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2010年12月3日 (金) 03:27時点における版
ART-SCHOOL(アートスクール)は、日本のロックバンド。 2000年3月に結成。2000年9月8日に123RECORDSより『SONIC DEAD KIDS』でインディーズデビューし、2002年10月30日に東芝EMIより「DIVA」でメジャーデビュー。
目次
活動と評価
グランジ、オルタナティブ、エモなどから影響を受けており、ファンからはポップで聴きやすいという評価を受けている。ちわきまゆみは、以前あるラジオで「今注目してるバンドはART-SCHOOLとsyrup16g」と語っていた。
しかし、木下の歌唱力の低さ、メンバーの楽器演奏力の低さについて批判を受けることが多い。暗澹とした詞世界などからも好き嫌いの分かれるアーティストといえる。
REQUIEM FOR INNOCENCE
ファストチューン中心のファーストフルアルバム。日本のオルタナティブロック史に残る名盤という評価もある一方で、似たような曲ばかりで単調過ぎるという批判もある。またそのジャケットからニール・ヤング[1]、スマッシング・パンプキンズ、ニルヴァーナなど90年代のアメリカのグランジ/オルタナシーンの影響が多聞に見受けられる。
LOVE/HATE
グランジからアコースティックまでを含み、前作より多様性が増した。各音楽雑誌の評論家からはスマッシング・パンプキンズの『メロンコリーそして終わりない悲しみ』を引き合いに出される。初回限定版にはボーナストラック収録。
BOYS DON'T CRY
アルバム『LOVE/HATE』に伴った全国ツアーの模様を記録したライブ・アルバム。これまでのベスト・アルバム的な内容になっている。これを最後に日向秀和、大山純が脱退。
メンバーチェンジ以降
歌詞においてより露骨なセックスへの言及が増加した。下品であるとして旧来のファンからは不満も聞かれる。また、ベーシスト日向秀和の脱退により音に厚みが無くなったという見方もある。
木下理樹
ファンをバンドにひきつけているのはメインソングライターでフロントマンの木下理樹とされる。苦悩、喪失、焦燥、コミュニケーション、劣等感、自己嫌悪、ノスタルジー、恋愛などをテーマにした文学的な詞世界、ポップで甘いメロディ、甘く中性的な声質、エモーショナルなボーカリゼーション等が評価されている。文学青年風で、人付き合いが苦手そうなキャラクターがファンの感情移入や自己投影を誘うようである。
批判
木下は自身の楽曲のタイトル、詩、曲を映画や、音楽、小説などから借用することがよくあり、これが剽窃であるとして批判を受けることがある。ただしこれに対してはそもそも木下は二次創作的なクリエーターであるという反論もある。楽曲が単調であることから木下自身の作曲能力の低さを指摘する声もある。
語録
- 「カート・コバーンが僕を救ってくれたように、今の10代の子達を救いたい」[2]
- 「洋楽好きの人に聴いて欲しい」
- 「日本の音楽はガキのもの」
- 「これからのシーンを先導するのはシロップ、モーサム、そしてアートスクール」(バウンス・インタビューより)
- 「CD2000枚持ってます」
- 「最近VINES聴いてます」
- 「嫌なことも全部そのまま、剥き出しのまま血まみれのままで」[3]
- 「みんな死ね、俺がレクイエムを鳴らしてあげるから」
- 「やっぱり『負』っていうかダークネス……そういうものを表現してポピュラリティを得たいと思う」(バウンス・インタビューより)
- 「世の中は糞で、大人は最悪だ。僕はいつも死ぬことばかり考えている。でも、カート・コバーンが僕に教えてくれたようにみんなにも生きるほんの少しの希望を感じてもらうために、音楽をやります」(インディーズ時代のライブのMCより)
- 「いまの主流を否定したいという、それは常にあります」(バウンス・インタビューより)
- 「(アートスクールは)日本初のオルタナバンド」(UKプロジェクト内のプロフィールより)
- 「宮崎あおいさんが結婚なされたと大阪でニュースを聞いて、なんか凄く放心状態になってね。死にたいと思って。7年間付き合ってたということで、14歳ですか?僕はあおいさんはバージンだと思ってたんですけど。やってんじゃねーかと。14からやってんじゃねーかと。…今日は楽しんでいってください。」[4]
- 「秋葉原で事件がありましたね。7人が死んだみたいで。ああいう死に方はしたくないなぁ(苦笑)」(後に自身のブログで真意が伝わらず誤解を招いたと謝罪)
恋愛
「ひどいこと……してましたね(笑)。鬼だった時期がありますからね。 これ載って大丈夫かなあ?デートしてて、彼女同士が鉢合わせしたことが あるんですよ。で、『他人のフリしてくんないかなあ』って(笑)。 なんかねえ、21歳頃からすごくモテるようになっちゃって。 東京に来てアートスクールで1枚ミニ・アルバムを出したくらい。 それまでモテるって体験がなかったですから、『こんなにも簡単なのか!』 って感じで。とめどなく汚れていきましたね。朝起きて隣に寝てる人が わかんないってことがありましたからね。『あれ?これ誰だ?』って。 で、とりあえずその人起こして、『誰だっけ?』っていうことを訊いて。 その人も冷静に答えてくれましたけど(笑)。それが一番ひどい時期で。 愛情に飢えてるというか、セックスに飢えてるみたいな感じ(笑)。 今はもうそんなことはないですけど」[5]
脚注
- ↑ 「最初に断っておきますが。アルバムのジャケットのコンセプトのなかでニールヤングの 「After the Goldrush」(超名盤ですね僕も大好きです)を参考にしたことはありません。ましてやパクルなどという発想はバンドにもCENTRAL67にも全くありません。「Requiem for Innocence」は冬の寒気を突き抜けるような「激情」を込めたレコードです。その気持ちを込める為、冬の到来の早いミネアポリスで撮影したのですが(アイリスの歌詞にも出てきますね)、切ない一瞬を捕らえることが出来た最高のジャケットカヴァーだと思っています。このBBSは我々スタッフも毎日見ています。いつも皆さんのLIVEやレコードを楽しみにしていてくれる気持ちに感謝し、バンドをサポートしてくれるスピリットに勇気付けられています。建設的な意見、感想、希望は大歓迎ですが、一方的な決め付けや非難が多くなるとBBSは閉鎖せざるを得ません。皆さんのご理解をお願いいたします。」公式ホームページの掲示板の書き込みに対してのスタッフの応答。
- ↑ 「日本ロック界の革命」 BARKS、2002年5月8日。
- ↑ 「ART-SCHOOL - bounce.com インタビュー 」 『bounce』誌、238号。
- ↑ Tour'07 “Flora” ファイナルC.C.LemonホールでのMC。
- ↑ 『ROCKIN'ON JAPAN 2006年7月号連載 今月の恋愛百景 第2回②相手にしたひどいことは?』より。
外部リンク
- 公式サイト
- GHOST DANCE(戸高のブログ)
- UNOCHANNEL.COM(宇野のホームページ)