawabunsuiro.JPG|240px|thumb|[[三沢川 (多摩川水系)|三沢川]]分水路入り口(稲城市坂浜)]] もともと稲城は多摩ニュータウン計画の範囲外であり、[[1956年]]施行の首都圏整備法では、稲城村域はグリーンベルトとして農村を残す予定であった。しかし稲城村議会は、開発から取り残されることを懸念して全会一致でこの構想への反対を決議。[[1965年]]の同法改正でグリーンベルト構想は撤回され、稲城村域も多摩ニュータウン計画に組み込まれたという経緯がある。 [[ファイル:90年12月、尾根幹線道路完成前の向陽台近辺.jpg|thumb|90年12月、尾根幹線道路完成前の向陽台近辺]] [[ファイル:90年12月 長峰、尾根幹線出来る前の向陽台の様子.jpg|thumb|90年12月 長峰、尾根幹線出来る前の向陽台の様子]] [[1971年]]に建設大臣の事業承認が下りたものの、稲城市域の多摩ニュータウン開発は、用地買収の難航とニュータウン区域の雨水排水問題のために遅々として進捗しなくなる。前者は用地転売益を狙った民間企業が土地を買い漁ろうとしたために、市域の地価が吊り上がったという経緯がある。後者においては、ニュータウン区域の雨水を[[三沢川 (多摩川水系)|三沢川]]に排出する場合には三沢川の大規模改修が必須となるものの、三沢川は上流域と下流域が神奈川県川崎市であり、川崎市が三沢川改修費用負担を拒否したこと、三沢川周辺は宅地化が進んでおり、立ち退き費用が巨額に上ることから、事業費用が膨らむことが問題であった。 結局、雨水排水の問題は三沢川中流域からトンネルを掘削して多摩川に直接、ニュータウン区域の雨水を落とす「三沢川分水路」のアイデアが生まれるまで、解決不能の難題となった。なお三沢川分水路は[[1986年]]に完成しており、向陽台地区は[[1987年]]に分譲開始となる。 ====開発遅滞のメリット==== {{出典の明記|date=2012年11月|section=1}} 先行する多摩市域に大幅に遅れて開発が進んだことで、稲城市域の多摩ニュータウン開発は、多摩市域の先行事例の教訓を生かすことが可能になった。具体的には[[1977年]]に開始された「多摩ニュータウン環境計画」による先行事例の課題調査の結果を踏まえ、以下のような特徴を持つ地区としてデザインされた。 ;「緑の環」 :稲城市は[[多摩川]]から[[多摩サービス補助施設|米軍多摩サービス補助施設]]、多摩カントリークラブ、坂浜・平尾地区、読売カントリークラブ、[[南山 (稲城市)|南山]](みなみやま)という緑地帯を市域のグランドデザインに設定していた。稲城市域の多摩ニュータウン計画を立案した日本都市総合研究所はこの「緑の環」構想を生かし、[[城山公園 (稲城市)|城山公園]]、[[稲城中央公園]]、上谷戸公園という大規模な緑地を残したデザインを行った。 ;生活環境軸 :多摩ニュータウンの先行事例は徹底的な歩車分離デザインを採用していたが、これは結果的に住民の住みやすさを減じ、ロードサイド店の普及とともに住民流出を招いてしまった。この反省を踏まえ、稲城市域では自家用車の利用にもある程度配慮したデザインが行われた。 ;カルチャーパス :同じく先行事例では小中学校が町はずれに立地しており、日常生活から分離してしまっているという反省があった。これを踏まえ、稲城市域では街区の中央に小学校や中学校を置き、周囲に歩行者専用道路を張り巡らせるというデザインを採用した。また向陽台地区ではプラスワン住宅(集合住宅のうち、通り沿いの1階部分に店舗用の空間を持つ物件を設定したもの)も建設されたが、こちらは目論みが外れ、店舗に活用される事例は全く見られない。 ==人口== {{人口統計|code=13225|name=稲城市}} *世帯数 : 33,520世帯(2007年10月1日) *外国人登録者数 : 1,033人(2007年10月1日) ===昼夜間人口=== 2005年に夜間人口(居住者)は76,394人であるが、市外からの通勤者と通学生および居住者のうちの市内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は58,913人で昼は夜の0.771倍の人口になる。夜間に比べて昼の人口は1万6千人強ほど減ることになる。通勤者・通学者で見ると市内から市外へ出る通勤者26,528人、市外から市内へ入る通勤者は11,046人と通勤者では市外へ出る通勤者のほうが多く、学生でも市内から市外に出る通学生は4,063人市外から市内へ入る通学生は2,064人と学生でも昼は市外へ流出する人数のほうが多い。