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満州国奉天出身。桐朋学園子供のための音楽教室でヴァイオリンを学び、13歳で東京交響楽団と共演して初舞台を踏んだ。雙葉学園中等部から桐朋学園高校に進学して小野アンナ、ジャンヌ・イスナール、斎藤秀雄の各氏の薫陶を受けた。桐朋学園高校卒業後はレニングラード音楽院に留学して[[ミハイル・ヴァイマン]]に3年間師事。1963年にエリザベート王妃国際音楽コンクールで6位入賞。1964年からスイスのモントルーに行って[[ヨーゼフ・シゲティ]]の許で研鑽を積み、1965年から欧米各地で演奏活動を行うようになった。1966年にチャイコフスキー国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で2位入賞。1971年にチェロ奏者のローレンス・レッサーと結婚した。1974年からニューイングランド音楽院で教鞭を執る。
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満州国奉天出身。桐朋学園子供のための音楽教室でヴァイオリンを学び、13歳で東京交響楽団と共演して初舞台を踏んだ。雙葉学園中等部から桐朋学園高校に進学して小野アンナ、ジャンヌ・イスナール、斎藤秀雄の各氏の薫陶を受けた。桐朋学園高校卒業後はレニングラード音楽院に留学して[[ミハイル・ヴァイマン]]に3年間師事。1963年にエリザベート王妃国際音楽コンクールで6位入賞。1964年からスイスのモントルーに行って[[ヨーゼフ・シゲティ]]の許で研鑽を積み、1965年から欧米各地で演奏活動を行うようになった。1966年にチャイコフスキー国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で2位入賞。1971年にチェロ奏者のローレンス・レッサーと結婚した<ref>{{Cite journal|和書|year=2015|title=1966年チャイコフスキーコンクールに参加するためにモスクワに着いた…|journal=FOCD9696 潮田益子 プロコフィエフ&ストラヴィンスキー|publisher=Fontec|page=1|ASIN=B017U2QKJU|first=ローレンス|last=レッサー}}</ref>。1974年からニューイングランド音楽院で教鞭を執る。
  
 
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ボストン近郊ケンブリッジにて白血病により死去<ref>{{Wayback|date=20210227192959|url=https://onoanna.jp/annna033.html}}</ref>。
 
==脚注==
 
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2022年1月30日 (日) 02:14時点における版

潮田 益子(うしおだ ますこ、英:Masuko Ushioda、1942年〈昭和17年〉4月4日 - 2013年〈平成24年〉5月28日[1])は満州国出身のヴァイオリン奏者。[2]

満州国奉天出身。桐朋学園子供のための音楽教室でヴァイオリンを学び、13歳で東京交響楽団と共演して初舞台を踏んだ。雙葉学園中等部から桐朋学園高校に進学して小野アンナ、ジャンヌ・イスナール、斎藤秀雄の各氏の薫陶を受けた。桐朋学園高校卒業後はレニングラード音楽院に留学してミハイル・ヴァイマンに3年間師事。1963年にエリザベート王妃国際音楽コンクールで6位入賞。1964年からスイスのモントルーに行ってヨーゼフ・シゲティの許で研鑽を積み、1965年から欧米各地で演奏活動を行うようになった。1966年にチャイコフスキー国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で2位入賞。1971年にチェロ奏者のローレンス・レッサーと結婚した[3]。1974年からニューイングランド音楽院で教鞭を執る。

ボストン近郊ケンブリッジにて白血病により死去[4]

脚注

  1. アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ
  2. アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ
  3. レッサー (2015) レッサーローレンス [ 1966年チャイコフスキーコンクールに参加するためにモスクワに着いた… ] FOCD9696 潮田益子 プロコフィエフ&ストラヴィンスキー Fontec 2015 1
  4. アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