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イギリスの科学雑誌『[[ネイチャー]]』は、発見された遺品を根拠として、当時大英博物館にいた[[動物学者]]マーティン・ヒントン(Martin A.C. Hinton)なる人物が真犯人であったとする説を[[1996年]]5月23日号に掲載した。 | イギリスの科学雑誌『[[ネイチャー]]』は、発見された遺品を根拠として、当時大英博物館にいた[[動物学者]]マーティン・ヒントン(Martin A.C. Hinton)なる人物が真犯人であったとする説を[[1996年]]5月23日号に掲載した。 |
2017年9月27日 (水) 16:36時点における版
ピルトダウン人(ピルトダウンじん、英語名:Piltdown Man)は、近代科学史上で最大のいかさまとして知られる、捏造された化石人類。 20世紀初頭のイギリスはイースト・サセックス州アックフィールド(Uckfield)近郊のピルトダウンにて発見された。 以後、同世紀の前半期にあって古人類学研究に多大な悪影響を与え、迷走させている。
当時の学名は Eoanthropus dawsoni (エオアントロプス・ドーソニ。「ドーソンの、夜明けの人」の意)。 日本語では第一発見者の名から「ドーソン原人」、属名 Eoanthropus の漢訳で「曙人」などとも呼ばれた。
経緯
発見と研究
1856年にドイツでネアンデルタール人類の化石人骨が発見されて以降、1891年にはインドネシアのジャワ原人、1908年にはネアンデルタール人類に属するラ=シャペル=オ=サン人(La Chapelle-aux-Saints/発見地:同名)がフランスはリムーザン地方から発見されるなど、20世紀初頭は人類進化の過程が少しずつ解明されつつあったが、まだ充分に資料や知識が蓄積されたとは言えなかった。
そのような時代の1909年から11年にかけて、弁護士でありアマチュア考古学者でもあったイギリス人、チャールズ・ドーソン(Charles Dawson)によってピルトダウンから発見された頭頂骨と側頭骨が、大英博物館(ロンドン自然史博物館)のアーサー・スミス・ウッドワード卿の研究室にもたらされた。ウッドワード卿は1911年、自ら現地に赴いてドーソンと共同で発掘を行なっているが、この時にも後頭骨や下顎骨の一部、石器のほか、年代推定の根拠となる動物化石の発見があった。その後も犬歯などの断片的な化石の追加があり、それらを基に研究したウッドワード卿は、発見された化石人骨に Eoanthropus dawsoni (エオアントロプス・ドーソニ〈la:ダウソニ〉)の学名を与えて発表した。「ドーソン(氏に由来)の、夜明けの人」との語義を持った名称である[1]。
その骨、その脳頭骨は現生人類を思わせるほど丸く膨らんで大きく、対照的に下顎骨は非常に原始的で類人猿のようであったが、臼歯の咬合面の磨耗は人類特有の咀嚼によって生じたものであった。発達した脳と原始的な顎の特徴、伴出した動物化石等からウッドワード卿は、ピルトダウン人を更新世初期に由来する現生人類の最古の祖先と見なした。
当初から疑惑が無かったわけではない。ドーソンが自宅で骨を造っているのを見たという話が流れた。専門家の中でも、ボヘミア(現在のチェコ西部)生まれの米国の人類学者アレシュ・ヘリチカ(Aleš Hrdlička)は、下顎骨は類人猿のものであろうと唱えてピルトダウン人の化石を否定した。しかし多くの学者は肯定し、イギリス人類学界の大御所であったアーサー・キース卿(Arthur Keith)やグラフトン・エリオット・スミス卿(Grafton Elliot Smith)などの著名な学者の支持を得たこともあり、ピルトダウン人は現生人類の直系の祖先と認められた。
その後、世界各地で古人類化石が発掘された。1920年代には中国[2]で北京原人が、南アフリカではアウストラロピテクス・アフリカヌスが発見され、その他にも様々な進化段階の化石が出土して、人類の進化の内容が次第に明らかにされてゆく。第二次世界大戦前では研究はまだ充分とは言えなかったが、人類はまず直立二足歩行が先に始まり、脳の進化はかなり遅れたらしい事が分かってきた。ピルトダウン人はそうした進化の流れから外れていた。ウッドワード卿が説いた更新世初期というような古いものではなく、更新世中期かそれ以降のものではないかとも考えられた。また、ピルトダウン人の化石が発見されたはずの地層からは、ドーソンの没した1916年以降、一切の化石の出土が見られなかった。
それでも、戦前には化石は厳重に保管されて理化学的検査も認められなかったため、捏造を立証し得る確たる材料も無く、1940年代の終わりまでに発表された論文は250編にも上った。ピルトダウン人化石の正体が暴かれたのは、1950年のことである(1949年とする資料もある)。
フッ素法
土中に埋物した骨はフッ素の含有量が少しずつ増えていくので、その量を測れば古さが分かる。 この研究は19世紀以来ヨーロッパで断続的に行なわれ、第二次世界大戦後に大英博物館のケネス・オークリー(Kenneth Oakley)によって確立された。
骨が地中に埋もれると、土中の水分や地下水に含まれる微量のフッ素が骨組織内に入り込み、フッ素の含有量が増えていく。 したがって、骨に含まれているフッ素の量を測定すればその古さを推定する事ができる。 ただし、水分中のフッ素量は地域によって異なるため、遠く隔たった土地から出土した骨の比較や、絶対年代の測定はできない。 同一地点や近接した地域から出たものの相対的な古さを知るには優れた方法である。