東京都編集『東京都の昼間人口2005』平成20年発行152,153ページ 国勢調査では年齢不詳のものが東京都だけで16万人いる。上のグラフには年齢不詳のものを含め、この項の昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないので数字の間に若干の誤差は生じる)この昼間人口/夜間人口比0.771は東京都区市部において[[狛江市]]についで低い数字である。稲城市がオフィスや工場・学校が少なく住宅の多い都市であることが推察される。 == 姉妹都市・提携都市 == * [[北海道]][[網走郡]][[大空町]](姉妹都市) == 行政 == ===市長=== *髙橋 勝浩(たかはしかつひろ) **[[2011年]][[4月27日]]就任 (任期:2015年4月26日 1期目) ===市議会=== *定数は22人。 *直近の選挙は、2011年4月24日に行われた(任期満了:2015年4月30日)。 *市議会議長は、中山賢二(2013年5月15日選出)。 *各会派の構成は、以下の通り。 {|class="wikitable" |- ! cellpadding="5"|会派名 ! cellpadding="5"|議席数 |- |新政会 | align="center"|6 |- |[[公明党]] | align="center"|4 |- |無所属の会 | align="center"|4 |- |[http://www6.kiwi-us.com/~inagijcp/ 日本共産党] | align="center"|2 |- |起風会 | align="center"|2 |- |[[東京・生活者ネットワーク|生活者ネット]]・[[民主党 (日本 1998-)|民主党]] | align="center"|2 |- |無所属 | align="center"|2 |} ====市議会の組織==== *常任委員会 **総務 **福祉文教 **建設環境 ===職員=== 市の職員数は813人。(2012年4月1日) ===財政=== *当初予算規模(2013年度) :308.90億円(一般会計) :255.12億円(特別会計) == 地域 == === 役所・出張所 === {| class="wikitable" !施設名!!画像!!備考 |- |稲城市役所 |[[File:Inagi City Hall.jpg|150px]] | |- |平尾出張所<ref name="稲城市出張所設置条例">{{cite web | url= http://www.city.inagi.tokyo.jp/reiki_int/reiki_honbun/ag14900341.html|title= 稲城市出張所設置条例| publisher= 稲城市例規集| accessdate=2012-5-31}}</ref> | | |- |若葉台出張所<ref name="稲城市出張所設置条例"/> | | |} === 警察 === *[[多摩市]]にある[[多摩中央警察署]]が両市を管轄する。稲城市では、市民の安全と事務手続きの利便性向上を図るため、大型交番の誘致に取り組んでいる。既に145坪の用地を確保している<ref>「いなぎ市議会だより 第184号」(2010年5月18日発行) 9頁</ref> が、計画は具体化していない。 {| class="wikitable" !施設名!!備考 |- |矢野口交番 | |- |大丸交番 | |- |平尾交番 | |- |若葉台駅前交番 | |- |東長沼駐在所 | |- |百村駐在所 | |- |坂浜駐在所 | |- |向陽台駐在所 | |- |長峰駐在所 | |} ===消防=== 当市は稲城市消防本部を持っている。消防は市町村の責任業務であるが、本市以外の多摩地域の市町村は都の消防組織である[[東京消防庁]]へ消防業務を委託しているため、東京都内では島嶼部を除き唯一の市町村消防組織となっている。 *[[稲城市消防本部]] *消防署 **稲城消防署 - 消防本部と同じ建屋にある。 ===医療=== *[[稲城市立病院]] *稲城市立病院附属坂浜診療所 ===福祉=== *稲城市介護支援ボランティア制度 **2007年9月に、全国で初めて「[[介護支援ボランティア制度]]」を導入した<ref>{{Cite web|author=稲城市ホームページ|url=http://www.city.inagi.tokyo.jp/kurashi/fukushi/kaigohoken/kaigosien/index.html|title=稲城市介護支援ボランティア制度 |accessdate=2010年9月7日 |publisher=稲城市}}</ref>。考案者は稲城市高齢福祉課長である。同制度は現在、多くの自治体で採用されている。 ===ゴミ処理=== 大丸の多摩川沿いに処理施設「クリーンセンター多摩川」がある。この施設は多摩地域の他市と構成する「多摩川衛生組合」が運営している。組合は長らく稲城市、[[多摩市]]、[[狛江市]]の3市で構成されていたが、[[1990年代]]に多摩市が脱退、[[府中市 (東京都)|府中市]]と[[国立市]]が加入し、現在は4市で構成されている。 最終処分場として[[日の出町]]の「二ツ塚廃棄物広域処分場」を利用している。この施設は多摩地域の多くの市で構成される「東京たま広域資源循環組合」が運営している。 [[2004年]]10月よりゴミ収集が有料となった。黄色の袋が燃えるごみ、ピンクのゴミ袋が燃えないごみ。 ===広域行政=== *[[東京都三市収益事業組合]] - 多摩、稲城、あきる野の3市で[[江戸川競艇場|江戸川競艇]]を開催している。 ==自治体交流== *[[北海道]][[網走郡]][[大空町]] (旧[[女満別町]]) **[[1991年]](平成3年)11月3日 姉妹都市提携 == 住宅団地 == * 東京都住宅供給公社平尾団地 - 昭和46年 : 多摩都市計画事業(一団地の住宅施設) * 稲城団地 * リベレ向陽台 [[向陽台 (稲城市)]] (旧住宅・都市整備公団)、キャラクタープラン、1988年、 * 都営向陽台6丁目団地 (東京都建築局 円型、高齢者対応、1992年 ==社会教育== [[ファイル:Inagi City Chuo Library in November 2008.jpg|240px|thumb|[[稲城市立図書館|中央図書館]]と体験学習館(2008年11月)]] [[ファイル:Gimnasium of Inagi City 200904.jpg|240px|thumb|稲城中央公園総合体育館(2009年4月)]] ===図書館=== [[稲城市立図書館|中央図書館]]([[城山公園 (稲城市)|城山公園]]内)の他、第一図書館、第二図書館、第三図書館、第四図書館、iプラザ図書館の5つの分室がある。また、配本所が、坂浜コミュニティ防災センターと[[稲城市立病院]]の2か所にある。中央図書館には、体験学習館が併設されている。図書館は、京王線沿線7市(稲城市、[[八王子市]]、[[府中市 (東京都)|府中市]]、[[調布市]]、[[町田市]]、[[日野市]]、[[多摩市]])および[[川崎市]]の在住者が、相互に利用が可能である。 ===体育施設=== *[[稲城中央公園総合グラウンド]](長峰) - 日本陸上競技協会公認(4種)グラウンド。[[日本女子サッカーリーグ|L・リーグ(なでしこリーグ)]]や[[日本フットボールリーグ]] (JFL) などの公式戦にも使われる。 *稲城中央公園総合体育館(長峰) - 総合グラウンドのそば。バレーボール[[チャレンジリーグ (バレーボール)|チャレンジリーグ]]の公式戦にも使われる。 *稲城中央公園野球場(向陽台) - 総合グラウンドのそば。 *南多摩スポーツ広場 - 南多摩駅近隣の[[富士通]]南多摩工場に隣接して設置され、富士通サッカー部、及びその後身の[[川崎フロンターレ]]の練習場として[[1999年]]の[[川崎フロンターレ麻生グラウンド|麻生グラウンド]]完成まで使用された。[[2005年]]の工場閉鎖後に市へ移管された。移管後の[[2006年]]に[[関東サッカーリーグ]]での使用実績あり。 ===文化施設=== [[File:Building of Inagi City i Plaza.jpg|thumb|稲城市立iプラザ|alt=稲城市立iプラザ]] ;文化センター :教育と福祉の複合施設として、中央文化センター(東長沼)、第二文化センター(矢野口)、第三文化センター(平尾)、第四文化センター(東長沼)、城山文化センター(向陽台)の5か所にある。公民館、図書館、学童クラブ、児童館、老人福祉館などの機能を持っている。 ;iプラザ :2009年10月18日に「稲城市立iプラザ」(若葉台)が開館した<ref>{{Cite web|url=http://www.city.inagi.tokyo.jp/dekigoto/20091021/index.html|title=稲城市立iプラザが開館しました |accessdate=2009年10月24日 |author=稲城市ホームページ}}</ref>。410人を収容できるイベントホールや図書館、スタジオ、会議室などからなる複合文化施設である。 ==学校== ===幼稚園=== すべて私立 *青葉幼稚園 [http://www.komakusa.ed.jp/ *コマクサ幼稚園] *駒沢女子短期大学付属こまざわ幼稚園 *はなぶさ幼稚園 *平尾わかば幼稚園 *矢の口幼稚園 *[[梨花幼稚園]] ===小学校=== <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> *稲城市立稲城第一小学校 *稲城市立稲城第二小学校 *稲城市立稲城第三小学校 *稲城市立稲城第四小学校 *稲城市立稲城第六小学校 *稲城市立稲城第七小学校 </div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> *[[稲城市立向陽台小学校]] *稲城市立城山小学校 *稲城市立長峰小学校 *稲城市立平尾小学校 *稲城市立若葉台小学校 </div><br style="clear: left;" /> ===中学校=== *[[稲城市立稲城第一中学校]] *[[稲城市立稲城第二中学校]] *[[稲城市立稲城第三中学校]] *[[稲城市立稲城第四中学校]] *[[稲城市立稲城第五中学校]] *[[稲城市立稲城第六中学校]] *[[駒沢学園女子中学校・高等学校|駒沢学園女子中学校]] ===高等学校=== *[[東京都立若葉総合高等学校]] - [[2005年]]に開校。稲城高校と南野高校を引き継ぐ。敷地・設備は稲城高校のものを継承する。 *[[駒沢学園女子中学校・高等学校|駒沢学園女子高等学校]] '''閉校した都立校''' *東京都立稲城高等学校 - [[2004年]]3月に閉校。 ===短期大学=== *[[駒沢女子短期大学]] ===大学=== *[[駒沢女子大学]] ===専門学校=== *東京南看護専門学校 ==交通== [[ファイル:Yanokuchi Station north.jpg|240px|thumb|right|[[南武線]][[矢野口駅]](2008年8月)]] [[ファイル:Keio inagi station.jpg|240px|thumb|right|[[京王相模原線]][[稲城駅]](2007年9月)]] [[ファイル:Bridge of JR Musashino Line in Inagi.jpg|240px|thumb|right|市内を縦断する[[武蔵野南線]](2008年9月)]] [[ファイル:OdakyuBus F114 iBus.jpg|240px|thumb|right|[[iバス]]]] [[ファイル:Inagiohashi.jpg|240px|thumb|right|[[多摩川]]にかかる[[稲城大橋]](2007年11月)]] ===鉄道=== *[[東日本旅客鉄道|JR]][[南武線]] ** - [[矢野口駅]] - [[稲城長沼駅]] - [[南多摩駅]] - :かつては南多摩駅と稲城長沼駅の間に「大丸駅」、[[1931年]]以降は「多摩聖蹟口駅」と呼ばれた駅が存在したが、[[1939年]]に廃止された。 :矢野口駅は、[[2004年]]-[[2005年]]に高架駅となった。現在、矢野口駅 - 南多摩駅間全線の高架化が完了し、稲城市による[[土地区画整理事業]]が行われている。<ref name="RittaiKousaJigyou">[http://www.city.inagi.tokyo.jp/shisei/machi_zukuri/nanbusen_renritsu/index.html 稲城市ホームページ JR南武線連続立体交差事業]</ref>。 *[[京王電鉄|京王]][[京王相模原線|相模原線]] ** - [[京王よみうりランド駅]] - [[稲城駅]] - :市域内の同線の駅は、前後を神奈川県(川崎市)に挟まれているため、神奈川県を通らないと東京都の他の駅に行くことができない。 :稲城駅と若葉台駅間に、坂浜新駅(仮称)を設置する構想がある<ref>[http://www.city.inagi.tokyo.jp/shisei/keikaku/3ji_choukei/no2/no2_5/index.html 稲城市ホームページ 第三次長期総合計画]</ref>。 京王相模原線の[[若葉台駅]]([[川崎市]][[麻生区]][[黒川 (川崎市)|黒川]])は若葉台地区の中心街に隣接する市境にあり、同地区からの利用が多くなっている。また[[小田急電鉄|小田急]][[小田急多摩線|多摩線]]の[[はるひ野駅]](川崎市麻生区[[黒川 (川崎市)|はるひ野]])も稲城市・[[多摩市]]との境に近接しており、若葉台地区西端から近い。市の南部、平尾地区は川崎市麻生区の[[小田急小田原線]][[新百合ヶ丘駅]]・[[小田急多摩線]][[栗平駅]]が近く、後述の [[iバス]]も栗平駅前まで出ている。 *[[東日本旅客鉄道|JR]][[武蔵野線]](貨物線) :通過のみで駅は存在しない。その路線のほとんどがトンネル(第二稲城トンネル、第一稲城トンネル、百村トンネル、生田トンネル)で、地上を走る個所は3個所のみであり、その一部が[[高架橋]]となっている。稲城市を北西から南東に横切っており、おおよその経路は、稲城市立病院わき(第二稲城トンネル) - 京王相模原線[[稲城駅]]西側(高架橋による[[立体交差]]) - よみうりランド正面入口(生田トンネル)あたり。 ===バス路線=== ; [[iバス]] : 稲城市内を運行している[[コミュニティバス]]。赤い色でデザインされた専用車両を使用しており、運行は小田急バスへ委託している。市内を循環する路線(右回り循環・左回り循環)と、平尾団地 - よみうりランド丘の湯間、平尾団地 - 稲城市立病院間、はるひ野駅 - 稲城市立病院間の全5路線が運行されている。 ; [[小田急バス]] : [[稲城駅]] - 向陽台 - 長峰 - [[若葉台駅]]系統(長峰で折り返すバスもあり)と、稲城市立病院 - 稲城駅 - 坂浜 - [[新百合ヶ丘駅]]系統がある。若葉台系統は京王バスと同一路線。土曜休日には吉祥寺駅からよみうりランドまでの便が出る。市内を通過する路線では、他にも[[調布駅]]南口 - 稲城市役所 - [[柿生駅]]系統がある。 ; [[京王電鉄バス|京王電鉄バスグループ]] : 小田急バスと同系統では稲城駅 - 若葉台駅がある。他にも稲城駅 - [[聖蹟桜ヶ丘]]駅、[[府中駅 (東京都)|府中駅]] - 稲城市立病院、調布駅南口 - 稲城市立病院、若葉台循環など。 ; [[神奈川中央交通]] : 鶴22([[鶴川駅]] - 若葉台駅 - 調布駅)、柿26(若葉台駅 - 柿生駅 - [[市ヶ尾駅]])、柿27(若葉台駅 - 柿生駅)の3系統がある。但し、全て休日1往復のみ運行。 ===道路=== ====元有料道路(現在無料開放)==== * [[稲城大橋]] : [[2010年]]4月より、無料開放された<ref>[http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009091302000082.html?ref=rank 都道路公社解散へ 通行量見通し甘く 税金投入、無料化] TOKYO web(東京新聞)2009年9月13日</ref>。 ====都道府県道==== *[[主要地方道]] **[[東京都道9号川崎府中線]]([[府中街道]]) **[[東京都道19号町田調布線]]([[鶴川街道]]、[[南多摩尾根幹線]]) **[[東京都道41号稲城日野線]](川崎街道) *一般都道 **[[東京都道137号上麻生連光寺線]] **[[東京都道124号稲城読売ランド前停車場線]] ==外国の施設== *[[在日米軍]][[多摩サービス補助施設]] - [[横田基地]]のレクリエーション施設。元・多摩弾薬庫。米軍内の通称Tama Hills(多摩ヒルズ) ==地域放送== *[[ケーブルテレビ]] **[[ジェイコムせたまち|J:COMせたまち]](旧・小田急情報サービス) - 小田急線沿線 **[[多摩テレビ]] - ニュータウン地域 ==経済== ===産業=== ====農業==== もともと農業を中心とした地域である。かつては市名にもなったように水稲栽培が盛んであったが、現在は水田の大半が宅地化されている。現在の農業の中心は野菜類や[[ナシ]]、[[ブドウ]]などの果物類である。特にナシは多摩川梨として名産地の一つとして知られている。市名を冠した品種「稲城」は、ほとんどが直売で販売されているために市場に出回らない。 ====工業等==== [[南多摩駅]]周辺には工場・倉庫が集中している。 ====サービス業==== 市南東部の丘陵には[[よみうりランド]]やよみうりカントリークラブ等があり、レジャーゾーンとなっている。特にゴルフコースは多く、市域に占めるゴルフコースの割合は日本一である。 ===主な事業所=== {{Double image aside|right|yomiurilandhonsha.jpg|150|Headquarters of Korg in May 2009.jpg|120|よみうりランドとコルグの本社は隣接している}} *[[よみうりランド (企業)|よみうりランド]](本社)([[東証1部]] 9671) *[[日本フイルコン]](本社・東京事業所)([[東証1部]] 5942) *[[富士通フロンテック]](本社)([[東証2部]] 6945) *[[KSK]](本社)([[ジャスダック|JASDAQ]] 3242) *[[ジェーシー・コムサ]](事業本部・多摩工場)(JASDAQ 2876) *ワイ・デー・ケー(本社) *サントリー食品工業(本社・多摩川工場) *[[コルグ]](本社・国内営業部) *中西食品(本社・工場) *スーパーレジン工業(本社研究所・坂浜工場) ==観光== [[ファイル:Sign_of_Inagi_Chuo_Park_and_Kujira_Bridge_in_2008.jpg|thumb|240px|[[稲城中央公園]]の標識と[[くじら橋]](2008年11月)]] [[ファイル:Arigata.JPG|thumb|240px|[[ありがた山]]の石仏群(2006年4月)]] [[ファイル:Anazawatenjin.JPG|thumb|240px|[[穴澤天神社]](2006年9月)]] ===レジャー施設=== *[[よみうりランド]]([[川崎市]][[多摩区]]) *よみうりランド丘の湯 *[[読売ジャイアンツ球場]]([[川崎市]][[多摩区]]) *稲城ふれあいの森・小田良の里(キャンプ場) *大塚牧場 *稲城天然温泉・季乃彩 ===公園=== *[[稲城中央公園]] *[[城山公園 (稲城市)|城山公園]] *若葉台公園(稲城第四公園) *上谷戸親水公園 *大丸公園 *稲城北緑地公園 *[[みはらし緑地]] ===名所・旧跡=== *[[くじら橋]] *[[弁天洞窟]]([[新東京百景]]) *[[ありがた山]] *[[三沢川 (多摩川水系)|三沢川]] *[[妙覚寺 (稲城市)|妙覚寺]] *[[妙見寺 (稲城市)|妙見寺]] *[[医王寺 (稲城市)|医王寺]] *[[圓照寺 (稲城市)|円照寺]] *普門庵 *[[円覚寺 (稲城市)|円覚寺]] *[[常楽寺 (稲城市)|常楽寺]] *威光寺 *高勝寺 *宝蔵院 *直心庵 *[[穴澤天神社]] ([[式内社]]) *[[八雲神社]] *[[大麻止乃豆乃天神社]](式内社[[論社]]) *[[青渭神社]](式内社論社) *[[杉山神社 (稲城市)|杉山神社]] *[[竪神社]] *[[普寛講|普寛教会]] *[[光仙婆の祠]] ===祭事・催事=== *市民ロードレース大会(1月中旬または下旬) - 稲城中央公園総合グラウンド及びその周辺にて開催。 *稲城手づくり市民まつり(5月上旬) - 城山公園にて開催。 *日米親善稲城市民ゴルフ大会(5月下旬) - 多摩サービス補助施設内多摩ヒルズゴルフコースにて開催。 *稲城フェスティバル(7月または8月の日曜日) - 通称は「稲フェス」。多摩サービス補助施設にて開催。 *穴澤天神社例大祭(8月25日に近い日曜日) - 国の[[重要無形民俗文化財]]である[[江戸の里神楽]]などが奉納される。 *Iのまち いなぎ市民祭(10月下旬) - 稲城中央公園及び稲城市立iプラザホールにて開催。市内最大規模の祭事である。 ==スポーツチーム== *[[東京ヴェルディ1969|東京ヴェルディ]] *[[日テレ・ベレーザ]] :[[ヴェルディグラウンド]](読売サッカー場)を練習拠点に活動。([[Jリーグ]]の[[ホームタウン]]登録は[[東京都]]全域) *[[東京ヴェルディバレーボールチーム]] ==出身人物== *[[孝子長五郎]] - [[18世紀]]の[[農民]]。[[親孝行]]ぶりを認められ、[[江戸幕府]]より表彰された。 *[[大河原邦男]] - [[メカニックデザイナー]]([[機動戦士ガンダム]]など) *[[井上ジェット]] - [[企画演出家]]([[コカ・コーラファンタ]]CMなど) *猿渡浪蔵 - スーパー[[いなげや]]創業者 *[[朝央れん]] - [[宝塚歌劇団]][[宙組 (宝塚歌劇)|宙組]] *[[七生眞希]] - 宝塚歌劇団宙組 *[[黒田雅之]] - [[プロボクサー]]。第34代日本ライトフライ級王者。 === ゆかりの人物 === *[[坂田健史]] - [[プロボクサー]]。世界王座獲得時に稲城市在住。 *松浦利平 - [[修験者]]・[[普寛講 (稲城市)|普寛講]]開祖 *[[窪全亮]] - [[漢学者]]・[[奚疑塾]]塾長 ==ゆかりの作品== *[[仮面ライダー]] - ストロンガーまでの初期シリーズでは生田のスタジオが使われたため、屋外ロケは本市などで行われた。 *[[電光超人グリッドマン]] - 1993年の特撮ヒーロー番組。主人公たちが暮らす町として向陽台が恒常的なロケ地となった。 *[[虹のかなた]] - 2004年の放映のドラマ。主人公の母小川久美子の内職先の工場が株式会社ナカノ多摩営業所矢野口工場。所轄警察署が矢野口警察署。 *[[南くんの恋人]] - 1994年放映のドラマ。主人公たちの通う高校の外観として市立第5中学校正門付近が使われたり、市立体育館のアリーナ席や街中の風景などもよく撮影場所として使われた。 *[[しあわせのシッポ]] - 2002年4月~6月TBS系列で、毎週木曜日の22:00~23:00に放映されたテレビドラマ。場面の多くで稲城市が使われている。京王線稲城駅付近の実在するマンションに主人公が住んでいる設定になっている。 *[[日輪の遺産]] - [[浅田次郎]]の小説。市内にある米軍[[多摩サービス補助施設]](かつては[[陸軍多摩火工廠]]、その後米軍の多摩弾薬庫となり、現在は米軍のゴルフ場や乗馬場などとなっている)が舞台となっている。 *[[大好き!五つ子]] - 桜井家が関連する小学校・高校等は稲城市内にある。 ==大きな出来事== * 稲城小6女子監禁事件 : [[2003年]]7月、市立小学校6年生の女子4人が行方不明となった。数日後、[[ロリコン]]ビジネス業者によって、港区赤坂のマンションに監禁されていたことがわかった(業者は同マンションで自殺)。少女らは[[渋谷]]でこの業者と接触しており、興味本位も含めて10代少女の交遊があらためて注目されるきっかけとなり、都の青少年育成条例の改正を促した。 * [[耐震強度構造計算書偽装事件]]([[2005年]]) : [[ヒューザー]]、[[総研]]らが関わったマンション強度の構造計算書偽装事件の物件の一つ、「グランドステージ稲城」が市内矢野口に存在しており、テレビのニュースでも盛んに映し出された。当時の市長であった石川良一は、稲城市は[[建築確認]]業務に関わっていないとして国が打ち出した公的支援策の財政負担を断固拒否。当時の石原都知事もこの立場に理解を示し、都が稲城市負担分を肩代わりすることで決着がついた。[[2006年]]11月26日に住民集会が行われ、各世帯が約1600万円を追加負担し建て替えることが決まった。2007年1月にも解体に着工し、2008年の入居を目指す。解体・建設の総額は約7億7000万円。 == 出典 == ==参考文献== *宇野健一「1周遅れのトップランナー? 多摩ニュータウン稲城地区」『多摩ニュータウン研究』No.8、2006年 * {{Cite book|和書|editor=小学館辞典編集部|edition= 初版第1刷 |date=2007-01-10|title=図典 日本の市町村章 |publisher=[[小学館]]|isbn=4095263113}} ==外部リンク== {{Commons|Category:Inagi, Tokyo}} ; 行政 * [http://www.city.inagi.tokyo.jp/ 稲城市] ; 観光 * [http://www.city.inagi.tokyo.jp/shoukai/kankou_map/index.html いなぎ観光散策マップ] {{東京都の自治体}} [[Category:東京都の市町村]] [[Category:南多摩地域]] [[Category:多摩地域]] [[Category:稲城市|*]] [[Category:多摩ニュータウン]]