捏造の発覚
1950年、フッ素法によりピルトダウン人頭骨の検査が行なわれ、その骨が1,500年以内のもので、人類の祖先の化石とは言いがたいとの結果が導き出された。 加えて1953年には、オークリー率いるオックスフォード大学の研究者らによるいっそう精密な年代測定と調査・分析が行われ、その結果、下顎骨はオランウータンのものであり、臼歯の咬面は人類のそれに似せて整形されていた事、古く見えるよう薬品と思われるものにより石器などとともに着色されていた事、伴出した獣骨は他の地域の産である事、などが突き止められた。 類人猿の下顎骨は人骨とは決して接合できないものであるが、捏造犯は接合部分を巧妙に除去して矛盾を隠し、着色を施して偽装したとのことである。
こうして、40年近くにわたって古人類学界を混乱させたピルトダウン人は捏造された化石であると断定され、事件は一応の決着を見た。 ただし、最初にドーソンからもたらされた頭頂骨と側頭骨は、後期更新世に由来する化石の現生人類(クロマニョン人の類)と考えられている。
捏造を見破れなかった原因
優れた学識と経験を積んだ当時の専門家たちが、なぜこの捏造に気付くこと無く、信じてしまったのであろうか。 それについてはいくつかの原因を指摘できる。
- 古人類学が黎明期にあった
- 古人類学は当時まだ新しい学問で、充分な知識が蓄積されておらず、人類進化の機序が古人類学者にも充分理解されていなかった事。ピルトダウン人発見当時は、ネアンデルタール人骨の発見(1856年)やチャールズ・ダーウィンの『種の起源』出版(1859年)から半世紀ほどしか経っていなかった。人類の進化はまず直立二足歩行から始まり、脳容量の増大はずっと遅れて始まったという事実は、20世紀初頭には充分理解されておらず、「発達した大きな脳こそは人類を類人猿などと区別する重要な形質である」とする意識が専門家の間にもあった。したがって、年代が古いと思われるにもかかわらず発達した脳を持っているように見えたピルトダウン人を人類の祖先と誤認する下地があった。アーサー・キースによる復元図(1915年)では、ピルトダウン人の頭骨は現生人類とほとんど区別できないほどであった。
- 造物主の縛り
- それと重複して、キリスト教の創造説の影響も考えられる。『旧約聖書』には、神は自分の姿に似せて人間を創ったとあり、西洋人にとっては人間は特別な存在であり、「サルの仲間から進化し、それゆえ古い人類が類人猿並みの小さな脳しか持たなかった」と主張する進化論は受け入れがたいものがあった。むろん、古人類学者は聖書を額面どおりに信じてはいなかったが、意識の奥底には同じような観念があったとも言える。
- 英国人の誇り
- 世俗的な面からも、ピルトダウン人を受け入れる背景があったことが考えられる。世界的な支配力を持つ大国であったイギリスに、現生人類の最初の祖先が誕生したという説はイギリス人にとって国威発揚につながった。1953年にオークリーがピルトダウン人の偽造を解明したときには、ロンドン市民の一人が大英博物館に来て、イギリスの誇りを打ち砕いたとして彼の解雇を要求したという(フォルケ・ヘンシェン〈Folke Henschen〉、「頭骨の文化史」に寄せたオークリーの序文から)。
犯人は誰か
犯人については様々な説がある。 第一発見者のチャールズ・ドーソンが疑われたのは当然で、すでに当初から疑惑がささやかれていたのは上述の通りである。 しかし一方では、彼は単に利用されただけで真相は知らなかった、とする意見もある。
長らく専門学者たちをだまし続けるほどの贋物を造るには高度の知識と技術が必要であるとして、当時の研究者であるウッドワード・キースやエリオット・スミスなどの犯行とする説もある。
1983年には『シャーロック・ホームズ』シリーズの作者とした有名な作家アーサー・コナン・ドイルが犯人であるとの説が出されている。 彼がピルトダウン近郊の住人であった事、医師を本業としていて骨を捏造し得る知識があった事、ホームズ物の他に『失われた世界』のようなSF小説も書いており、古生物や古代世界に関心があった事などが論拠とされている。
イギリスの科学雑誌『ネイチャー』は、発見された遺品を根拠として、当時大英博物館にいた動物学者マーティン・ヒントン(Martin A.C. Hinton)なる人物が真犯人であったとする説を1996年5月23日号に掲載した。 ウッドワードに対する怨恨が犯行動機であったと説明する。
しかし、ピルトダウン化石の捏造が明らかになった前後に関係者らはことごとく他界しており、真相の究明は非常に困難である。
類似した事例・人物
- ヨハン・ベリンガー :18世紀に起こった化石贋作事件の被害者。
- 明石人(明石原人)
- 旧石器捏造事件(秩父原人) - 藤村新一
- アルカエオラプトル(アーケオラプトル、Archaeoraptor) :“恐竜版ピルトダウン人”とでも言うべき捏造化石。中国で発見され、最古の鳥類に極めて近縁の、飛翔能力を具えた恐竜として発表されたものであるが、実際には1997年に遼寧省の農民が鳥の上半身と恐竜の下半身を組み合わせて捏造した合成化石であった。ただし、この農民が捏造の材料に使った恐竜の骨は、皮肉にも、新種ミクロラプトルのものであったという事実も後日判明している。
脚注
参考文献
- 河合信和『ネアンデルタールと現代人』文春新書 1999年
- フォルケ・ヘンシェン『頭骨の文化史』鈴木誠・高橋譲:訳 築地書館 1974年
- 鈴木尚『化石サルから日本人まで』岩波新書 1971年
外部リンク